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はきだめのチェリー 13

【13】

 カーラジオからジェーン・スーの明朗な語り口が聴こえてくる。日本中から多様な悩みを抱えたリスナーが彼女にメールを送る。

 私も、ままならない自分の人生をどうすれば打破することが出来るかという趣旨のメールを何度か送ったが、一度も採用されたことがない。送っても送ってもボツになるのを繰り返していくに連れて、神経が磨り減っていった。

 何で逆に精神が衰弱していくのだろうか。聴くのが楽しかっただけなのに、読まれるかどうかばかりに気が取られてしまい、いつしか番組から離れていった。

 数年ぶりに聴くと、それまでの鬱屈した感情がウソのように清々しく感じられた。読まれるメール全てを達観して聴けるからだ。この全能感にも近いキモチは癖になる。

「だからさ、そういうことされた場合、人殺しは容認されて然るべきなんだよ」

 ふと聴こえたジェーン・スーの発言は、とても彼女らしくない異様なものだった。

「殺人は我々の正当な権利。そうでしょ杉山さん?」

 暫く聞いてなかったから感じが変わったのか。いや、そんな人では決して無かった。リスナーの切実な悩みに真摯に応える真っ当なラジオパーソナリティだったはずだ。

 チャンネルを変えた先でもジェーン・スーの声が耳に飛び込んでくる。同様に、とても彼女とは思えない物騒な発言をしていた。

 何かが狂ってる。

 もう疲れた、ラジオのチューニングを切った。

 ラジオなんか聴かずとも、今は胸の中がすごく楽だ。ずっと気に入らなかったオッサンを半殺しにして、自分の意思を明確に表明できた。

 暴力の発露は、時や場合や相手によっては必要かもしれない。怒りを押し殺して生きてきた分、強くそう思う。

 反省する気なんかない。何だったら殺してしまっても構わなかった。

 ――かもしれない。

 北関東道を延々と走らせる。スピードメーターは百五十キロを指していた。自分の車でこんなスピード出して走るのは初めてだった。感じたことのないくらいの愉悦感に浸る。

 私の腕をこんなにした田中にもお礼参りでもしたかったが、会社にも居なかったし、今となっては何も出来ない。

 奴は奴で、汚職してる政治家を殺すと意気がってたな。トラヴィスに憧れてる奴がトラヴィスのように凶行に及ぼうと計画を立ててる。考えるだけで笑える。

 こんな風に田中のことを考えるということは、少なからず、あの暴力性を私の中に内面化してしまったのかもしれない。

 もっとドラマチックな展開があれば、愛憎ある関係として盛り上がっていた気もする。

 平日ということもあり、宇都宮のアウトレットは空いていた。存外、右手が無くても運転に支障は少ない。義手をハンドルの間に挟んでクルっと回す様はもはやカッコいいと思えるほどだった。

 駐車スペースに車を停めてドアを閉めると横の車に乗ってたカップルから視線を感じた。こちらに気付いたのか、チラチラと顔を向け、互いクスクスと笑い合ったりしている。

 明らかに私を馬鹿にしていた。ジッと睨みを利かしてると、男のほうが外に出て私に向かって凄んできた。

「何、なんか用?」

 明らかな威圧だった。短く刈った金髪と鼻にしたピアスをした男。

 以前だったら間違いなく萎縮していただろう、でも今の私は、ある種の全能感に満ちていた。怯むことなく扉を開け放った。

「オメーこそ何こっち見て笑ってんだ? 気持ちわりーんだよ、鼻ピ野郎」

 男が面食らったように、顔を歪ませていた。こんな細身で野暮ったい私に言われるとは思いもしなかったのか、男は二の句を継げないままに後ずさった。車内にいる女の方も同じく鼻ピアスをしてる。自分の価値観の中では極限的にダサいファッションだった。

「ったく、気のせいだろ。何でもねえよ。さっさと消えろバカ」

 タバコに火を点け、払いのけるような手振りを見せる鼻ピ野郎。

 何かが千切れる音がした。別に言われた内容とかは関係なかった。ただ単に、頭の中の『何か』がブチ切れたのだ。

 間髪入れず、野郎の側頭部にラリアットの要領で右手を振り抜いた。

「死ねよ、ボケ!」

 油断もあったが、男は車のフロントガラスに顔面を打ち付けて意識を失った。畳み掛けるように、義手と肘鉄で何度も何度も顔面をブチのめした。気が済むまで、闇雲に当たり散らした。

 車内に居た女は自分の肩を抱きしめて怯えていた。彼女に何かをするつもりは起きなかったので、車内に捨て置いた。

 映画を観る気分が削がれてしまい、車に戻ってエンジンに手を回す。前を向くと巨大な蜘蛛の巣のようなヒビがフロントガラスが入っていた。怒りに任せて殴ったせいか、自分の車を殴ったのを失念していた。

 側で倒れてる男を横目に駐車場から出る。まぁ死ぬことは無いだろう。彼女のほうが何とかしてくれるはずだ。

 私は田中のようにイキがって誰かを殺したいと謳うつもりはない。

 だが、肉体言語に頼る人間になってしまった。むしろ、アイツとの日々が私の暴力性を発芽させたのかもしれない。

 アイツも、私の魂の半身なのかも。ユメキに言われたことを思い出していた。でも、今の私をユメキは受け入れてくれるだろうか? 他人を傷付けることを躊躇わない、こんな私を。

 それにしても運転しづらい。殴った腕も悲鳴をあげている。数分で目も疲れてきて、近くの寂れた駐車場に停車した。

 結局は抱え込んだ怒りを開放しただけなんだ。そう自分に言い聞かせる。臨界点を越えてしまった日本に生きていれば、誰しもいつかはこうなる。

 開き直りをして、居直りをして、この地獄を猛然と駆け下りていく。

 それでも、車のオーディオに繋いだジャパハリネットの『若葉咲く頃』を聴くと、何故だか涙が止まらなかった。

 日々また強く生きていこうと、何度思えば気が済むのだろう。

 車のシートを涙で濡らしながら、深く深く沈んでいった。





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