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暑さ寒さも彼岸まで

雑節|春ノ彼岸
令和6年3月17日

お彼岸といえば死後の世界のことを比喩的に言った言葉と認識されている。

「三途の川の向こう岸」というわけだ。これには異説も多いようだが、とにかく現代的解釈のお彼岸は春分と秋分の日の前後に死者の国、そしてご先祖様のことをおもう期間と捉えてよかろうと思う。

「ご先祖様のことをおもう」と言って、皆様はご自身のご先祖様についてどれほどご存知だろうか。
私はどれくらい知っているだろうか。皆様も思い出したり、年上の家族に聞いてみたりしてほしい。

私の父方は今で言う福岡の家で、侍の家系を江戸時代くらいまで遡れる。分かっている中で最も古い先祖の名は軍三郎。私がある程度その生涯について聞いたことがあるのは曾祖父の代からのことで、名を源九郎という。九男だったのだろうか、あるいは源九郎判官からとった名か。
とにかく、彼には二男一女があり、私の祖父は末っ子である。
長男は昭和初期有数の剣豪で、日頃は体育の先生をしていたらしい。戦地でも刀を振るって活躍したのだが、それが祟って戦後に公職追放の憂き目にあい、その時の当主であった彼は先祖伝来の土地も家も殆どを売り払ってしまった。刀はGHQが没収し、廃棄か横領。散々の有様だが私の祖父はほとんど自力でなんとか修行し、料理人になってそこそこ成功した。彼は一男一女をもうけたが、その男児が我が父である。

祖父とその兄、即ち私にとっての大伯父のエピソードで印象的なものがある。

祖父が15歳になる時、大伯父が日本酒の一升瓶を持ってきた。祖父は部屋に座らされ、大伯父が元服の祝いだと言って注ぐ酒を飲み続けた。可愛そうな15歳であるが、なんとか気合で飲みきった。
「ごちそうさまでした」
立ち上がろうとした瞬間、初めての大量飲酒で目眩がして思わずよろめく。すると大伯父は
「情けない!」
と激昂し、立てなくなるまで祖父を打ちのめしたという。

私は、この話を聞いて福岡に酒豪が多いことに合点がいった。お酒が飲めない人は文字通り淘汰されているのである。おかげで私もザルなのでありがたいといえばありがたいのだが、自らのアルコール分解能に壮絶な歴史の重みを感じる。

一方の母方は、特殊な状況のため、私の知る限りぼんやりと1185年の壇ノ浦の戦いまでは遡れると言っておきたい。
というのも、私の先祖は源平合戦の落ち武者で、穏田集落を形成して長いこと隠遁していた人々だからだ。

落ち武者というので既にお分かりと思うが、我が先祖は敗軍、平家方の郎党であった。厳密には平家の家来の菊池氏のそのまた家来だったらしい。1185年の敗戦後、彼らは熊本県の山奥に身を潜めた。以来数百年彼らは殆ど外部の文明と接触せずに生きたらしい。
さて、私の曽祖父に当たる人が10 歳になるころ、彼は孤児になった。それを期に彼は穏田集落を出てみることにした。
幸運なことに、彼のことは近くの街で床屋を営んでいた一家が引き取ってくれた。彼は住み込みの丁稚奉公という形で、自身も散髪の術を身に着け、京都でも修行をして地元に帰り、床屋を開いた。そこの五人兄弟の長男が私の祖父である。

私は小さい頃からおばあちゃんっ子で、そのおばあちゃんというのは母方の祖母のことである。したがって彼女の出自も少し分かっている。
祖母の家はこんにゃく屋で、随分羽振りがよかったらしい。しかし戦火を逃れて台湾に疎開し、戦争が終われば今度は台湾から追い出されて、だいぶ財をすり減らしたようだ。その時家長であった祖母の父が軍の古参だった為これもいじめられたようだが、なんとか戦後もこんにゃく屋はつづけた。GHQに刀を没収されかけたが、自分で刀を折ってこんにゃく製造用の巨大な包丁に造り替えたため難を逃れた。しかしその後何度か引っ越しする中でその包丁は失われたという。幼い私はそれを大変残念に思ったものだ。

先祖崇拝というのは何やら特定の地域や時代に特有の宗教で、現代人からしたらちゃんちゃらおかしいように思うかもしれないが、ご先祖様がいなければ、そして現代日本のように易しくない環境で彼らが必死に生き延びてこなければ、今の自分が存在し得ないというのは厳然たる事実として多くの人にご同意いただけるのではないか。むしろある種の宗教とは食い合わせの悪い進化論を信じる人ならばなおさら腑に落ちることと思う。

さて、たまに遊びに行くと歓待してくれるありがたい友人、第二の家族のような存在が飛騨高山にいるのだが、昨年その家に新たに赤ちゃんが生まれるという時に彼らを訪ねた。折しもお彼岸の季節。

まだ雪深い高山の山奥のお寺にお腹の大きいお母さんも一緒にお参りに行った。
そこで御住職から、上に述べたような先祖から連綿と受け継いできた命のお話を伺った。彼は最後にこのような意味のことを言った。

「これはご先祖様の尊さのお話であるとともに、私達の命の尊さのお話でもあり、また将来生まれてくる子供たちの命の尊さのお話でもあります。」

-K.K.


雑節

春ノ彼岸

ハルノヒガン

古来から西方浄土、つまり極楽には馥郁たる香りが漂うとされる。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、春の彼岸の頃には冬の厳しい寒さが和らぎ、花々が素晴らしい香りを私達にお裾分けしてくれる。

沈丁花、桃、木蓮などどれも甲乙つけがたい芳香を誇るが、やはりいち早く冬の終わりを告げるのは梅の花の香りである。過日、城南宮という梅の名所で一句詠んだ。

梅の香の城南宮の雨宿り

長雨が続く中訪れた京都南面の守護である城南宮。東屋に避難しつつ、烟るような春雨にも負けず香ってくる梅の花の甘い香りに包まれながら。

俳句好きの祖母に日頃添削してもらっているのだが、珍しく「とてもいいです。すばらしいとおもいます。こうしたサラッとして読む側に入ってくるのが好きです。」と手放しに褒めてもらえて思わずにやけてしまった。


参考文献

なし

カバー写真:
2024/02/19 城南宮にて。3/22まで「しだれ梅と椿まつり」開催中。

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