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幸せ見つけごっこ

節分
令和6年2月3日

私は人前で話すのが苦手だ。
まず短時間で考えをまとめるのが一苦労だし、しかもそれが相手にはっきり伝わるように、あるいは気分を害さないように、表現を工夫しなければならない。そうして出来上がったものが、脳から喉を伝って顎や唇を震わせて音を出す過程は、私にとっては、激辛スープが喉を伝って胃に落ちていくのをヒリヒリと感じる感覚に似ている。
加えて、表情や仕草も大切らしい。古からの営みにも関わらず、ものすごいマルチタスクだと思う。

だから、私は決して第一印象がいいタイプではない。
その自覚があるから、よくしようと思って初対面で頑張ることもできる(そのくらいのスキルとノウハウとエネルギーは辛うじて培った)。それでも結局、2回目以降に長く続かないので、長期的な関係性の構築には向かない。むしろ印象が下がっていく。
少し前まではそのことで悩んだりもしたけれど、短期的な関係性には対処できるし、長期的に別のいいところを見てくれる人に少しでも囲まれていれば、それで充分に幸せかなと思っている。
とはいえ、やっぱりお喋りで場を明るくしてくれる太陽みたいな、花みたいな人は、羨ましいし憧れる。

一方で、書くことは好きだ。
幼い頃はよく、手紙を書いたり、日記とも呼べない日々の徒然をノートに書きつけていた。はやみねかおるさんの「夢水清志郎シリーズ」に憧れて、推理小説もどきを書いていたこともある。
ものを書く仕事をしている母親とは食卓で、「この表現についてどう思う?」「どの表現がわかりやすい?」といった会話を交わした。完成物はほとんど読んでいないけど(ごめんなさい)。
新卒で入った会社の初めての上司は、赤ペン先生のように根気よく文書やメールの文面を直してくれた。正直、働いて数年経つ今であれば耐えられないかもしれないほど、細かくてしつこい添削だった。それでも当時の私はもう少し素直だったので、真面目に受け止め、一生懸命に向き合っていた。

今冬、転職した。
新しいメンバー、新しい環境。
やはり対面での第一印象は、悪いとまでは言わずとも、大してよくないと思う。
でも、そこで自分の居場所を創り出せているのは、たまたまそこに「書くこと」という足掛かりがあったから。
母と元上司が、今の私の居場所を支えてくれていたようだ。
そのことをはっきり認識したとき、ここで陳腐な表現しかできず悔しいのだけれど、「とても心強かった」。
そうして、ところどころで自分の輪郭が浮かび上がるたびに、このように過去に出逢った人々や経験に想いを馳せていく。あたたかい気持ちになる。

そんな矢先、このコヨム執筆の機会が舞い込んだ。
「内容は何でもいい」らしい。ただ、近頃私には転職や転居などの環境変化があったから、その辺りで感じたことが何かあれば、と。
ああ、確かに、自分にとってはそれなりに動きの激しい1年だった。側から見れば、支離滅裂にも見えるだろうし、実際、一部の人には本当に負担をかけたと自覚している。これ自体を言語化することには、もう少し時間がかかりそうだ。かと言って、それをおおっぴらに書き連ねるつもりもない。

ここで書きたかったのは、決して「書くことについての語り」ではなく、まして「文筆家として仕事をしていきたい」などといった決意表明でもない。
私の現在地と、「自分の輪郭は皆と隣り合わせだ」という当たり前のことに喜びを感じられる私はいかに幸せ者か、ということを書き残しておきたかっただけ(すると同時に、「話すのが苦手であることには背景がある」とも言えるのだけれど、その話はまたいつか)。
またひとつ、居場所を支えてくれてありがとう。

-Y.Y.


節分

セツブン
雑節

好きな作家は?と聞かれれば、迷わず江國香織さんと答えます。
物語ももちろん好きなのですが、なんといっても、その物語を包み込む文章。
文章が色彩をもち、薫りたつ。
目で追うのが心地よくて、その文章にずっと溺れていたい。
小説家は目指さないけれど、そんな豊かな文章は目指していたいものです。


参考文献

なし

カバー写真:2024年1月13日 何かとお導きの多い、江ノ浦測候所にて。


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

幸せ見つけごっこ
https://coyomu-style.studio.site/letter/setsubun-2024


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