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いつだって青く見える

雑節|春ノ社日
令和6年3月25日

東京に憧れていた。最寄り駅から歩いて50分もかかってしまう私の実家は,どこにでも行けて,なんでも見られて,なんでも体験できる東京とは明らかに違って見えていた。観光地がないことで有名な私の出身地にはなんにもない。そう思っていた。

高校を卒業してから,東京に出てきた。東京にはなんでもあった。日本中どころか世界中の食事も,娯楽も,文化も,出会いも,別れも,楽しさも,退屈も。

そんな東京に少しでも染まろうとしていた。標準語とそれほど遠くない方言をうまく隠したつもりになっていた。地元の話になるたびに「なにもないよ」と少しだけ卑下しながら。

東京出身の友だちがうらやましかった。私にとって憧れの場所だった東京は,彼らにとっては生まれ育った場所であり,当たり前であり,日常だった。いつまで経っても慣れない乗り換えも,人混みも,ちょっと高い食料品も,だれに向けて商売をしているのかわからないニッチなお店も,狭い路地も,多い車線も,遅い終電も,眠らない街も,彼らにとっては当たり前だった。それがなんだか悔しくて,地方出身なことをちょっとだけ隠して「東京人のフリ」をし続けてきた。

私たちはいつだって,ないものねだりだ。隣の芝生は青く見える。私がずっと憧れていた東京出身の友だちだって,私のことをうらやましく思っていた。方言も里帰りも一人暮らしも,私にはあるけれど,彼らにはない。少しだけ誇らしい気持ちになった。

【春ノ社日】は生まれた土地の神さまを祀る日だ。生まれた土地に感謝することは,すでに持っているものに感謝することだと思う。ずっと近くにいるとわからないものに感謝する。色んなところに行って,色んなものを見て,色んなものを食べて,色んな経験をして,私が作られている。どうやったって生まれた土地と私を切り離すことはできない。けれど,だからこそ,愛そうと思えるようになった。私を形づくる当たり前に感謝する。そんな日なんじゃないか。

「嫌になったら,いつでも帰ってきていいからね。」18年暮らした家を出て一人暮らしをはじめるとき母から伝えられた言葉だ。あまりにも東京が楽しくて頼ることはなかったけれど,その言葉がどれだけ私を支えてくれていたのかわからない。そんな場所があってよかったな,と今は心の底からそう感じる。あの頃憧れていた東京は,今ではすっかり私の当たり前になってしまったけど。

なんだ。私の芝だって,とっても青いじゃないか。

-S.I.

雑節

春ノ社日

ハルノシャニチ

帰省をするたびに,家の近くをランニングしている。海沿いのなんにもない土地は,ランニングをするにはとってもよいのだ。車で通り過ぎるだけではなんにもないように見える土地には,ちゃんと季節も,風も,日差しも,風景も,暮らしも,歴史もある。そんなことに,気づかせてくれるから。


参考文献

なし

カバー写真:
2024年3月9日 いつだって青いというか緑色な,ふるさとの海。ランニングをしながら。

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