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「サウンドパック」が生み出すクリエイティブとは?【サウンドパックとヒップホップ 第1回】

私が「サウンドパックとヒップホップ」「極上ビートのレシピ」の連載を行っていたメディア「Soundmain Blog」のサービス終了に伴い、過去記事を転載します。こちらは2021年11月17日掲載の「サウンドパックとヒップホップ」の第1回です。


ヒップホップにおいてポピュラーとなったサウンドパック

2021年のヒップホップを代表するヒット曲といえば? この問いに、Trippie Redd「Miss The Rage」を挙げる方は多いのではないだろうか。同曲で印象的なサイバーなシンセのループは、実はプロデューサーのLoesoeがゼロから作ったものではない。楽曲未満の短いループやドラムの単音などの素材をまとめた、「サウンドパック」(「サンプルパック」とも)と呼ばれるものから引っ張ってきたものだ。

「Miss The Rage」で使われたのは、サウンドパック販売サイト・Cymaticsにて無料で(!)ダウンロードできるODYSSEY EDM Sample Pack収録の「Cymatics – Odyssey Future Bass Drop Loop 7.wav」。これを逆再生してドラム等を足しただけのシンプルな手法で生まれた同曲は多くのリスナーを虜にし、同曲のようなスタイルを指す新たなサブジャンル「レイジ」への注目度も高めた(参考:【コラム】What is “RAGE Beat”? – FNMNL)。

「Miss The Rage」のエピソードからも窺えるように、今やヒップホップにおいてすっかりポピュラーなものになったサウンドパック。CymaticsやSpliceのようなサービスから誰でもダウンロードできるものだけではなく、大物プロデューサーが個人から送られてきたループ素材を用いるケースも多い。Pitchforkの記事「How Loops Are Changing the Sound and Business of Rap Production」によると、サウスカロライナの人気プロデューサーのJetsonMadeは有望なプロデューサーたちからループの詰まったパックを定期的に受け取っているという。JetsonMadeとPooh Beatzが手掛けたJack Harlowによる2020年のヒット曲「What’s Poppin’」も、アトランタのプロデューサーのLosTheProducerが制作したループを使用したものだ。CuBeatzFrank Dukesのように、ループ制作をメインに活動する「ループメイカー」と呼ばれるトッププロデューサーも多い。ループを用いたビートメイクは、現代のヒップホップのスタンダードの一つと言えるだろう。


サウンドパックのメリットとは?

メロディやドラムパターンをゼロから考えたり、理想の音色を作ったりすることは人によっては時間がかかる作業だ。また、サンプリングにはそれでしか起こらないマジックもある。長野のビートメイカーのkakasiは、音楽ブログ「にんじゃりGang Bang」のインタビューで「弾くと想像つくけど、サンプリングだと『なんでこんなのができちゃったんだろう?』っていう、いいことが起こる時があるんです。絶対自分でやったら生まれないようなことができたりして。そういう偶発的なことが面白いんですよね」とサンプリングの魅力を語っている。

サウンドパックの使用は、ビートメイクの効率化と、サンプリングでしか生まれない魅力を著作権問題に直面せず生み出せる等の利点がある。JetsonMadeも先述したPitchforkの記事で「ループの使用はより効率的なコラボレーションの手段」「誰かの曲からサンプリングする代わりにループを使う」と話している。

ループやサウンドパックは使用する側だけではなく、制作する側にとってもメリットが多い。ドイツのCuBeatzやニュージーランドのSeph Got the Wavesらは、アメリカ以外の国で暮らしながらループメイカーとしてアメリカのシーンで活躍している。言語が通じないほど距離が遠くても、光る素材を生み出すことができればチャンスに恵まれる。新進プロデューサーが自身の名前を売るために、ループ制作は有効な手段になってきているのだ。

だが新進プロデューサーだけではなく、既に成功しているプロデューサーにとってもループ制作やサウンドパック販売のメリットは大きい。例えば新進プロデューサーが「あのドラムが欲しい」と考えた時、ドラムキット(ドラムのサウンドパック)がない時代は既存の楽曲からサンプリングするか、同じ機材などを購入して試行錯誤するしかなかった。サンプリングで作られた楽曲の使用料を全員から請求することはかなり困難だが、サウンドパックを自ら販売すればセールスを確実に得ることができる。

また、そういったビジネス面でのメリットだけではなく「自身の制作したものをシェアして文化の発展に繋げたい」という思いでサウンドパックを販売するケースもあるだろう。2011年にサウンドパック販売サイト・Blap-Kitsを立ち上げた大物プロデューサーの!llmindは、「ドラムサウンドのライブラリが不足しており、使われているサウンドがただリサイクルされているだけで厳選されていない」と感じたことから、プロデューサーにインスピレーションを与えるために自身が作ったドラムサウンドを集めてサウンドパックを制作したという。サウンドパック市場は、こういった様々な思いによって支えられている。


サウンドパックはいつ頃から浸透した?

ヒップホップやR&Bの分野において、ループを使ったビートメイクは近年急に行われるようになったものではない。元々既存の楽曲からのサンプリングが盛んに行われていただけに、素材の使用もすんなりと導入されていった。

2005年には、Fort Minorがアルバム「The Rising Tied」収録の「Believe Me」でAppleの音楽制作ソフト・GarageBandに収録されたストリングス素材「Orchestra Strings 08」を使用。2007年にはRihannaの大ヒット曲「Umbrella」でもGarageBandのドラムキット「Vintage Funk Kit 03」が使用された。GarageBandは「プロのミュージシャンでなくとも簡単に音楽制作ができるように」という目的で開発されたソフトだが、ヒップホップやR&Bのプロたちはそのプリセットを巧みに使って名曲を生み出してきたのだ。その後もUsherの2008年のヒット曲「Love in This Club」Waka Flocka Flameの2010年のアルバム「Flockavelli」収録の「Smoke, Drank」などでGarageBandのループが使用され、ヒップホップやR&Bでは定番のものになっていった。

そんなGarageBandのプリセットの使用が定着した2011年、先述した通り!llmindがBlap-Kitsを立ち上げた。同サイトに掲載された!llmindのコメントによると、「遊び半分でやったことで何かが起こるとは思っていなかった」と最初にドラムキットを販売した時は軽い気持ちだったことを明かしているが、「翌日には想像もしていなかったような大きな反響があった」と語る通り、プロデューサーたちは!llmindのドラムキットに飛びついていった。GarageBandのプリセットを使ったヒット曲が多発していたタイミングで、 50 CentScarfaceなども手掛ける人気プロデューサーの!llmindがリリースしたことが大きかったのだろう。!llmindはNPRが運営するポッドキャスト番組・Planet Moneyのインタビューで「一晩で2,000ドルの入金があった」と当時を振り返っている。

!llmindはドラムキット販売の成功後、本格的にサウンドパック制作に乗り出していった。そしてその成功を追うように、CymaticsやSpliceなどのサウンドパック配信サービスが次々と登場。Lex LugerMurda Beatzといった人気プロデューサーもサウンドパック制作に取り組み、サウンドパック市場は急速に発展していった。


サウンドパックの現在

こうして発展していったサウンドパック市場。今ではヒップホップのプロデューサーだけではなく、楽器を弾くミュージシャンがサウンドパック市場に参入するケースもある。

アメリカの音楽業界のプロフェッショナルによるコミュニティ、Jammcardは2020年からSpliceで「Jammcard Samples」と題したサウンドパック提供企画をスタートした(当時のリリース記事)。Jammcard SamplesにはKendrick Lamarのバックバンドを務めるWesley’s Theoryや、Dr. Dre宇多田ヒカルとも共演する日本人パーカッショニストのTaku Hiranoらも参加。超一流ミュージシャンたちが演奏する生演奏の素材を贅沢に提供している。

エレクトロニックな作風のプロデューサーたちによるサウンドパック制作も相変わらず盛んだ。故SOPHIE(少し畑は違うが)やWondaGurlなど、多くのプロデューサーが自身の制作した素材を開放している。これからもサウンドパック市場には様々な才能が集まり、大きく成長していくだろう。

ヒップホップに欠かせない存在として定着しつつあるサウンドパック。ヒップホップでは既存の楽曲からのサンプリングで「同ネタ使い」などの文脈を付与することがしばしば見られるが、今後サウンドパックでのビートメイクの歴史が重なっていけば「同サウンドパック使い」で文脈を付与することも可能になるだろう。サウンドパックを巡る動きは、プロデューサーにはもちろん、DTMをやらないリスナーにとっても要注目だ。

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