努力のできないカラダ

ブロガーは「書きたいことは書くな、読者が知りたい情報を書け!」と言いますが、noteクリエイターは「俺のオナニーを感度高くキャッチしてくれ」というクリエイター優先の思考が見えてニヤニヤしてしまうカタヒラレンです。だから、このプラットフォームは書きやすい。


さて。


自分のカラダが「努力のできないカラダ」になっていることに気付いたのは、2ヶ月ほど前のこと。すごく後退しています。具体的に言うと、「プログラミング」が進まないんです。「進まない」というのは、「数学の問題が難しすぎて進まない!!」というのではなく、「何をすればよいのか、なんとなく分かるけど勉強に着手できない」って状態。


自分のカラダはモノゴトに真剣に取組むことが向いているカラダだと思っていました。
小学生のときも中学生のときも、気付けば乗り越えていました。


振り返ってみると、自分のカラダが狂い始めたのは高校のときです。
僕は大好きだったはずの「数学」から逃げました。中学と高校の数学は多少の勝手は違いますが、全く別の学問というかけ離れ方でもありません。でも、「数学はもう分からなくていいや」と、諦めてから自分のカラダはおかしくなってしまいました。他の教科もやる気を失い、全く頭に入ってこない。高校の科目は中学のときと比べると情報量と思考の複雑さはレベルアップしますが、そんなに大変なことでもありません。受験前は、「生物」を真面目に取り組み、満点を取れたことがあるくらいだから、自分のポテンシャルも無いワケではないのは、自分が一番わかっています。


それなのに、努力が続けられない。「これとこれとこれを覚えればいい!」ということまで分かっているのに、それを覚えない。これは、興味・関心の有無という判定で流して良い話ではなく、明らかにカラダがおかしくなっている。そう感じるんです。

大学から自分がやり続けられたことは、「楽なモノ」ばかりです。「楽なモノ」とは、ハマる前からすでに楽しいモノのこと。この動き方が、自分の本来のカラダと合っていない。

本当は、意味不明性の高いモノを粘り強く取り組み、解像度がどんどん上がっていく、ある種のギャップを楽しむカラダだったはずなのに。。。

「カラダ」と表現していますが、正確には「脳」です。脳が、何かしらの麻薬(堕落)に侵され「麻痺」してるんです。


このカラダを救う方法は、1つ。


昔のカラダを再現すること。

だから、今週は努力できていた自分のカラダを思い出す作業を空き時間にやります。
昔のカラダのサルベージ作業。


ではまた。


今日も東京の片隅で、非生産的なことを非効率的に行っております。