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言い訳を作れば楽しい。たぶん

やることを決めてもやらなかったのに、やらないことを決めると自動的にやることが決まって実行できるようになったので、世界の理はいつも真裏にあるんじゃねえかと思っているカタヒラレンです。

この世界で、好きな文化があります。

「言い訳」

です。

言い訳は、人を動かします。それも、自然に。
例えば、僕らは合コンに行くことを「下品!」だと捉えています。大半の人間はそうなはずです。

「いやいや、そんなに異性に困ってねえし!」
「時間の無駄!」

って言いたがるし、何かしら揚げ足を撮る理論を生み出そうと努力します。
まあ、確かに、僕らがイメージする合コンは、ノリを合わせたり、しょうもないゲームをしなきゃいけないので、素直に行きたいだけではないかもしれません。でも、誰だって合コンに行きたい気持ちはあるはずです。だって、急に素性を知らない異性と飯を食うイベントなんて、刺激的でめちゃくちゃ面白いエンタメじゃないですか。(個人で開催する分には)商業じゃないので、リアリティもあり、非日常感もあり、出会いの可能性もあり。しかも、その異性は恋人を欲している可能性も高い。

でも、素直すぎると、「え!?合コンとか行きたがっちゃう人なの!?」って、ダサい風潮を作られているので、なかなか募集があっても、手を挙げられません。

ここで、使われるのが「言い訳」。

合コン誘うとき、「いや〜、今度の合コンの人足りなくてさ〜。人数合わせとして来てよ〜」というと、幾分か断りづらくなるという話を合コン大好きマンから聞いたことあります。

「まあ、人数合わせなら仕方ねえな。」と言い訳できるんで、いきます。

僕らが合コンに参加するリスクは、2つ。
1つめは、合コンという下品だと思われているイベントに参加した自分を低く見られる心配。
2つめは、合コンという慣れない場所に参加して、失敗すること。(滑ったり、フラれたり)

このリスクに対して、セーフティーネットになりうるのが、言い訳です。
もし、合コンに参加した自分を低く見られそうになったら
「いや、人数合わせで行ってさ〜。俺は興味なかったんだよね。」って言えるし。
もし、合コンで失敗しても
「いや、俺人数合わせで行っただけで、そもそも異性求めてないんだよね」って、多少苦しいながらも言い訳ができる。

なにかしら言い訳できると、人は動くきっかけになります。

結果的に、合コンで成功すれば、それは良いことだし、非日常感は圧倒的な刺激になります。こんな小さな「合コン」という例でも、言い訳の力学は抜群に働くので、こういう言い訳をたくさん作り出して、いろんなコンテンツに挟み込み、人がもっと動きやすくるなる環境を作ります。問題は、これをプレイヤー(言い訳を使う人)が、意図を理解してやっても精神状態にズレが発生しないか、もし発生する場合、プロがデザインをしてあげたほうがよいのかは考えていません。そこを考えておきます。

では、また〜!

今日も東京の片隅で、非生産的なことを非効率的に行っております。