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オナニーが少ない1年は、素敵な1年。〜趣味に没頭できる考え方〜

下品なタイトルを考えてしまったけれど、悪びれる様子もなく話を続けるカタヒラレンです。(画像制作者には、ガチで謝ります。)

僕は、オナニーを忘れた時期が2回あります。
それは、テニスでフロー状態に入ったまま練習を続けていた時期と、受験勉強の最終月です。

オナニーを忘れるほど、強い刺激と快感がこの2つから得られたんじゃないか?という仮説です。

それから、僕は1年間を振り返るとき、「今年はオナニーしてたかな?」と自問し、1年間の充実度を振り返ることにしています。

なんだ、この文章?
とうとう壊れだしたか??

そう思ってくださる方、ご安心下さい。
これは、ただの早朝テンションです。

でも、朝に考えたことは案外、自分の本音が強く出て、仮説もだいたい当たります。

だから、オナニーの回数と人生のときめき度は反比例します。
これは、オナニーを辞めたら人生がときめく話ではありません。
人生がときめいていると、オナニーを忘れるということです。

もう、オナニーって言いすぎて、下品というより、意識高いビジネス用語に聞こえてきました。


まあ、それくらいハマることはある、と。
このハマることはなんだろう?
って、探し出す人もいますが、そんなの探すモノではありません。

人は、何か没頭している人を見ると
「あんなにハマれるモノを見つけられていいな〜」と思いがちですが、そんなロジックで没頭できるワケがありません。
恋愛も友達も趣味も、そんな理だと思っているからいけないのです。(←昔の自分へ説教してるシーンのつもり)

だって、受験勉強を考えればわかるでしょう。
受験の動機なんか適当じゃないですか。
偏差値の高い大学に受かりたい。そこへ合格するために仕方なくやっているだけ。
受験勉強を経て、受験勉強専門家になりたいワケじゃなく、合格する手段として勉強してるだけ。
しかも、その合格という目的も目的意識は弱いですよ。
「偏差値の高い大学に受かる!」って、入ってからのことを何も考えていないですから。

そんな、適当な目標設定をして、その手段として、めんどくさいにも程がある「勉強」を仕方なくするにも関わらず、3割くらいの人間は「受験勉強に没頭」します。

これが、没頭です。
いや、洗脳です。笑

つまり、ハマるモノに出会っていない人は、「対象」が問題なのではなく、「態度」が問題なのです。
(精神科医アルフレッド・アドラーも同じこと言ってる,はず)
というか、「出会ってない」というニュアンスに違和感を感じないのがおかしい。
これは、恋人を募集していながら「良い人に出会えないんだよね〜」って言ってるOLと同じです。(これ、ジェンダーに関する問題発言なので言質として残しておこう。)

「これをやるんだ!」と決めたことに、20時間着手してみましょう。
必ず、今よりクリアな景色が見えてきます。

文章の構成を全く考えないで書き始めると、趣旨がズレていくことがわかったので(そして、こっちの方が楽しいので)、次回からも構成無視して書きます。
では、また〜!

今日も東京の片隅で、非生産的なことを非効率的に行っております。