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他人のどうでもよさ

他人の悲劇ってさ、どうでも良くないですか?

っていうフレーズだけ並べると最低だと思うよね。最低だと思わない人が悪みたいに感じるよね。でも、そう思った人もたいていその最低や悪に当てはまると思ってる。

本で読んだことがある。
ある日、殺人事件が起きた。被害者はアパートの外で刺殺されていた。でも、不思議な点があった。
被害者は気付かぬうちに後ろからグサっとやられたわけではなく、長い時間に渡り逃げ惑い、叫んでいた。にも関わらず、アパートの住人は"誰も通報しなかった"。そのアパートに住む目撃者全員が。

何が言いたいかというと、人間は無意識の時、心底他人がどうでもいい。もちろん全員とは言わないけど、多くの人がそう。例えばさ、。

駅のホームで座り込んでいる人がいるのに、しれっとエスカレーターの列に並ぶ。
松葉杖の人がいても優先席に座り続ける。
友人の弱ってるアピールをうざがり軽く受け流す。
オンライン会議のリーダーが一人で頑張る中、全員マイクカメラオフで沈黙。
LINEグループは既読スルー。
いじめをスルー。

よくあるよね。そこで苦しんでいる人のことなんてどうでもいい。
でもさ、そんな人たちも正義のヒーロースイッチが入った時だけ他者を助けようとし、助けない人を非難する。
そうやってあたかも社会全体を幸せにするかのように言っている。
他者を助けるも助けないも、結局自己満に過ぎないのに。

幸せな人をさらに幸せにするのはきっと楽しいだろうさ。そこにはそもそも笑顔しかないんだから。
でもさ、本当に苦しんでいる人が幸せにならないでどうするの。
私には今の社会が、ブルジョワジーがはしゃいでいるようにしか見えない。

って、たまに一人で闇深く考えているわけですよ。(笑) それこそ、正義のヒーロースイッチが入った時にね。
ウエディング業界を目指すなか、人の幸せを願うなら忘れないでいたいなーと思うわけです。本当に苦しんでいる人をキャッチするセンサー、その人を"誰かが助ける"なんてことはないと知る当事者感、苦しむ人の元へ迷わず飛んでいくフッ軽さ。
この人に幸せにしてほしい、そう思ってもらえる人になるには、どんな人に対しても平等に手を差し伸べようとする人でなければならないと思う。この人は素で人を幸せにしたいんだ、本当に自分のことを考えてくれているんだ、そう思ってもらえる気がする。
逆に、自分の都合のいい人にだけ、自分が達成感を得たい時だけ、他人を幸せにしようとするのって、相手を自己満の手段としてしか見ていないような気がしてきてしまう。私がひねくれ者説は十分にありますが。

まあ、完全にそうなるのってきっとエグい年月かけないとできない悟りの境地みたいなところあるから、少しずつ意識していきたいねって話。人間だしね。笑

そんな感じ。

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