それぞれの12年。それぞれの暮らし。


道の駅高田松原の短信「タカタノオト」

当たり前だけど、ここで暮らす人たち、それぞれの12年間があり。今日の受け止め方もそれぞれだったり。
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僕自身、三陸や東北とは縁もゆかりもない移住者で、大きな犠牲を経験しているわけでもないのですが、ここで暮らしていると「被災者」か「一所懸命に復興に従事する移住者」という姿を求められたりします。
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僕の同僚には、東日本大震災に大きな関心も持たず、単なる転居先として移住してきて、コンビニでバイトしようと思ったタイミングで、たまたま僕の仕事場の開業スタッフに応募して採用され、今では僕の仕事場で、大きな戦力として働いている人がいます。その人は、たぶん今も、震災とか復興とかほとんど意識せずに、ここで暮らしていると思う。
考えてみれば、家人も、たまたま僕が震災の情報を発信する仕事をしていたので、普通の人より情報に接する機会が多かったとは思うけど、強い関心があって移住してきたわけじゃなくて、家族として移住してきたわけで。でも、今では僕以上の高田ライフを満喫して、ここで暮らしてる。
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12年経って、「普通に暮らす場所」としての陸前高田になりつつある。今日、誕生日や結婚記念日など、お祝いの記念日の人もいる。もちろん、今も心に大きな痛みを感じる人もいる。
いろんな12年間の過ごし方があって、これからも、いろんな時間や暮らしがある。
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まぁ、当然のことだけど。いつもながら、取り止めもないことを書きました。
そんなことを思う今日この頃です。


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