りべるたん顛末期。短めな最終話(これ以上はもうやりません)。

はじめに書くけど、このノートは前3篇より短いです。

あとりべるたんの「振り返り」もこれ以上はやりません。どうせ、今以上の泥沼になるので…。

まずは…SB代表とSNさんからそれぞれ反応がありました。

SBさんからは「言い過ぎたごめん」という謝罪がありました。しかし「あの部分」は違うといわれました。

具体的には「薄ら笑い」と「厳重注意」の部分です。彼には彼の主張や思いがあり、自分には自分の感じたこと(思ったこと、自分の目にみえたこと)がある。そこには隔たりがある。ただ、隔たりがありながらも「違う」というメッセージを私に伝えたいという思いは双方にある。

それが改めてわかりました。彼ともいろいろありましたが、この状況においても私にメッセージを送って頂いたことはうれしかったです。

これから彼と何かすることはもう二度とないでしょう。一生、分かり合えないことも多いでしょう。しかしお疲れ様。メッセージありがとう。さようなら。


SNさんはこれから「私の非」を明らかにする文章を書くらしいです。

彼らしいなと思います。私は彼のことが嫌いだし、もう二度と会いたくもないです。しかし、そういう彼の一面からは「活動家」の片鱗をみることができます。そこには悔しいですが、人間味を私は感じます。

既に彼は私に対して「和田君は心が弱く、虚言癖がある。」と書いていました。結構な話です。私はそれをただの悪口とは受け取らない。私も彼のことを「アル中のコミュニスト」呼ばわりしました。なんというか、彼は私をそういう表現で侮辱しないと自分の正当性が保てなかったのでしょう。それは私も同じです。

だから「世界中のカラスは皆、白い」以上の虚偽を彼が言わない限り、彼の「私が正しく、和田は虚言癖であるという証拠」という趣旨の文言に対して、もういちいち反論しません。

いや、ちょっと違うな。この社会には自分と死んでも分かり合えない人はいるでしょう。私が「世界中のカラスは皆(アルビノなどの例外はあるかもしれませんが)、黒い」と思っていても、別の人には同じものが違うように見えているのかもしれません。白く見えているのかもしれない。

私は理性では納得はしないけど、そういうものなんだなと感情を働かせることはできます。すみ分けることもできるし、場を見て争うべきではないときは「この場のこの一時」くらいは黙って耐えることもできるでしょう。

まぁいい。私が言いたかったことは結局そういうことでした。分かり合えない人と分かり合えないことをしてもだめなのです。ただ、住み分けたり、遠くから互いの存在を最低限度は認め合う(殺し合いまでにはいかない)位はできると思うし、それはそれでいいでしょうと思うのです。


最後に一応、書いときます。

私は彼にうそつきといわれています。なるべく、正確に書きます。2018年3月の会議で私は「SNさんにプレッシャーをかけるためにも監査役が必要」と言ったのにも関わらず、私は当人には「努力目標です」と言葉を濁して伝えてしまいました。私はうそでなく、言葉を濁したという認識です。そこに私の悪意はなかったし、彼らに私の内面を裁いて「うそつき」と認定する権利はないでしょう。

そのことに対して、あの二人は「うそつき」といい、二人がかりで責め立て、私に無理やりその場で謝罪させました。私にも言葉を濁したり、その場で謝罪させられてしまった「心の弱さ」は確かにあったんでしょう。

しかし、そこで話は終わることなく、私に対して「お前には非があるんだ。私に対する背信行為だ。」と私に対して強く認識させ、組織内で私の立場を貶めるためにSNさんは数千字の文章量をもつ「和田君問責決議案」を翌月4月に作成した経緯があるそうです(SBさん曰く、問責の文章に対してはSBさんは「やり過ぎだ」と考えてくれたそうです。付記します)。

わたしはSNさんからアルコールハラスメントを含めたさまざまな「プレッシャー」をかけられていました。しかし、そのことが組織内で、2018年4月までは公には問題にならず、私の「一言」だけが問題視され、会議の中で「問責」を受け、人民裁判まがいのことをさせられそうになったという経緯は、理不尽極まりない物だと思っています。

少なくとも、自分はそういう認識の上に立っています。

彼は学識豊かな人間なので、これから彼なりのロジックを提示するのでしょう。彼が正当だと考えて、その根拠となる「証拠」も出してくるのかもしれない。

好きにすればいい。彼にはそうする意思なり、動機があるんでしょう。あの硬く整った彼の文章(彼の文章は中々、お上手です)を「私の非の追求」のために使うならそうすればいい。

しかし私はもう、これで終わりです。さようなら。

最後に皆さんへ。

この件に関わった我々はある意味では滑稽な存在です。もっとエネルギーや時間を割いて闘うべき物はほかにいくらでもあったでしょう。

しかし私は必死に生きてきました。間違いはあったかもしれない。しかし、それゆえの結果です。

彼らもそうでしょう。彼らが自分のことを「滑稽」と認めることは定かではありませんが、少なくともそういう認識を私は持っています。

さようなら。ごきげんよう。まだまだ寒いです。ご自愛ください。








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つくし

りべるたん顛末記

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