りべるたん 2017年度の記録

りべるたんは東池袋の街中で「共同運営実験スペース」という趣旨で運営されていた「異文化交流スペース兼シェアハウス」でした。あの場は「社会実験の場」としての機能をもっていました。

ゆえに共同体表という職責を一時でも担った自分は、その「実験結果」を社会に対して報告します。

この記録が、今までいろいろな形で「りべるたん」と関わっていただいた方への報告、そして新しく社会運動(とりわけ、オルタナティブ運動)を行っていく方々の参考になれば幸いです。

以下、あくまで私、2017年度の「共同運営実験スペースりべるたん」の共同代表 和田の史観で書きます。


章立てとしては…

1章 2017年度の報告。

①春から初夏。初期メンバーの離脱。

②6月から8月。窃盗の連続と「被害者優位」の確立。

③8月~2018年1月。パターナリズムの台頭とりべるたんイベント路線の不発

2章   「りべるたん」の中で私が「問責」されて、「処分」されたことについて。

https://note.mu/cramponasahi/n/n8cf5c07428a7

3章 「一人一票制」の弊害。私はなぜりべるたん内で「自主性」をもてなかったのか。

https://note.mu/cramponasahi/n/nce91e0067095

①自己分析

②「一人一票制」の弊害。私はなぜりべるたん内で「自主性」をもてなかったかについて

最終章 りべるたん顛末期。短めな最終話(これ以上はもうやりません)。

※前三篇の記述から数日後に書きました。https://note.mu/cramponasahi/n/n051fb6336572

1章 2017年度の報告

①春から初夏。初期メンバーの離脱。

2017年の春。私はりべるたんの代表になりました。前代表は菅谷さんでした。彼からりべるたんの運営を引き継いだことになります。

正確には共同代表で、もう一人は代表は井田さんです。りべるたん初のいわゆる「二頭体制」でした。井田さんは2015年度にも代表を務めていました。
井田さんは運動団体「直接行動(DA)」に所属するアクティビストで、国会前で反安保法案のハンストを2015年に行った方です。

私がりべるたんの共同代表になったとき、最初に持ち上がった課題は「菅谷対SN問題」でした。

りべるたんの経理を菅谷さんから引き継いだSNさんが「菅谷は経理を適当にしていた。」という理由で菅谷さんを主にメーリス上で一方的に糾弾したのです。

なお、菅谷さんはりべるたんの代表を長く務めた元学生運動家にして今は便利屋をしている方です。
SNさんは関西出身の学生運動経験者です。卒業後には、りべるたんメンバーにしては珍しく、大手企業のホワイトカラー的な職に就いた方です。

ここには恋愛関係が絡みます。運営者のWTさんをめぐって起きた2人の人間関係のこじれ、嫉妬という面もあったのでしょう。しかし、あくまでSNさんの菅谷さんを糾弾する理由は表向きは経理の件でした。

このとき、私の初動は遅かったです。
一応、私は当時、上大岡に住んでいた菅谷さんとアポをとって会ったことがありました。

その時の菅谷さんは「SNさんが過剰(何千文字という菅谷批判文をメーリスに複数回投稿するなど)に自分を糾弾するのに誰も自分を擁護しないのはおかしい」という趣旨のことを言っていたと思います。

仕方ないことですが、そのときの菅谷さんはかなり、冷淡であった印象があります。
そのあと5月に「りべるたんには以後、最低限しかかわらない」と菅谷さんが表明したのを覚えています。

私は悪かったと思います。この時期、すでにSNさんの狂気の片鱗は見えていた。しかし私はそれを重要視せず、鈍感に対応してしまった。これは私の落ち度でしょう。

ただ、その時の菅谷さんがあまりに冷淡だったのにはショックを覚えたのは事実です。
正直、この人は「広げた風呂敷」を押し付けたんだなと強く感じました。代表業としての引継ぎの内容も詳しく聞けないままでした。
要するに見捨てられたと思ってしまいました。

ちなみに菅谷さんだけでなくて、YOさん(タイへ)とWTさん(ドイツへ)もMR(写真家の弟子に専念)さんも増井さん(北海道へ)などそれまでりべるたんを支えていた人たちは、相次いで、しかも一斉にそれぞれりべるたんと縁遠くなってしまいました。2017年春はそういう時期でした。
過去の人が不在になり、代わりに熊本から東京に来たのがSNさんでした。

タイミング…悪かったと思います。これが後々のトラブルの原因となります。

ちなみに私には人間を信仰すると言う多分、悪い癖があり、具体的に私は今も昔も菅谷さんのファンだという面があるので…余計にこのころは落ち込みました。もちろんその後、菅谷さんに対する印象はかわります。それは後述に。

ちなみにSNさんは確かに経理の仕事には誠実に、そして正確に行ってくれていました。

もっとも、いつも彼の仕事ぶり誠実とは限らなかったです。彼(SNさん)の精神が不安定になると「仕事をしばらくしない→急にやる気になる→仕事をしばらくしない」の繰り返しでした。
とはいえ、彼のできる範囲では彼なりにまじめだったというのはわかってますし、そのこと「には」感謝しています。

②6月から8月。窃盗の連続と「被害者優位」の確立。

次にりべるたんで騒動があったのは6月の「KTさん事件」です。

KTさんというのはりべるたんに何年も住んでいる人で、社会運動の文脈とは関係なくただ、安いから住んでいるという側面の強い人でした。ゆえにほかの住人との交流もほぼなかったと思います。それが災いしたのか、6月の窃盗事件で窃盗犯と私を含めた皆が推測したのはKTさんでした。

事件は、KRさん(関西出身の調理関係の人。某左翼政党の活動家)が自分の財布から金が取られたと訴えたのが発端です。
SBさん(元福岡のシェアハウス運営者。広義の外山恒一界隈の出)は「持ち物検査」をしようと主張し、SBさんを中心に犯人探しが始まりました。

で、住人各位から聞き取りを行ったところ、状況証拠が固まり「KTさんが犯人っぽく、彼にだけはアリバイがない」ということになりました。

KTさんを夜中に呼び出して、緊急会議を行いました。私を含めた運営者で彼を問いつめたのを覚えています。
彼は一貫して否定し続けましたが、数の暴力で彼を追い出すことが決定しました。のちに書きますが、りべるたんの意思決定は運営者の過半が賛成することでなされてしまいます(3章でこの反省をします)。

私も含め、その場にいた我々は彼に「2週間後には退去する…という趣旨の念書」をその場で書かせました。そしてその念書を書いている彼の姿をスマホで撮影までして、2週間後にKTさんをりべるたんから放逐しました。

今から言えば、あれは正当ではなかったと思います。
ただ、私は「財布をから金を抜かれた被害者が居るんだ」という声に押されてKTさんを疑いました。

そして多数決で決まったからしょうがないと当時の私は考えて、彼を放逐しました。
要するにまぎれもない数の暴力によるリンチです。
いまさらですが、このことに対しては私は個人的に反省しています。

確か菅谷さんは「冤罪の可能性があるのでは」とメーリスに書いていましたが、われわれはそれを無視しました。同時にあの後も窃盗事件が続いたという事実を考えるとかなりKTさんには冤罪の可能性があったのではないかと思います。
われわれは間違った無実の人間を処刑し、住む場所を奪ったのかもしれないという後悔の念が今になってあります。

このころから運営者間の中に強い疑心暗鬼が生まれ始めました。
同時に「被害者なんだよ私は!」と声高に主張する人がその場のヘゲモニーを取ってしまう傾向がりべるたんの中で強まっていきます。


次に起きたのは7月の「鶴見さん対NKさん問題」。でした。

これは鶴見さん(関西出身の元学生活動家)が財布からお金を抜かれ、それをYTさん(文学少女がそのまま中年になったような方)のせいではないかという疑いを持ったのが発端です。
疑いを持ちつつも鶴見さんは、YTさん本人にはその疑念を話しませんでした。
しかし、その話をなんとなく聞きつけたNTさんがYTさんに「鶴見君が疑っているよ」と伝えてしまいます。

NTさんとはイスラーム学者の中田考さんが佐賀から呼んできた30過ぎの人です。「陰謀論」をたびたび口にし、さらにはネットに書き込むような人でした。「私はインテリヤクザに見張られている、盗聴されている」とたびたび口走り、さらには内臓や足がわるく、しかもたまに大声を上げてしまう人でした。NTさんはイランに留学中(2017年の7月には日本に一時帰国をしていた)の昔のりべるたん関係者にして、元国士舘大のSZさんの許嫁だったそうです。その関係でりべるたんに居住したという経緯があるそうです。

鶴見さんは余計なことをYTさんに口走ったNTさんに激昂したそうです。
NTさんはそれをみて恐怖を感じたそうで、SZさんともう一人の友人Tさんにそのことを伝えたらしいです。

3人で話すうちに「鶴見は悪人であり、ただちにりべるたんからたたき出すか謝罪させないといけない。私は被害者なんだ!」という結論になったらしいです。
ついにはりべるたんの会議の中でもNTさんは鶴見さんへの批判を開始します。
そのままでしたらおそらく、鶴見さんが追い出されていたことでしょう。
私も会議前後には、NTさんには「代表として鶴見を何とかしてほしい。私は被害者だ」と、SZさんからは「りべるたんの現状に失望しています」と強く迫られました。

会議で私は何も話すことができず、熱っぽく話すNTさんを前に傍観するばかりの私でした。
その時、会議にSNさんが登場。SNさんは「鶴見くんはお金を取られた上に疑われていてかわいそうだ」と主張しました。SNさんと鶴見さんは関西時代からの友人でした。

友人をかばうのは当然だと思います。ここまではよかったのだけど、その後SNさんは「ここに居る傍観者も共犯である。あなたたちも加害者だ」という趣旨のことを話し始めました。

そのあとSNさんに押し切られる形で、NTさんへの「なぜそんなことをしたのか」やまた、「NTさんはりべるたんの金を不正に流用しているのではないか」などの「ヒアリング」をすることになった経緯があります。ちなみに鶴見さんにもヒアリングをしました。友人関係のSNさんが…これも不公平でした。

結局、それは今思うといじめでした。その片棒を担いだのが…つまりヒアリングをしたのが和田と井田さんとKWさんでした。KWさん(大学院を休学後、りべるたんに滞在。りべるたんで知り合った人に影響されて、自らも障がい者福祉と労働問題のアクティビストになった人)です。

そんなことは頑としてはねつければよかったです。しかし私はそれを断れず、しかも井田さんにも「ヒアリング」に協力するように頼んでしまいました。

しかしあの時は結局「被害者が居るんだ」「お前は加害者だ」という趣旨の言動をされ、私はなにも抗弁することができず…ああいう悪事への片棒を担いでしまいました。

その時、もう鶴見君の存在すら空に浮いていて「あいつを罰しなきゃいけない」「被害者がいるんだ」というムードばかりが加速してしまったのを覚えています。
その結果、NTさんは出て行きました。

同時にNTさんを弁護した映画監督の早川さんとSNさんは口論を始め、その後ライン上で何万文字のやりとりを費やして争った早川さんも結果、りべるたんに居づらくなってしまいました。

もっともこれに関してはNTさんやNTさんをたき付け、扇動したSZさん、友人Tさんも悪かったのではないかと思う。あの3人は鶴見さんを傷つけ、処罰しようと企んでいたのです。

ともかくそうやって「被害者優位」のムードがりべるたん内で醸成されていきます。
私はそういう「代理戦争」の中で自分は何も指導力を発揮できなかった反省があります。反省の詳細は3章の中で分析します。

③8月~1月。パターナリズムの台頭とりべるたんイベント路線の不発

私は体質的にお酒を全く受け付けず、学生時代から酒の席には苦手意識がありました。特に酔っ払いの対応が苦手で、皆が酔っているのに自分だけ素面で…というコンプレックスをもっています。

さて、SNさんはそれ以降、明らかに酒癖が悪くなってきました。今までよりさらにひどくなってきました。SNさんの就労環境がこの時期、悪化していたという理由もあったらしいです。

私に対しても何度も「お前が悪いんだ、お前はわかってないんだ」という趣旨の話をりべるたんの居間や近所の中華料理屋で重ね重ね伝えてきたのを覚えています。

最初は「そうなのか。私が悪かったのか」と私自身は思ってしまっていたのだけど、だんだんこの人は「狂気」の持ち主なのではないかと気づいて、恐怖しました。
同時にSNさんが私を攻めた立てるとき、その場に居たりべるたんメンバーは何も言わずに見てみぬふりをするような感じになってきます。

10月ごろでしょうか。
確か複数回、私がSNさんに深夜に責められた際、その場にいたTZさん(福祉系のアクティビスト)、KWさん、YTさんあたりの人が(正確には覚えていないけど)は間に入ることもなく、SNさんの罵声にただ無言で頷いているばかりでした。それどころか「和田君も悪いところもあるよね」と同調するようなことをいう人までいってくる始末でした。

ちなみに同調した人間は、のちに私に対してSNさんの悪口を言ってきたことがあったと覚えています。
いわれっぱなしの私も正直、情けない限りだけど…それに同調する人間も人間だと思います。
今思えば、目の前に酒乱の人間の暴走したアルハラめいたパターナリズム一つに抵抗することもできず(私もですが)「よくもまあ政権批判だの沖縄や韓国の問題に首を突っ込めるなぁ」と思ってしまいます。

要するにアルコールの入ったSNさんの独演会が以後、りべるたん内で何度も発生しました。 特に和田、KWさん、KRさんは複数回もSNさんに絡まれています。

私もSNさんがKRさんを泣かせるまで絡んだ日(SNさんはKRさんに対して、「熊手を買うのは左翼としてどうなのか。彼女が所属する某左翼政党の「〇〇の〇〇○論」という方針ついてはどう思うか」という理由で彼女を問い詰めるという下らないことをしていました。)には私なりにそれを止めようしましたが、全くダメでした。私があの時、十分、KRさんを庇うことはできませんでした。私は無力でした。私はまた負けました。

あと、SNさんは井田さんにはめったに絡みませんでした。
これはおそらく、SNさんには学生運動の挫折経験があって、学生運動家には強く出れなかったのかもしれないという推測があります。同時に彼は大企業のホワイトカラーでした。職場の労働環境に不満を持ちつつも、自分の社会的地位を容易に否定できないという矛盾を抱えていました。

彼は確かに学識は優れており、またワードやエクセルの使い方など、社会人スキルも高いレベルで有していました。その瞬間、瞬間の弁は立ちました。ただ、少なくとも彼は自らが見下している人間に対しては一貫として冷徹な人間でした。

ソ連にいた質の悪い飲んだくれの名ばかりコミュニストの政治将校ってきっとこういう人間性の持ち主だったんだろうなと、彼に対しては私はそういう印象をもっています。彼に対しては、腹が立ってしょうがない。一回泣くまで問い詰めて、謝罪させたい。それから新しい人間関係を築けるならその時初めて考えてあげてもいい。

結局、彼は人を見て、酒を飲み暴れるのです。彼のはただの酒乱ではないと思っています。そういう経緯で、私は彼に対する同情も共感の念も完全にすり減らしてしまいました。

ここからSBさんが話に本格的にかかわってきます。
今までSBさんは東十条のシェアハウスとりべるたんの両方に居住していました。しかし、10月くらいからりべるたんに絞って、住むようになってきました。

SBさんは福祉の現場で働きつつも、その仕事の合間の時間には「特殊なお金儲け」をよく行っていました。彼はその内容をヒトに話すのが好きなタイプでした。彼はいわゆる左翼でもなく、自営業をするタイプでもなかったです。「アレ」が、本当に儲かっていたのかは定かではありません。

このころからSBさんはたびたび、私を遊びに、あるいは「りべるたんの話し合いをしよう」という体で私と日常的に接するようになります。

SBさんは福岡のいわゆるヤンキー文化の中で生まれ育った人です。
福岡の親不孝通りのクラブに入り浸っていたと本人から聞きました。また、中州でホストをした経験があるようです。

ちなみに私はSBさんの福岡帰省に同行し、彼と福岡の街を歩き、彼の昔の仲間や実家のお母さんに挨拶をしたことがあります。SBのお母さんの朝食のサラダはおいしかったです。ゆえに彼の背景は何となく私にはわかります。

彼にはそういう経験が背景にあるのか、「男性的な美意識を重んじる」性格の持ち主でした。
特に先輩、後輩意識やエイジズムから来る「年下は敬語を使ってほしい」等の主張があった人でした。
りべるたんのことを私との会話の中で彼は「家」と呼んでいましたのも覚えています。
そこには今思えばパターナリズム的な要素があったのかなと思います。
一方で居住者との交流を好んだり、東池袋のご近所活動を積極的に行ってくれる側面もありました。

ちなみにりべるたんの近くに居住していて、夫婦でりべるたんの運営に携わってくれていたM夫妻などがいました。M夫妻を始めとしたりべるたんのメンバーは、新大塚のたこ祥という居酒屋によく通っていて、そこの常連客と顔見知りにもなっていました。

確かにある程度の地域に住む人たちとの関係はできていたと思います。
しかし、SBさんはりべるたんの持つ「イベントスペース」の機能には懐疑的で、りべるたんが主催するイベントにも熱心には参加はしない、イベント立案もあまりしない人だったと思います。

だからこその「家」という呼び方だったのかもしれません。
そういう呼び方をする人はあまり居なかったので、最初は驚きました。
しかし、確かにりべるたんはシェアハウスの機能をもつ「住居」ではあるので、彼の言動には違和感あれど、その時は静観しました。

SBさんはのちにりべるたんの次の代表になります。ゆえに彼のことは後で詳しく書きます。
この秋から冬の時期は比較的問題がありませんでした。SNさんは性格の波が激しく、このころはりべるたんにあまり姿を見せず、見せても抑うつ状態な様子で無口なことが多く、寝言で唸っていたりしていたのを覚えています。

この時期には、りべるたんは毎月のように「イベント」を繰り返しました。
なお、SBさん、SNさんは「りべるたんの外から人を連れてくる」「イベントを主催して人を集める」というテーマにはあまり関心がなく、ほかの10近いた他の運営者もそう熱心では無かったです。

りべるたんを「社会」と繋げよう、たくさんの人を連れてこよう、りべるたんの人的な意味での風通しをよくしようと一番、やっていたのが多分、私でした。

学生運動の文脈がありたびたび人を連れてきてくれた井田さんや鶴見さん、障がい者の自立生活運動に関心を持ち、りべるたん内で福祉系のイベントを主催したKW君などもりべるたんを外に向けて押し出すことに熱心でした。
私は彼らを「りべるたん営業職」と呼んでいて、感謝していました。
正直、秋の時点で既に私はりべるたんの中にパターナリズムが蔓延していると感じていました。

それもかつての運営者である矢内さんが「預言者」を名乗り、興した新興宗教のような先鋭化した要素(矢内さんの行動は究極のパターナリズムであったと思います)もない…ありふれた…よくあるつまらなく陰湿なパターナリズムです。

前年の2016年くらいから続いていた傾向として、りべるたんには居住者と決まった人しかなかなか来ない状況でした。
交流スペースとしての機能は設立当初に比べると半減以下になっていたと思います。

人間関係の広がりがなく「文化交流スペース」としての機能を十分りべるたんは果たしていないという課題がありました。
だから私は、せめて風通しをよくしようと考えたし、新しい人間を入れないとりべるたんの古株メンバーの力関係が固定化して、パターナリズムの傾向が強まってしまうという危惧をもっていました。

そもそもりべるたんは交流スペースとしての側面が以前はもっと強かったのです。以前のりべるたんの状態に近づけるため、私は奔走して、りべるたんに来てくれそうな方と連絡を取ることに必死でした。

私は幸い、オルタナティブ運動にかかわっている知り合いが多かったということもあり、社会問題に造詣が深い、沼田和也牧師、日本映画大の学生運動家、作家の勝山実さんといったゲストを招待して、交流イベントを何度も行いました。

同時に大塚や池袋の街に繰り出して、街中で鍋(路上鍋)を行って、街頭に向けて「りべるたんここにあり!」とその存在を訴えたりもしました。
その結果、ある程度の活気がりべるたんに戻ったと思います。人もある程度は出入りしてくれるようになったし、SNSでの反応も上々でした。

しかしそれは一過性でした。イベントというカンフル剤を売ったときにだけ、それぞれの界隈や呼んだゲストのファンが訪れるという様子でした。

新しいメンバー、新しい風、新しく持ち込まれてくる文化を十分に私は代表として集めて、生かしていくことはできませんでした。
むしろ、りべるたんではいよいよ閉じた空間の中で蔓延るパターナリズムによる疑似家族化が進んでいきました。

酒癖が悪かったり、語気の荒い人がその場の空気を握ってしまいました。
代表の私は最初こそ止めましたが、語気の荒い人にまくし立てられるように責められたりするとすぐに沈黙をしてしまうことが多かったです。ここでも私は負けました。

ちなみに私にとっての共同代表の相方である井田さんは、たまに様子を見に来てくれましたが、様々な社会運動にかかわっている彼は多忙なこともあって「りべるたんにたまに来てくれる人」という存在でした。

もっともコレに関しては一応は居住者として、現場にいることが多かった私が井田さんに十分、状況説明をしていなかったというのも一因かもしれません。
そのころのりべるたんはいよいよ居住者とたびたび訪れる常連の運営者のモノという側面が強くなりました。

先述したように昔の運営者も遠方に移り住んでしまい、昔からの方だとたまにMRさんが様子を見に来てくれる程度という状況が続きました。
かつての運営者との関係も没交渉気味になり、さらにはかつての運営者が関わっていた社会運動とのつながりも薄れてきました。

そんなりべるたんを心配をしてくれたのが元運営者の矢内さんでした。
彼はそのころはすでに新興宗教の教祖をやめて、実業家として豊島区要町で「イベントバーエデン」を開いていました。
その矢内さんから私と井田さんにエデンの中で「りべるたんバー」というイベントをやらないかと呼び掛けていただいたことがあります。

イベントはさせて頂きしました。11月と2018年の1月の確か2回です。その時は和田、井田さん、SBさん(彼にはホストの経験があり、酒の造詣は深かった)が、一日バーテンを担当しました。
私は全く飲酒をしないこともあり、酒の種類も飲み方もいまいちわからなかったので、二人の存在はありがたかったです。
エデンでイベントを開いたことは無駄ではなかったです。

お店に来訪してくれた群馬の「たむろ荘」の本田さん、秋山さんとの交流が深まるなどのいい影響もありました。

しかし、本質的な「風通しのよさ」にはまだまだつながりませんでした。
代表の私はりべるたんを「文化交流のスペース」と十分に演出することすらできず、春を迎えます。

ちなみにこのころ、様々な方が突然とりべるたんに来るようになります。男性の方が多かったのだけど、女性もいくらかは含まれていました。
特に生活に困窮していた人が多かったです。これは「脱貧困ブログ ― 駆け込み型シェアハウス」というサイトにりべるたんが掲載されたことが理由です。

私の知り合いで2017年秋にりべるたんにゲストとしてお呼びしたこともある、NEET株式会社の仲陽介さんがブログで我々を紹介してくれており、それを見て来た方もいたと記憶しています。

今思えば、人はある程度は来ました。しかし来てくれた方々はりべるたんの「文化交流スペース」という側面には関心を持ってはもらえませんでした。
来訪者には当然、そんな余裕はなかったのでしょう。仕方がないことなのだと思います。

そういう趣旨で来てくれた方はりべるたんの「安く泊まれる」という機能を利用することが多かったです。ちなみに一泊700円でした。居住費は光熱費込み月額25000円です。

私やKWさんが主に来訪者の相手をしました。しかし私たちはりべるたんの文化を伝えるどころか、ますます余裕の無い方向に引っ張られてしまったのかもしれません。
基礎知識がないと緊急を要する生活に困窮した方と話すのは難しいと実感しました。

そういう趣旨でりべるたんを利用した方々は、数日宿泊した後、別の知り合いや福祉の場につながったらしいです(私たちも「反貧困ネットワーク」関係の団体の連絡先を来訪者に伝えたりしました)。

その後、来訪者の多くとの連絡は途絶えてしまいました。
まぁある意味、人助けになったのでしょうか。それが本当にいいのかはともかくとして…も。

そこから始まる社会運動という形態もあったんだと思います。例えば。居住の問題や貧困の問題を当事者と考え、共に行動していくような内容のものをするという手もあったのでしょうね。しかし当時の私には力量が足りず、来訪者の多くをりべるたんの文化に巻き込み、そこから始まる「何か」を見つけることに失敗しました。

ただ、あのころ来た人の中には以降も関係が続いた人もいました。例えば、ひきこもり界隈でよくイベントを主催するKGさん、TNさんと芸術家の柳川たみさんです。
TNさんはりべるたんの居住者(さらには後、彼は若手の左翼アクティビストとなっていきます)に、KGさんも運営者になりました。

このころのりべるたんの試みには多少の成果はあったのかしれません。しかし、本質的な解決や新しい文化の醸成をすることには到底及びませんでした。

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つくし

りべるたん顛末記

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