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「焦煙」2/27

          二、
 一九四六年(昭和二一年)五月一日、東京。
燻煙の匂いが未だ立ち込める東京市内にあって、この一帯、広大な皇城の森、堀の水の緑さ、そして丸の内一帯のビル街は、数ヶ月前まで空爆に晒され、見渡す限り焦土と化した周囲の光景とは全く別世界の観がある。しかしこの一画、ほとんど全ての建物は、GHQにより強制接収され、GHQ関連部門がそれぞれを占拠し、頻繁に出入りするのはアメリカ軍将校か迷彩服の兵士、もしくは軍属の職員の姿だけであった。
 今やこの一画こそが敗戦国日本の行政、立法、司法の三権、そして経済、文化、教育あらゆる分野の中枢となり、この一角のほぼ中央、前面に堀を挟んで皇城と対面する第一生命館にGHQ本部が設けられていた。その第一生命館の一室にタナカはG2キャプテン・ギャルソン准将を訪ねていた。
 大男ギャルソンは窓際にやや猫背に曲がった背を向けて立っていた。オーストラリアの米海軍基地に彼を訪ねて以来ほぼ二年経っていた。別にこれと云った変化はないがタナカは彼の大きな背中にふと老いのようなものを感じた。
 GHQは、特にGS(幕僚部民政局)主導の下、占領日本の地に、旧勢力、旧権力を駆逐するために、自由主義、民主主義思想を日本国民に広く頒布し、その思想実現の一例として共産主義思想も利用して日本の平和的統治に努めていた。その一環として今日五月一日を、一〇年振りとなる復活メーデーを許可したのであるが、当初予想した三十万人を遥かに超えた五十万の労働者が皇城広場前に集結した。
 赤く染めた旗幟を振り、労働歌を歌って腕を組む五十万もの労働者が道路を占拠するなか、タナカはいつも引き連れる黒人MP兵の運転する米軍ジープで到着した。作為され、演出された祭りに騙されてひとときの「自由」を謳歌する赤い大群衆の中を軍用ジープはその特殊な形状、日本人には馴染めぬ車体色が、一々警笛鳴らさずとも人々を威圧して路をあけさせた。
 大歓声が轟き、窓ガラスが地震のように振動して鳴った。
人、人で埋め尽くされた皇城前広場。そのほぼ中央部にステージ、一人の、小柄な男が舞台中央、十数本のマイクロホンが並ぶ演台に立った。大歓声がどよめいた。
「トクダ…」
タナカはギャルソンの横に立ち、皇城前広場の大群衆を眺め下ろしていた。タナカは徳田の存在を知っていた。知っていた、と云うより、徳田球一がつい先日十八年間の牢獄生活から解放され、やはりつい先日中華民国から帰国した野坂参三と合流して、アングラ的存在でしかなかった共産党を合法的に政党として認可されて以降共産主義的労働組合設立に尽力していることも含め、彼の日常生活の隅々まで密偵させて熟知していた。
「方向が違う…奴らには何も解っていない」
ギャルソンが云う「奴ら」とは幕僚部内民政局(GS)のことを指し、「方向が違う」とはその民政局が指導し誘導する日本占領政策が間違っていると指摘している。
 タナカは現在G2(参謀第二部・諜報部)傘下、東京CIC(日本を六軍管区分に分けた、関東軍管地方本部、諜報・密偵を主務とする)内に設けられたガルシェン大佐を筆頭とする特務機関に所属し、G2が名指しする人物の周辺、身辺調査を命じられて暗躍する任務についていた。軍事に直結する参謀部と民政を管掌する幕僚部とは元からその施政方針は違い、GSとG2が悉くに、勢力争い、手柄の争奪戦的な面を見せて対立していることはタナカも理解していた。
 しかしタナカにはそんな権力争いには興味はなかった。例え如何に手柄をたてようが、それは上司の、いずれ本土に凱旋した際の彼らの年金の額高、地方議員立候補へのほら話に利用されるだけのことである。現実に終戦ほぼ二年経った今なお、ネバダの砂漠にある収容所に両親、祖父は未だに拘束されたままであり、ヨーロッパ戦線でドイツ軍相手に如何に奮闘しようが日系人への仕打ちに、その没収された財産の返還、市民権回復に何の効果ももたらしていないことに、タナカは彼ら白人世界、アメリカに対して不信する部分が芽生え始めていたのである。
 徳田球一、野坂参三を筆頭とする共産党員、その活動についての調査はギャルソンには別途書面で報告済みである。それ以上に今現在これと云った報告に値する事項もないし、改めて詰問されるような新事実の発見もない。今日の、直属ガルシェン大佐の頭越しの出頭命令は、確かに香港経由で赴任しその報告にG2に出頭した際、いつ何時の出動命令にも、系統を無視した発令もあることも、そしてそんな特殊な立場にタナカが在ることを理解し準備に怠りないようにと言い渡されてはいたが、いったい何事かとタナカは訝しがっていた。
「あの男に会った…彼には私の意志を伝えた…彼はサムライだ…」
皇城広場前のステージで徳田の声がスピーカーから空に向かって割れるような音声で吐き出され、徳田が拳を挙げた。呼応して群集はシュプレヒコール。一〇年振りに復活したメーデーは官憲から、一切検束しないことが事前に表明されていて、政府批判、労働者権利の擁護、賃上げの要求を声高々、激して叫ぶも、その端を黒い制服の集団に割り込まれて群集が乱れることはなかった。
「あの男…サムライ」
とは香港憲兵隊から送還し、現在東京・巣鴨収容所に監禁している相田元憲兵軍曹のことを指す。戦犯としての相田をこれ以上に監禁拘束する必要など全くなかった。首根っこを掴まえ、収容所内処刑室に引き摺り出していくだけのことである。香港収容所捕虜の中から選抜して日本に連れ帰ってきたこの男を起用するための、今まだその形も定かではないが、舞台が、脚本が出来上がるまで生簀で活かしているのである。
「私の意志を伝えた…」
大男ギャルソンは相田に彼の「意志」を伝えたと云う。大男ギャルソンはタナカから相田に対する評価を聞いており、タナカが鑑定し評価した通りの人物かどうか、この元憲兵軍曹が果たして役にたつ男かどうか彼自身が判断するために直接面会したことを物語る。
「意志を伝えた」
彼も相田をタナカ同様に高く評価し、その結果、相田に「意志」を伝えたのだ。「意志」とは即ち、相田が今後立ち居振舞う舞台が用意され、そこで相田が演じる「役割」を指す。
「あの男はその夜、家族の住む東京には寄らず、直接福島に発った」
檻から放たれた相田の背後に二四時間監視の目が付いたのだ。
 大男ギャルソンが相田のために用意した舞台は東北・福島だった。ギャルソンは相田のために如何なる脚本を、如何なる役を提供したのか…
「福島に赤い風が吹いている。今はまだ弱い。だが放置すればやがて大荒れとなる。我々はヨシダに策を授けた。「定員法」(註:行政機関職員定員法)だ。これは国鉄改革のためだ。国鉄は復員者を抱え大量の過剰人員により経営が悪化している。そこに共産党の狗どもが巣食った。今や国鉄労組はアカの巣窟と化した。我々は国鉄改革により国鉄に対し独立採算制を強制する。国鉄は経営合理化と採算性回復のため「定員法」を利用して大量に職員を馘首する。当然国労は反発する。今は小さな赤いつむじ風も忽ちに膨張して嵐のように吹き荒れよう」
東北・福島はいまや日本の労働運動の一大拠点となりつつある。中でも国鉄労働組合福島支部と東芝労組松川支部労組員の活動の激しさは連日新聞紙上を賑わしている。今、大男ギャルソンの横に並んで見下ろす皇城前広場の大群衆の中にも当然彼らも大挙参加している筈である。
「定員法」は既に今国会で法案が提出され、野党の反対を押し切って強行採決、来年六月一日に施行される。
猟官運動功奏し昭和二一年五月、内閣総理大臣の椅子を射止めた吉田茂はGHQが突き出す無理難題に決して「NO」と云わないことはGHQ幹部の誰もが知っている。彼は良く判っていた。「NO」とひとことでも彼の口から洩れて出れば漸く手にした総理の椅子に明日の夜明けには別人が座っているのである。それどころか彼の首に太い紐が巻きつけられ、体が宙に浮いてしまうのである。吉田に代わる誰であろうとも「NO」とは絶対に云えないことを吉田はよく知っていた。だから彼も「NO」と云う必要など全くないのである。ましてやGHQの命令、指図に対し「NO」と絶対口にしてはならないことをこの日本の国で一番良く知っているのは当の吉田であった。その吉田に第二次吉田内閣を今年発足させることはGHQでは決定済みであった。
 タナカは「定員法」がどんな意図をもって国会に法案提出されたのかよく理解っていた。大男ギャルソンは云った、「赤い風」。「赤い風」とはソヴィエトによる日本占領のための、日本の国家体制破壊活動のための思想なのである。アカに洗脳され感化された党員が各地各種労働組合で労働争議を激しく論じ、騒ぎ立て、誘導煽動して完全なる日本の赤化を目指しているのである。
 皇城広場前、大群衆どよめく歓声の中、壇上を降りる徳田球一、代わって演台に向かう野坂参三、この二人は赤い風、日本共産党の両巨頭である。
各労組にカビのようにはびこるこれらアカかぶれ共を追放するために策案されたのが「定員法」の正体である。当然彼らの激しい抵抗が予想され、今眼下に群集する人々が、振り上げる拳が日本政府、GHQに向かって突きつけられるのは必至である。
 赤い風、赤い嵐が吹き荒れる真っ只中へと、あの男、相田元憲兵軍曹は単身送り込まれたのだ。彼はどんな謀略を画くのか…
「あの男はサムライだ」
相田の、あの蒸し暑さの中、香港憲兵隊兵舎二階通路をMPに連行されて取り調べ室に向かう相田の、どこか毅然とした、しかしどこか悲哀を滲ませる後ろ姿をタナカは思い浮かべた。
「奴らのこの失態を、無様なこの失政をオヤジは非常に苦慮している…」
「奴ら」とは幕僚部民政局GSのことであり、「オヤジ」とは、GHQ最高司令官マッカーサー元帥のことである。タナカはマッカーサーが厚木飛行場にバターン号から、口端にコーンパイプを咥え、いかにも田舎芝居然としたポーズでタラップを降り立つ新聞写真を見た時、チっと舌を鳴らした。この老将兵は何をするにも芝居がかり、その台詞が本国のラジオニュースからアメリカ全土に流されることを意識し、パイプを咥えて占領地日本を睥睨するかのようなその姿が数日後全米全ての新聞一面に掲載されることを計算してのポーズである。この老兵のドサ回りの芝居役者のような勇姿を演出するためにアメリカ兵が、日本兵が、無数の若者が、罪のない人々が焼けた灰に、燃え盛る炎に追われて命を絶ったか、この男の脳の片隅にもそんな配慮はないのである。
「オヤジも非常に苦慮している…」
占領政策の失態、失政は、マッカーサーの野望実現にとっては致命傷となる。GSのまるで地上天国創造を夢見るような愚策の結果、僅か半年で、この日本全土に赤い風が吹き始め、小さな赤いつむじ風が舞い、やがて巨大な竜巻となって日本を真っ赤に染める勢いを見せ始めているのである。
 スターリンも、毛沢東も、金日成も、チャーチルでさえも、アメリカの富と軍事力に於いて勝る力を持ち得なかった。為に、GHQは大根役者が一人芝居する独壇場と化し、全て彼の意志によって運営し勝手気儘に日本を統治しているのが現状である。だが赤い国の百姓共は決して諦めた訳ではなく、虎視眈々と利権奪取を狙っているのである。その第一歩が日本の赤化。赤化により日本の国体を容易に破壊することができる。その為に、アカは、過剰人員で溢れ、解雇の嵐吹き荒れる国鉄労働者、炭鉱労働者に狙いを定め、彼らに赤い毒入の餌を渡して手なずける方法を採ったのである。それが愈々功を奏しつつある。 
 
 マッカーサーは、如何なる舞台が、歴戦の英雄、イギリス貴族の血をひく自身に最も相応しい舞台であるか良く理解していた。そして近い将来その輝かしい舞台に立つことに激しく野望を燃やしていた。その野望を実現する為には些かも彼の名誉を傷つける、例え小さな失点、些細な失敗であろうとも許してはならないのである。彼が今アメリカ全土に向けその勇姿を、その力を誇示するための最高の舞台となるべきこの占領地を、あろうことか無知のアカい奴らが真っ赤に染め、赤い泥をマッカーサーの顔に跳ね上げようと企み、そしてその赤い軍隊をこの我が独壇場であるべき舞台へ誘こうとする不届きな奴らが存在したのである。絶対に有り得べきことではない。マッカーサーには、幕僚部民政局GSの不埒な動きの後ろに、奴らを陰で操りけしかける、赤い衣を被った宿敵民主党トルーマンの姿、顔が見えていた。
「我々の究極為すべきこと、我々がオヤジの為にしなければならないこと、そしてそこで何を為すべきか今更君に云う必要はなかろう。ここでは何事に於いてもオヤジの意志が最優先されることを肝に銘じることだ」
大男ギャルソンは眼下、皇城前広場を埋め尽くす労働者の群れを見つめたまま、云った。
 
 一九四八年六月、マッカーサーは次期アメリカ大統領候補を選出する共和党大会で歴史駅惨敗を喫した。有効投票数一〇九四票の内、僅か一一票しか取れなかったのである。マッカーサーは太平洋大海原の遥か東の大陸に向け、彼による日本占領統治は非常にうまく行っていると盛んに宣伝した。だがマッカーサーの宣伝文句の一言一言はアメリカ本土では全て拒否され、否定されていたのである。宿敵トルーマンは、英国貴族であり、ルーズベルト、チャーチルの縁戚であることをあの鷲の嘴のように曲がった鼻柱に、また大時代的な舞台役者を振舞うマッカーサーを徹底的に毛嫌いし、ましてこんな田舎者丸出しの大根役者にフィリピン・コレヒドールから日本軍の猛攻撃を受けて敵前逃亡した際にも、
「I Shall be back」
と大見得切った大ばか者に負けてはならなかったのである。トルーマンはマッカーサーの大統領選出馬を聞く前から彼の無能を逆宣伝していたのである。
「日本はいまや、アカの巣食う島となった。アメリカが数年を費やし、多くの若者を犠牲にして占領したあの島国は、またもあの男の無能のお蔭でアカどもに奪われてしまったのだ。あの男がいかに大ばかで無能であるか、彼の国の、ただの小さな一つの組織でしかない国鉄の実情、失態を挙げるだけで証明出来るのだ。今やGHQは一本の列車の運行時間さえ、アカに牛耳られ、乗っ取られて更えることすら出来ないのである」
マッカーサーは惨敗した。マッカーサーの栄光の歴史のなかで、コレヒドール脱出以来二度目の大きな汚点となった。マッカーサーは思い知った。遥か海の彼方の島国で如何に我が功績を声高に叫ぼうが決して大海原の彼方には届きはしないのだと。
 名誉挽回、起死回生を期し、そして栄光の舞台に歓喜の声と割れんばかりの拍手で迎えられるためにマッカーサーが次に考えたのは朝鮮半島に於いて三再び英雄になることであった。朝鮮半島に於いて、俄かに勢いづく金日成を叩き潰し、そこへ毛沢東の赤い百姓どもの軍隊を誘き寄せ、スターリンの赤熊の兵隊どもを罠に陥れて一網打尽にアカを殲滅し、朝鮮半島白山の頂に、あの戦艦ミズーリ号艦上に於て全権・重光葵、梅津美治郎に降伏文書を突きつけたときと同様に、星条旗を今再び翻すしか、宿敵を、マッカーサーの立つべき舞台から引き摺り下ろし、代わって花道から登場するためには他に道はないと考えたのである。
 対ソ、対中、対北鮮戦争は既に準備段階に入っていた。世界は第三次世界戦争勃発を危惧しているが、マッカーサーには望むところであった。今地球上で軍事力比較において米軍に敵する力を持つ国は存在しないのである。今なら地球人類史上誰も成し得なかった世界制覇さえ夢ではなかった。
 
 
 数日後、タナカはギャルソン准将の執務室を訪ねていた。あの「復活メーデー」を窓下に見下ろしていたと同じように大きな背中をタナカに向けていた。タナカは何故か、久しぶりに見るギャルソンの大きな背中に、哀愁のような、老愁のようなものをより強く感じた。
「君に鉄道輸送管理部門担当を命じる」
ギャルソンは間をおいた。
「君のこれまでの功績は大いに評価し感謝している。本国に戻って然るべき地位を与えてやりたいが、他に信頼するに足る、オヤジの力になれる人物がいない現状では、君にもう一働きして貰うしかない」
タナカは黙したままギャルソンの背中を見つめていた。
「昨夜、オヤジはヨシダとオオヤ(運輸大臣)を呼びつけた。何たるザマだと二人を罵った。ヨシダが部屋を出る時オヤジはあの小男の背中に向かって云った。君が今なお生かされている理由をもう一度考え直すべきだ、と」
タナカは今名前の出た吉田茂とオヤジことマッカーサー元帥の二人を比較して考えたことがある。以来二人の挙動は全く正反対である。片や常に「HERO」であることを演じてアメリカ国民の期待を煽動して明日の栄光を願い、片やひたすら「忍」を演じ、「NO」と云えない悲劇の、苦悩の宰相を演じて日本国民の同情、憐憫を乞い、将来の「名宰相」の称号を希む。だが、その本質は全く同じだとタナカは見抜いていた。二人とも名門出身の血が流れていた。その血の色に二人は人生の成否を、誇りと自信をもって賭けていた。立場は全く逆であった、だが二人は長年の友のように親密であった。マッカーサーがその親友を面罵したと云うのだから余程思い詰めてのことに違いない。
 対ソ、対中戦争遂行のためには日本の鉄道網、運行管理権限を完全に掌握することは絶対必要最低限の政策である。即ち、戦車、大砲等の運搬、兵士、武器弾薬の輸送、移動には鉄道は絶対に欠かせないのである。そして鉄道運行の全てがアメリカ軍の指揮下に在るべきなのである。そこにアカく染まった蚤や虱、鼠が巣食っていることは絶対にあってはならなかった。
 大男ギャルソンは、あの日、大群衆が興奮の坩堝に在った、しかしそんなことなどまるで嘘のように静まる皇城広場前一帯を見下ろしている。
 鉄道輸送部門は参謀部とは命令系統を異にする幕僚部民間輸送部門CTSが管掌する。そこへの転任、そこでの活動は、幕僚部からの激しい抵抗、そして国鉄労働現場を支配する労組員からの抵抗が予想され、非常な困難が待ち構えている。だが、タナカに課された秘密任務成就のためには、CTS掌握は絶対に必要不可欠であった。タナカはここへの転任をギャルソンに自ら願い出ていたのである。  
 不安はある。しかし大男ギャルソンは云った、ここでは何事にもオヤジの意志が最優先されるのだ、と。即ち、絶大な権限がタナカに付与されたことを意味する。
「明日、CTSの責任者シャグノンが私を訪ねてくる。彼を君の支配下におく」
タナカは現在、GS側即ちG2に敵対する幕僚また軍属の、日常生活を監視することを主務としていた。タナカの暗躍により彼らの不正行為を摘発、暴露し、時には捏造して果てに本国へ強制送還することでG2は権限の寡占、拡大を狙ってきたのである。タナカがCTS(民間輸送部門)局長の素行を密偵している時、このシャグノンを見掛けたことがある。CTS局長に付き添って国鉄を訪ねたこの男は国鉄幹部にやたらと威張り散らしていた。この男のことを即座に調査した。男は、元はアメリカの、イリノイ・セントラル鉄道とか云う、地方の小規模鉄道会社の、しかもただの主任か課長程度の男であった。だが入隊して、どんな縁があったのか准将ウイロビーに拾われ、GHQ内民間輸送局に赴任し、局長デ・グロードの下で働いていた。だがまるで万能の神、征服者の如くに日本人国鉄幹部や上級職員を怒鳴り散らしていた。シャグノンの大音声が部屋の外に響いた、
「元帥は日本の天皇の上位に立つ、即ち神を超えられた。この私は、国鉄の元帥だ、誰も私に逆らうべきではない。国鉄はマイレールロードだ」
そして国鉄幹部が何かを提案するとその全てを
「プア・マネージメント」
だとひとことで貶し、一顧だにしないのである。当然、日本人幹部からは毛嫌いされていることもタナカは調査して知っていた。
 
 タナカはこのGHQ本部のある第一生命館のみならず周辺の、ほぼGHQ官庁街と化したこの丸の内一体に出入りする人物の、少なくとも上級軍人、職員についてはその名前、経歴をほぼ掌握していた。同時にタナカはこれら上級将校、軍属、政府役人、また民間から雇い入れた職員に或る一つのことが共通することを見抜いてもいた。それは彼らが決して一流ではなく、精々二番手か、大半がさほど大した人物、経歴の持ち主ではなかったのだ。不思議な気がした。しかし考えれば、それも当然に思えた。太平洋を挟んで対岸の、しかも野蛮国への、周囲殆ど未開の朝鮮半島、支那大陸、そしてシベリア。そんな地の果て、水平線の遥か向こう岸への赴任はエリート達にとっては願い下げである。また、本国政府にしても、勝利したとはいえ、欧州戦線、太平洋戦線二つの強国を相手に地球の半分に拡大した第二次大戦直後であり、国力復興のためには大事な時期であり、本国内に留まればそこには更なる選良、選抜の機会が溢れ、商機に満ちているのである。
 つまらぬ男、それがタナカのシャグノンに対する印象であった。そんな類の将校、軍属がこの界隈には大勢いる。
「タイムリミットは来年六月一日とする」
一年後、一九四九年、昭和二四年…
「アシダを潰す。ヨシダに第二次内閣をこの秋に発足させる。内閣は我々が指名した人物で構成する。「定員法」を可決させ、翌年六月一日に施行する。あの男にもこの日を目標に計画実行を命じた」
やはり今回も吉田は次期閣僚人選についても「NO」と云わなかったのだ。「NO」と云わない代わりに「YES」と云う義務からも解放されていたに違いない。「YES」と云っていないと言い訳出来る逃げ道を例の如くGHQに用意して貰ったのだ。
 現実に第一次吉田内閣はその閣僚をGHQの指名を受けて構成していた。その大半は元官僚である。次期内閣においても指名されるのは「官僚出身者」であり、彼らはGHQにとって最も御しやすい人種であったと認められた結果である。餌をチラつかせてやればすぐに食いつき、脅せば忽ち尻尾を巻く習性を評価されたのである。閣僚、官僚、役人どもに目や、鼻、口、耳は不要なのである。気骨のある人物等は絶対に不要である。
 
 翌日、GHQ本部で或る事務手続きを終えたタナカはその足で同じビルに在る准将ギャルソンの部屋をノックして中に入った。
 ギャルソンの、大きな事務机の前の大型ソファに大佐級軍人二人とその向かいに私服の背の高い痩せた老年の男が座っていた。その私服の男が以前見掛けた、現CTS(民間鉄道輸送部門)責任者シャグノンであるとタナカはすぐに判った。他の二人は公式には初対面であるが、タナカはそれぞれの名前、位階、所属、そして普段誰の悪口を交わしているかも知っていた。
 タナカが扉の前に立ちギャルソンに向かい敬礼の姿勢に構えたとき、シャグノンがいきなり血相を変えてソファから立ち上がるとタナカに向かい、まるでヒステリー発作を起こしたように怒鳴りつけた。
「ここはジャップが」
タナカの軍服、そして襟章が米軍のものであると気付いたシャグノンの怒声はそこで途絶えた。タナカはシャグノンの目の奥を睨み据え、その間数十秒、タナカは決して視線をシャグノンの、何か不思議なものでも見るような青い目から外さなかった。耐え切れずシャグノンは窓を背にしたギャルソンに向かい大仰なジェスチャーで助けを求めた。
「タナカ中尉だ」
見るからに未だ若く、また階級も尉官級、そんなジャップがこのオレを睨みつける、シャグノンは再び激しい怒りに燃えた。怒鳴り散らそうとしたシャグノンに、准将ギャルソンが手で制した、
「私の最も優秀な部下だ。タナカ中尉は元帥閣下に直属し、その権限は階級を超える。CTSは今後一切タナカ中尉の指揮下にはいる」
シャグノンは泣きそうな顔でタナカに向かい、
「し、失礼しました。シャグノンです。CTSの列車運行と人事管理を担当しています」
タナカはシャグノンを無視し、同席する他の佐官級将校二人に敬礼した。シャグノンを残して二人の将校はそれを機にギャルソンの部屋を出て行く。その二人にギャルソンが声を掛けた。
「全てはオヤジのためだ。そのことを忘れるな」
二人は敬礼し部屋を出た。
 タナカは先程終えた、或る人物の配置転換に対するギャルソンの援助に礼を云い、再び敬礼して扉口に向かった。シャグノンが何か云い掛けたがタナカは無視して部屋を出た。 
 現状シャグノンに対し特別に指示することはない。当面はこれまで同様シャグノンの、威張り散らすだけの国鉄または運輸省関係者への口出しで十分であり、シャグノンに対し今後彼が誰に諂うべきか知らしめるにはこれで十分であった。
 


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