思考の”駄サイクル”

 みんなもそうなのかそうでもないのか知らないけど私は自分的にけっこういろんなことを普段からぐるぐると考えている。特に難しいことを考えているわけじゃないけど(それは私には難しいことを考えるだけの知識量がないから)、でも自分なりにいろいろ考えている。だけど、考えていることを文章にしたり誰かに話したりといったアウトプットをする機会がない。普段私が自分の考えたことを誰かに伝えるときに用いるのはTwitterがメインだけど、あれって完全に自己満足の世界だしあんなとこで真面目なこと言うの恥ずかしすぎるしあんまり反応ももらえないし(フォロワーの少なさが主な原因かなあ)、そんでもって140字という字数制限があるし。だからTwitterで表現する自分の思考ってほんの一部で、でもそこが私の自己表現の場の大部分を占めている。普段文章を書かないからいざ書こうとするとけっこう疲れるな。まだこんなしか書いてないけどもう十分な気がしてしまう。ただ、まだあたしがこのテキストで言いたいことは全然書けてないので、書けるまでがんばろう。文章を書く力を身に着けるにはなにはともあれ書くことだと、大学で前期にとった文章表現の先生が言っていた。

 ここまでが前置き。前置きが長い。私の文章の悪い癖のうちのひとつ。だけどこれは外せない。私が思考を表に出す上で、もしこの文章を読む人がいればだけどわかって欲しい前提だから。私は私のことについて他人によくわかって欲しいのだ。このnoteというサイトで初めて投稿する長文だから、ある種あたしの説明文のようなものだと思ってほしい。

 さて、タイトルにつけた「思考の”駄サイクル”」だけど、これを説明するのにひとつ引用元を紹介しておかなければならない。石黒正数という漫画家がいて、その人の作品のひとつ『ネムルバカ』にこの”駄サイクル”という言葉か出てくる。これはおそらく石黒正数の造語だが、『ネムルバカ』を読んでいてなにか自分の中に後ろめたいもの、やりきれないものを感じるシーンのうちのひとつがこの言葉の出てくるシーンだ。ほんとはみんなに読んでもらいたいけどそうもいかないだろうから簡単に説明しよう。

 大学に通いながらメジャーデビューを目指すバンドマンの「先輩」がこの言葉を使うんだけど、この”駄サイクル”は「ぐるぐるおんなじ所を回り続けて成長しない」ようなことを指す。アーティストを目指す人が個展を開いたりするんだけど、それは自己満足の場でしかなくて、正式に評価を受けるコンペなんかには参加しない。そこで才能がもし認められなかったら困るから。そんな自称ア~チスト達が集まって、需要と供給がその輪の中だけで成り立ってしまう、その構造を先輩は”駄サイクル”だと言った。そして先輩は自分もおそらく別の何かの”駄サイクル”の中に自分が居ると自覚している。

 『ネムルバカ』を初めて読んだのは高2くらいのときでそのときはまだ自分は自我が確立されてなくて(この話もいずれしたい)、実を言うとまだあまりよく意味が分かっていなかったが、先日ふと、自分の思考が駄サイクルの中でただ堂々巡りをしているだけだと気が付いた。

 私の思考のテーマはいろいろあるんだけど、最近は専ら「愛と性」「大人とは」「付き合うってなんだ」「好きってなんだ」みたいな恋愛してこなさすぎてこじらせちゃった系みたいなかんじだなあ…つら。ここにあげたテーマに対する自分の考えもいずれ述べられたらいいなあと思う。ここで話すべきは、私が思考をするときに”駄サイクル”にまんまとはまっているんです、てことなんだよな。タイトルにつけちゃったから。

 といっても前置きが長い割に本題に関していうことはほんのちょっとなんです。ごめんね。単純に、深い思考の中にいるつもりでも実際考えが先に進んでなくておんなじ所を回っているだけでした! てことに気づきました。おわり。てそんだけなんです。そんだけを言うのにこれだけの文章量がいるあたり、私の文章の書きなれなさが伝わるんじゃないかなあ。そこはこれから精進していきます。今年は文章をもうちょい書く年にする。自分比でいいので。

 結局のところ何が言いたいのかわかんなくなっちゃった。とにかく、私は、たとえば「○○ってなんだろう」てとこから思考を始めたときに割合長い時間をかけるけど答えには行き着けないことが多くて、でもプロセスは踏んでるので満足をしちゃうんです。それが、私の陥ってる”駄サイクル”なのかな、て思ったわけです。

 今日はこんなとこにしとこうかな。これからは思ったことをちょっとでも整理するためにこのサイトを活用していこと思う。

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