ウマ娘:好きな育成シナリオイベント

はじめに

 ウマ娘の育成シナリオ中で発生するイベントの中でも、特に好きなものを3つ挙げます。シナリオ全体の好みとはまた別(ネイチャシナリオのド甘い雰囲気とか大好き)で、シナリオ内で発生するイベント単体の話です。

 イベント単体と言いつつ、実際にはシナリオ全体を踏まえたり、ゲームの構造を前提にしたり、あるいはシナリオに書かれなかったこと(史実の文脈)や、あるいは「イベントがない」こと(いずみ鉄道の名キャッチコピー〈ここには、「なにもない」があります〉みたいな)の話をしたりします。

マヤノトップガン「夕日にむかって」

 ナリタブライアンという競走馬は、90年代競馬ブームから入った人間にとって特別な存在だ。『ウマ娘』という企画がここをターゲットにしている以上、ウマ娘のブライアンもまた特別な位置にある。
 90年代競馬ブームとウマ娘、という話は別に記事を立ててするレベルの大きな話なのだが、とにかくブライアンは『ウマ娘』という企画においてもウェイトの大きい存在だ。

 ナリタブライアン号の競走馬成績は、旧3歳とそれ以降で大きく色を変える。「暴力的」と評された圧倒的な強さを誇り、三冠に続いて古馬相手に有馬記念まで制した強さ。そして、その強さを失って足掻き続けた時代。

 『ウマ娘』の育成シナリオは基本的に史実のエピソードを拾い、なぞる形で展開する。だが、その構造上、再現できない/しにくいストーリーも存在する。そのひとつが「落陽の物語」だ。
 「トレーナーとの二人三脚の3年間で、一流のウマ娘に育ちました」というストーリーの基本を覆す、力を失っていくストーリー。ナリタブライアン号の伝記を書けばそういうストーリーになるはずだが、ゲームとしての構造がそれを許さない。
 実際、ブライアンの育成シナリオは、圧倒的な強さのままに、時代を超えて強者たちと戦う修羅の歓喜とでも呼ぶべきシナリオになっていて、その時代を超えたボスラッシュぶりは、その蹂躙制覇が「夢」であることを強調しているのだろう。
 あるいは、姉であるビワハヤヒデの育成シナリオにおいては、史実的にも強者の時代で完結するので、そうした「落陽」は描かれない。
 一方、足掻き続ける者としてのブライアンは、メインストーリー第四章で描かれる。かつての走りができない中で、しかし走りたいという渇望はむしろ高まる。そういう話だ。
 で、そんな「ブライアンの落陽の物語」を育成シナリオで書いているのが、マヤノトップガンのシナリオであり、そのもっとも象徴的なイベントが「夕日にむかって」だ。

 宝塚記念を前にしたある日の夕暮れ。マヤは、(史実的にはナリタブライアン号が勝った)阪神大賞典で競った相手であるブライアンの練習風景を見て、「わかって」しまう。
 この時の気付きを表現する言葉が、あまりにも美しい。

マヤ、気づいちゃったんだ。
あんなにキラキラしていても、あの太陽は夕日だったんだよ。
急がないと、沈んじゃうんだ。誰にも手の届かない場所に。
アタシはまだ並んですらいないのに――……!

 落陽の物語であると同時に、誰よりも自由な翼を持っていた少女が、自分の飛んでいく先を見つける物語。言葉の美しさということで言えば、このフレーズが一番かもしれない。

メジロライアン「有馬記念の後に・努力より尊いもの」

 ライアンのシナリオは、時系列が史実と前後している。
 シニア級で走る宝塚記念は、メジロライアン号が制した唯一のG1レースである91年の宝塚記念をモチーフにしている。開催が京都レース場になっているのも、そのためだろう。
 一方、シニア級の有馬記念は、90年の有馬記念がモチーフだ。メジロライアン号は90年と91年の有馬記念を走っているが、「オグリキャップのラストラン」になったのは90年の方だ。

 あえて、史実の順番を違える意味は何か?
 91年の有馬記念は惨敗に終わったから、とかではないはずだ。そのレースは史実においてメジロマックイーン号も出てたわけだから、そこに焦点を当てて「もう一度、長距離でマックイーンを倒して、春の天皇賞のリベンジを果たして勝ち越す」という形に持って行ってもいいはずだ。
 シナリオ中、ライアンは自分の走る理由を「人気者になりたい」と語った。クラシック制覇という、家から命じられた使命ではなく、自分のなりたい自分を選んで、決めた。
 それは、戦績以上に愛された競走馬であるメジロライアン号の擬人化であるライアンのキャラクターによく似合う答えだろう。

 ところで、日本競馬史最大のアイドルホースといえば、(異論はあるにせよ、多くの人が認めるところとして)オグリキャップ号だ。『ウマ娘』でもオグリは絶対的人気を誇るキャラとして位置づけられており、何しろメインストーリーはオグリのラストランを観客席から見届けるトコロから始まる。アニメ一期でも、シナリオに絡まないにも関わらず背景でちょこちょこしてたのは、とにかくオグリは出しておきたい、という「オグリキャップ」という名前の強さの表れだろう。
 競走馬が美少女になってアイドル活動する(=ウマ娘はアイドルであることが前提の)コンテンツで、専用二つ名に「アイドルウマ娘」を冠するのは伊達ではない。ザ・アイドル。誰からも愛されるウマ娘。それがオグリだ。
 そして、その人気を絶対のものたらしめたの、その馬生を「最強の物語」たらしめるもの、オグリキャップ号を愛されるものとして決定づけたのは、何か? 90年の有馬記念での1着だ。
 ――そして、その有馬記念で2着に入ったのが、メジロライアン号だ。

 もしも、オグリキャップ号以上に愛される競走馬が生まれるとしたら?
 オグリキャップ号の人気を継承する存在が現れえるとしたら?
 オグリ伝説が完全な形で完結した/してしまった伝説のラストランで、オグリキャップ号を倒して伝説を継承し得る競走馬が現れるという歴史のifに、もっとも近いところにいたのは?
 ――そう、それは90年の有馬記念で2着に入ったメジロライアン号だ。

 『ウマ娘』は日本競馬史のifを描く物語でもある。
 そして、日本競馬史で一番大きいポイント(のひとつ)が90年の有馬記念であり、そこで起こり得るもっとも大きなif。オグリキャップ号が特異点で終わらない可能性。
 それが、このライアンシナリオのシニア級有馬記念勝利なのだ。
 「一年前に勝てなかった強い先輩ウマ娘に勝つ」というシンプルな筋書きの裏には、そういう日本競馬史そのものをひっくり返すほどの文脈があるわけである。

マチカネフクキタル「天皇賞(秋)」

 フクキタルの育成目標レースに天皇賞(秋)は存在しない。
 ウマ娘によっては、「育成目標レースに含まれないが、専用イベントは発生する」という例はいくつかある。ウオッカのクラシック級エリザベス女王杯とか、キングヘイローのシニア級有馬記念とかがそうだ。
 だが、フクキタルの天皇賞(秋)には、そういう要素は存在しない。普通のレースのように出走し、普通のレースのように出走後の成長をする。少しだけ通常の出走結果と違う所があるのだけれど、それはログを見ないと気付かないような、ほんの少しのポイントだ。

 フクキタルの育成シナリオでは、三年目(シニア級)の10月後半に、固定イベント「それぞれの天寿」が発生する。スズカさんがやってきて、他愛もない話をするイベントだ。そこでスズカが天皇賞(秋)に出走することを告げる。
 通常、この手のイベントというのは、前述したような隠しイベントが発生するレースの示唆を意味している。ウオッカにせよ、キングにせよ、そういうイベントが仕込まれているので、プレイヤーは「じゃあ、出してみようかな」と思うわけである。
 当然、フクキタルのイベントもそういう種類のものかと思うのだが、実際に走らせても何も起きない。そもそも、史実において、マチカネフクキタル号は(史実のシニア級に準ずる)98年の秋に天皇賞を走ってないし、シナリオ的にも秋の天皇賞を走ることに意味がない。(シナリオ内でスズカとは互いを気にかけつつも違う道を進んでいることが示されており、スズカの走るレースには出ないほうが自然とすら言える)

 実際、レースに出走しても、イベントは起きない。まったく、何も起きない。スズカも出走しているが、育成が十分にできていれば勝つこともできるし、まあたまに負けることもある、普通の強敵だ。
 史実において、98年の天皇賞(秋)で何が起きたかは言うまでもないだろう。(アニメ一期でもやった話でもある)
 だが、フクキタルのシナリオで走ったそのレースでは。何も起きない。何も起きていないから、特筆すべきイベントもない。少し違うのは、レース後にログを確認すると、このレースだけスズカの順位も――つまりスズカが走り切ったことが――記録される。ただ、それだけだ。

 その日、何も起きない、という奇跡が起きたのだ。

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