こころに「あそび」が必要だ。

両極に決めつけるのではなく、「あそび」をもたせることで生き方に余裕を持たせること。今のわたしに必要なのは、「あそび」じゃないか。

会社に雇われて週5相当で働けなければ社会人失格だ。そんな自分で自分にかけた呪縛に囚われて、正しい道を選ぶことができなくなっていた。「みんなと同じでなきゃいけない」も同じように「あそび」を持てない呪縛の一種だ。

幸運にも、今の現代日本(特に首都圏)では、みんなや私たちと違う物事や人も受容できる社会を作ろうというムーブメントが盛んになってきている。
生まれ育った地域は、ちゃんと学業収めて結婚して子供育てて戸建買って…みたいな、いわゆる「クレヨンしんちゃん型」生き方がベストとされていた。
わたしは、そんな地域での学校生活に馴染めず、自分の好きなものを好きと言ったらバカにされたから、自分の好きなものをこっそりと、親にもバレないように楽しんでいた。表向きは地上波テレビ番組で流行っているものが文化の全てというスタンスでいた。そんなわたしの意識を180度転回したのは、沖縄への進学だった。はじめて、親元を離れて生活をした。地上波テレビ番組が見せている文化が全てではなかった。

今、わたしはほとんど実家に帰っていない。
仕事を休むことになった時、上司は私に「実家で休んだら」と何度も提案した。それは、雇い主からすれば、メンタルヘルス不調で休職している職員が自傷・自殺未遂なんてことになったら責任追及されるからだろう。労働者のプライベートな家族との関わりも知らずに、自分たちの責任を問われたくないから一人にさせない、なんて自分勝手なんだと思った。
私は結局自傷も自殺未遂もしていない。痛いこと、死を考えるのが怖いからだ。そうなると彼らは全くと言っていいほど連絡はよこしてこない。こちらからアクションをおこさないと、復帰へのプログラムは進行しない。

これに対して、「大人なんだから、自分のことは自分で決めろ」「転職をしたほうがいいこともある」と周りの社会人たちは言ってくる。

自分のことは自分で決めているつもりだ。
転職をするための、生活基盤が整ってない。

今ではこう答えることができる。それを言われた当時は、自分の思考基盤すらふらふらしていた。だから、人に言われることで私の志向は常に変化していった。

自分がなかった。
自分がない人に、自分で決めろというのは酷だ。だからといって、自分ができるまでは成人だろうが親の傘下にいるというのはいかがなものかと思う。だからこそ、自分ができるように第三者からのサポートを受けることが、わたしには必要だったのだ。

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