わが国にだけ、求められると考えられる文化的ダイバシティ(多様性)

インターネットクリエイティブ界のレジェンドな方が、わが家の南側で開設しているギャラリーコンプレックスに初訪問した際に、ある映像系の現代作家と話した。

わが国のドキュメンタリーは、ある方向の政治性が強いものの製作に手あつく、ダイバシティがない。そのことが、世界でいちばん手っ取り早く開かれているドキュメンタリー部分のアートワールドでの存在感を弱くしているだけでなく、才能が活動できる範囲を狭めているのではないか。

ミュージックドキュメンタリーはアイドルの箔つけ程度しかなく、Viceの米国本拠とわが国の違いもまた、しかり。

多様な価値観のドキュメンタリーは、多様な才能を世に送りだすとともに、厚みのある文化や社会を生み出す。

そういうことを考えていたら、まさに、そんな世界のあたり前をかたちにしたドキュメンタリーがわが国から世に現れたようである。

「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響(産経WEB2015.09.05)
http://www.sankei.com/entertainments/news/150905/ent1509050015-n1.html

どちらかといえば、わが国で右といわれる方は、理性に欠いた表現をすることが多く、そのことがコンテンツという面において、決定的な弱さをもたらし続けている。さもなければ、この頃話題になっている金目のクリエイティブか。その中で、率直にドキュメンタリー映画として成立させ、公平な評価が得られる海外において打ち出したことは、なんとなくやりずらいこの分野のわが国の空気に少しでも動きをもたらせそうで期待したい。

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