見出し画像

鬱病患者の北陸旅行 Chapt.3 飲食読歩

7月某日、朝6時。

昨日8時前という信じられないほど早く寝た私は、朝6時という信じられないほど早い時間に起きた。
すでに陽は昇っており、障子の隙間から光が入り込んでいる。
身体を起こして顔を洗いに行くと、宿のご夫婦はすでに起きていた。挨拶してから顔を洗い終えると、手持ち無沙汰になったのでここら近所を散歩してみることにした。
まだ日が昇ったばかりで幾ばくか涼しい朝のこの時間が、夏の一日の中で一番好きだ。こうして早朝に虫の声を聞きながら田舎道を散歩するのは、昼間より空気が澄んでる気がして凄く気持ち良い。
冬場激しい寒波に晒される北陸地方では、道の真ん中に融雪装置が敷かれており、数メートルおきに融解用の水の噴射口がある。なんだか童心に帰っていた私は、その上を平均台の上にでも乗るようにひょこひょこと歩いていった。朝の気持ち良い風が、夏休みにおばあちゃんの家で迎えた朝を思い起こさせ、とても懐かしい気分にしてくれる。
3、40分ほど探索して宿に戻ると、昨日買っておいた朝ご飯用のバナナを共用冷蔵庫から取り出し、これまた買っておいた牛乳と共にのんびりと頬張る。宿は私の他にも何人か泊まっていたようで、軽く挨拶を交わしながら牛乳を飲んだ。
朝食を食べ終え、歯を磨いてから出る用意をしているとあっという間に出発予定時間の10時になった。
お世話になった夫婦に礼を言い、駅から電車に乗って金沢駅を目指す。

今日は、金沢市内にある回らない寿司を食べる予定だ。
病気になる前から、北陸に何となく行きたいなと思っていた私は、ガチ中華旅行の時と同様、Twitterで流れてきた北陸の美味い店をチェックしており、今回行くお店もTwitter経由で知った店である。完全予約制というなかなかにハードルが高そうなお店だったが、平日ということもあってか前日の電話で簡単に予約が取れた。
七尾線で1時間ほどかけて金沢に至り、駅からバスで店へと向かう。すっかり太陽が昇った金沢はひたすらに暑く、ハンカチで拭いても拭いても汗が噴き出してくる。猛暑の中10分ほど待ってから、冷房がよく効いたバスに乗り込み10分ほどで店の近くまで到着した。

バス停から歩き、予約していた店へ向かう。兼六園の裏手にあるそのお店は、店の前まで来てみると、古くからやっているいかにも老舗のお鮨屋という威厳が漂っていた。完全予約制と書かれた扉を引いて中に入る。
店内は古いながらも大変綺麗で、カウンター席が8席ほどある小さな店である。カウンター越しに迎えてくれた大将に予約名を伝え、手近な席についた。
席に着くと、大将が目の前に笹の葉を置き、その上にひとつまみのガリをおいた。この店は、A〜Cコースとあり、2〜30品ほどのネタが出てくるが、アルファベットの後になるほどいいネタが出てくる。
私は回らない寿司ぺーぺーということもあり一番安い26貫3000円弱のAコースを注文した。
注文すると、早速大将が手際よくネタを作り、笹の葉の上に置いていく。この大将が、年齢にして80を超えているんじゃないかと思えるぐらいかなり年はいっているのだが、その歳を感じさせないぐらいキビキビと動いており、酢飯で手早くシャリを作ると、彼の目の前のネタケースから魚の切り身を取り出して寿司大に切ってから素早くシャリに乗せて提供していた。
そしてその提供されるネタは、石川でしか取れない地物のネタから、サーモン、マグロなどといったオーソドックスなネタまで多種多様である。
味としては、大将の手際が良すぎるあまり次から次にネタが出てくるので、はっきり言って味わう暇がなかった。ただ、回る寿司のように形が整っているわけではなく、シャリも回転寿司のそれと違って柔らかいため、手で握っている本格的な寿司を本当に食べられていることは実感できた。
そして齢26にして初めて本格的な回らない寿司に来たこともあり、かなり緊張していた。その証拠に写真をほとんど撮れず、フォルダに残っているのは全く映えないタコの寿司のみである。

全く映えていない生ダコ

最も、大将の威厳に満ちた腕捌きもあり、気軽に写真を撮って良さそうな雰囲気にはあまり見えなかったこともある(では何故SNSで紹介されバズっているのかという話にもなるが...)。
さて、大将の寿司捌きもあってあっという間にビールと寿司を平らげておあいそを頼もうとしたその時、ある事件が起きた。

日本語が全く喋れない、白人の外国人夫婦が入店してきたのである。
当然予約なんかしているわけがないので、大将とその奥さんと思われる女の人に「うち予約制だからもうシャリがないよ」「ノーシャリ!」などと通じるはずもない言葉で追い返されようとしていた。
当然夫婦は何を言っているか分からないという様子だったので、見かねて「アウト オブ ライス」「ウィー ハフ トゥー リザーブ」などと下手な英語で教えてあげると、「oh,really」「thanks」など、ガチネイティブ発音の英語が返ってきたので、萎縮してしまい早々にお会計を済ませて店を出てきてしまった。
店を出る直前、二人はカウンターに座り別の店を調べ始めるという外人全開の行動をし始めたので、今考えると二人を店から出して一緒に店探しを手伝えばよかったかもしれない。しかし鬱病という極めて揉め事に弱い時期に、下手くそな英語が通じず嫌な顔をされたら、メンタルを病んで兼六園の池に飛び込みかねなかった。しかし、折角の日本旅行で嫌な思い出を残してもらうのも不本意ではある。よく分からないことで揉め、クソみたいな対応をされてその国の個人的イメージが著しく落ちるというのは海外旅行あるあるなので、日本のイメージが悪くなって母国に帰るというのは何だか日本人として嫌だった。
こうしたモヤモヤを抱え、ああすればよかったこうすればよかったと脳内反省会を行いながらバスに揺られて金沢駅へ向かった。

金沢駅に着くと、またあの酷暑が身体全体に刺さってきた。この後の予定は全く決めていなかったので(だから尚更あの夫婦を助けてやれば良かったのだが)、とにかくどっかで涼みたいという本能と、バッグに入っている読み差しの本の続きを読もうという意思が交錯し、結局どっかの喫茶店に入って本の続きを読もうというところで落とし所となった。
Googleマップで見つけた、駅から5分ほどのところにある一軒家の入り口を改装したような小さな喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら静かに本を読む。300ページ超あったその文庫本も、暇さえあれば読んでいたこともあってもう200ページ近くまで到達していた。
そこで1時間ほど、ゆっくりまったりと時間を過ごしてから店を出た。時刻は15時前と言った時分。今から富山のゲストハウスへ向かえば、ちょうど良い時間になるだろう。
こじんまりとした喫茶店を出て、金沢駅から富山へ向かう新幹線に乗り込み金沢に一旦の別れを告げた。

此旅2度目の富山に到着した。これから、路面電車に乗って富山港に程近い「岩瀬浜」という場所へ向かう。
江戸時代〜明治初期あたりまで、北前船の寄港地であった富山港は、その古い街並みが観光地として残っているという。というのは富山に来てから知ったことで、今回は宿の近くにたまたま観光地があるというようなかたちだった。
路面電車に揺られること20分。岩瀬浜へ到着した。炎天下の中宿まで数分歩き、今回は一軒家のようなゲストハウスにお世話になることになった。
宿に荷物を置き、汗で汚れきった衣類を洗濯させてもらい、冷房の効いた部屋で身体中についた汗を乾かしていたらすぐに夕方になる。
晩飯のアテがなかったため、例の観光地化されている古い街並みを歩いてみることにした。
宿から10分ほど歩くと、ほどなくしてその界隈へ到着した。ただ、平日で観光客どころか人っ子一人おらず、そのせいかほとんどの店に定休日の札がかかっている。
夕方のその街並みをあてもなく歩いてみる。西日が照っており暑かったが、昼ほどではなく、自販機のサイダーを呷りつつ道を歩いた。
なるほど案内にあったように、大きなお屋敷のような建物が、5、600mほど続いている。だがこの時間ということもあり、ここいらの歴史を伝える資料館になっているお屋敷も本日終了の札がかかっていた。「本日終了」・「定休日」の文字が並ぶ閑道は、あっという間に散策し終えてしまったので、その先まで少し歩いてみた。
先まで進むと、ちょうど橋がかかっていて、富山湾に注ぐ川が見渡せた。

川の水面に富山湾に沈む夕陽が綺麗に反射していて、とてもきれいだった。しばらく、煌めく水面をぼーっと眺める。じりじりと暑さが身を焦がしていたが、その水面の綺麗さにしばし見惚れてしまった。なんということはない普通の川が、その夕日の輝きで持ってとても美しく見える。
ちょうどその橋を折り返しにして、また宿の方まで戻る。
行き通った道を歩いていると、先ほどまで開いていなかった地元の居酒屋らしき店が開いているのを見つけた。入り口のドアを開けて暖簾をくぐると、店は閑古鳥が鳴いていて誰もいない。
「すみませーん」
奥へ声をかけると、店のおかみさんが現れ、カウンター席に案内してくれた。どうやら今日はド平日ということで閑散日らしく、おかみさんも奥で一服していたらしい。お品書きには日本酒の銘柄がいくつかと、「さかな県」に恥じない刺身盛り合わせや造りなどの品が並ぶ。私は、地酒と刺身の盛り合わせ、そして「イカの黒造り」という聞き慣れない料理を注文した。
しばらくすると、おかみさんが地酒を持って来てくれ、程なくして奥から大将が出てきて、目の前で料理を拵えてくれる。なかなかに時間がかかったが、日本酒をゆっくり飲みながら待っていると料理がやってきた。写真は撮っていないが、地揚げの刺身の盛り合わせと、小鉢に入ったイカの黒造りがやってきた。
調べて見ると、イカの黒造りは富山の名産であるらしい。イカの黒造りという料理を全く知らなかったのだが、これが極めて日本酒に合う良いつまみとなった。なんだか、忘れかけていた美味しいものを食べた時の感覚が戻ってきているようにも感じる。
日本酒2合と刺身の盛り合わせに、イカの黒造りを、1時間半ほどかけて平らげた私は、カウンター越しにモンエナを飲みながらのんびりテレビを見ていた大将におあいそをお願いした。

店を出て外を見ると、行きの特急「ひだ」で見たあの景色の無味な景色とは違い、夜の旧街の景色が街灯に照らされ、荘厳な江戸時代の建物が独特の雰囲気でもって私の前に現れる。それは写真なんかでは伝わらない、ここまで来たからこそ見ることのできる美しくも趣深い景色であった。私はその旧市街を、隅々まで堪能するようにゆっくりと歩いて宿へと戻った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?