プロツイッタラー パソ・コン氏について語る

突然だが、皆さんは「パソ・コン」というツイッタラーをご存知だろうか。


パソ・コン氏とは、いわゆる「認証バッチ」のついた有名人では無いにも関わらず、17000以上ものフォロワー獲得している「プロツイッタラー」である。

彼はプロフィールにもある通り、長きにわたってオタクの歴史・文化・思想についての研究を行っており、そのことをツイートにまとめている。
そして、私の一番好きなツイッタラーでもある。
今回は、5年以上の長きにわたって彼のツイートを(自分なりに)研究してきた生粋の「パソ・キッズ」の私が、彼のカリスマ性や、自他共に「プロツイッタラー」と呼ばれる所以について語っていきたい。

私とパソ・コン氏

正確には覚えていないが、私が最初にパソ氏に出会ったのは、当時高校生であった2014年辺りであった。
当時のパソ氏は、度々オタクをバカにする言動を繰り返しており(今もなのだが)、そうしたツイートが私のTLにRTで回ってきたところから私とパソ氏の出会いが始まった。

twilogより発掘した2014年10月6日のツイート

当時、根っからの陰キャキモオタかつネットヤンキーであった私は、顔を真っ赤にさせ反論すべく、すぐさまパソ氏のプロフィールを開いた。
しかし、ツイートを追っていくに従って、彼への怒りは信仰へと変わっていったのであった。
その訳こそ、彼のツイートの根幹を成す「自虐と嘲笑」である(これについては、後で詳しく述べる)。

2014年10月1日のツイート


彼自身キモオタであることを十分に自覚しつつ、その上でキモオタなりに、的確かつあえてオタクの精神を抉るツイートを行うという、まさに芸術的としか言いようのないツイートを行なっていた。
その高い芸術性に強く惹かれた私は、すぐさまフォローボタンをタップし、その日以来パソ氏のツイートを監視することと相成った。

パソ・コン氏は何者なのか

パソ氏は、今まで以下のような情報が判明している。
・北海道出身・在住?
・電通大卒?
・会社員
・プラモと音楽のオタク
・独身
・2022年現在40歳

いちいちソースを出すのは面倒くさいので、気になる方はtwilogから過去のツイートを参照して頂きたい。
ありがたいことに、パソ氏はtwilogに登録しているため、最初のツイートから閲覧することができる。

彼のツイートの魅力

(1)飴(むち)と鞭(むち)

先述の通り、彼のツイートは「自虐と嘲笑」で成り立っているのだが、そもそも、なぜ彼は自他共に認めるオタクであり、強烈なキモオタエピソードを大量に持っているにも関わらず、オタクをバカにするようなツイートを行うのだろうか。
まさに、「お前が言うな」なのではないのか?

自虐ツイートの例
嘲笑ツイートの例


だが、彼のこうしたツイートは、嘲笑に見せかけた高度な自虐なのである。
つまり、不特定多数へ向けた刃であると同時に自分へも向けた刃なのだ。

しかし、何故そんなことが言えるのか。それは嘲笑ツイートが突くところの「リアルさ」である。

普通、「オタクを馬鹿にする」という行為は、オタクではない方々がオタクの理解できない行動を指して行われることが多い。
例えば、「オタクは挙動不審で気持ち悪い」と非オタクの人が馬鹿にしていたとして、その人は、何故オタクが挙動不審な行動をとるか、どうして動きがいちいち気持ち悪いのかといったことは理解ができない。その為に、「自分とは違う生き物」と言う位置付けで自分より下にラインを引くのである。よって、「非オタクがオタクを馬鹿にする」と言うのは単純な見下しであるのだ。

では、パソ氏の場合はどうなのか。自他共にキモオタと認めるパソ氏は、オタクが起こす一般人とかけ離れた行動について、何故そうした行動を起こすのかを十分に理解している。その為、「オタクの嘲笑」が見下しではなく事実の列挙になっているのだ。
先に貼った嘲笑のツイートにおいても、「あっ(察し)」という淫夢発祥のオタク以外誰も使わないような気持ち悪いネットスラングを挙げ、(恐らく)上司から自分で考えて行動しろと怒られた過去の経験を引用しつつ、「周りを見て空気を読み察する」という一般人なら誰でもできることができないというオタクの悲しき事実を皮肉たっぷりに列挙しているのだ。

彼の言う「濃いオタク」には、自分も含まれているのだろうか

嘲笑に見せかけた自虐。まさに、己の無力さを表現する方法として最高なこの技法は、ネトウヨやブサヨといった方々を強烈に皮肉った傑作「テコンダー朴」に通じるものがある(同マンガでも、あえて過激発言を連発することで、日韓問題に対して過剰に反応している人々の滑稽さを表している)。

(2)読み手を引き込む文章力

ツイッターをやっている読者に聞きたいのだが、皆さんがツイートをするとき、いちいち文章構成を考えてツイートしているだろうか。

ツイッターは「ツイート=つぶやく」というコンセプトの通り、今自分が感じていることを、ありのままに表現する場である。
その為、ツイートしている人々の大半は、「人に読んでもらうことを意識して文章を組み立てる」というよりも、「今の気持ちを素直に文章に起こす」と言った方が正しい。


では、パソ氏の場合はどうだろうか?

彼のツイートは、「読みやすさ、伝わりやすさ」を第一にいかに自分が無力であり気持ちが悪いかというのを正確に表現している。
例を挙げてみよう。

パソ氏の名ツイートをいちいち挙げて全て解説していてはキリがないので、直近で一位二位を争う名ツイートから考察をしたい。

まず上記のツイートで注目すべきは、読点の位置である。
note書きの端くれの私から言わせてもらうと、文章を書く際、読点(いわゆる「、」である)を打つのは非常に難しい。
こうした長文の記事ですら、言いたいことが先行して読点の位置がおかしくなり、後から見返して恥ずかしくなるものである。
ましてや、ツイートという言いたいことが先行し文章がメチャメチャになりやすい場において、読点を意識したツイートを行うのは、再三言っている通りもはや「プロ」の領域だろう。
このツイートでは、「この世にはその個性がどうしてか人に容れられず」という前置きで一度読点を挟み、「相手を意味なく不愉快にさせたり、陰で首をひねられたりしてしまう」という列挙を行ったうえで「悲しい要素を持って生まれた人がいるが」とこれまでの前置きと列挙にかかる主語でまた読点を挟み、「パソ・コンなどまさにそれの典型たる一面があった。」で締めくくられている。
前置き+列挙+主語+述語の構成で読点が打ってあり、非常に読みやすい。

そして、もう一点注目すべきは、彼の言葉選びである。
前置きの「どうしてか人に容れられず」を見てみよう。
「どうしても」ではなく「どうしてか」という言葉を選ぶことで「人に受け入れられようと頑張ったが全く実を結ばず、自分で確固たる理由も理解できぬまま受け入れられなかった」という虚しさと悔しさを滲ませた上で「受け入れられず」という直接的表現を避け、「容れられず」とすることで、自分と他者が根本的に考えや行動が根本的に異なり、受け入れられる余地すらないことが見てとれる。

続いて、「相手を意味なく不愉快にさせたり、陰で首をひねられたりしてしまう」という列挙の部分に光を当ててみたい。
ここで大事なのは、彼の「容れられない」行動や言動を受けた周りの反応が、単純に嫌悪と排斥に留まっていない点である。
もちろん、「相手を意味なく不愉快にさせたり」と言う部分で多少なりとも嫌悪を与えていることは伝わるのだが、続く「陰で首をひねられたりしてしまう」で、あまりに意味不明すぎる当人の行動に、嫌悪感情や排斥意識すらも諦めてしまったことが分かる。つまり、周りの人をも諦めさせてしまうような異質さであることをたった2つのこの列挙だけで示しているのだ。

ここまで異質さや他者とのどうしようもない相容れなさを現したところで、受け皿となる言葉がやってくる。「悲しい要素を持って生まれてきた人がいるが」である。
ここで注目したいのは、「持って生まれてきた」という点。自分の家庭環境や育ちの良し悪しによらず、その異質さが元来自らが生まれ持って備わっていることを明らかにしている。
そして、「この世には〜首をひねられたりしてしまう」を一言簡潔に「悲しい」とまとめて表現している点も、読み手に訴えかける哀愁を漂わせている。

最後の締めとなる言葉が「パソ・コンなどまさにそれの典型たる一面があった」である。
ここでは、「典型たる一面」という言葉でこれまでの全ての言葉が自分の自己紹介であることを分かりやすく暗示している点が引き込まれるポイントであるのだが、なんと言っても「パソコン『など』」と表しているところがプロらしい。文章を書く際、ある程度テンポに気をつけなければ読み手もだんだん文章が追えなくなる。大学の教科書や教授のレジュメなどが際たる例で、ただでさえ分かりにくい専門用語が文章のテンポを考えずに書いてあるため、何が書いてあるのかさっぱりわからない。
しかし、このツイートは、「パソ・コンなんか」や「パソ・コンは」とせず、あえて「など」という表現を用いることによって全体の文章のバランスを考え、読み手のテンポを意識しているのである。

この140字にも満たない文章にこれだけのメッセージを込めて自身の無力さを表現しているパソ氏。
こうした表現力と文章力は、私たちのようなパソキッズの心を掴んで離さないのだ。

(3)繰り返し投稿されるエピソード

彼のツイートの魅力はまだまだある。
彼はその長いツイッター生活の中で、得意の文章力と表現力を活かし数多くの名ツイートを量産しているのだが、そんな彼のツイートには、定期的に繰り返されるものがある。
例えば、ツイッターの検索機能で「pasotokon 若槻千夏」と検索してみる。

すると、上記の画像のように、「ブックオフで若槻千夏の写真集の放送をやり過ぎて怒られた」という話を繰り返し行っている。
ここで注目すべきポイントは、その投稿頻度だ。若槻千夏のエピソードに関して言えば、数ヶ月おきの場合もあれば、数週間おきの場合もあり、完全にランダムである。
ただし、一貫しているのは「最低2週間以上間が空いていること」。
「ブックオフで若槻千夏の写真集の宣伝をしまくって便箋1枚にぎっしりとダメ出しをされた挙句そのバイトをバックれた」という話自体例え嘘松であったとしてもかなり面白いのだが、それをフォロワーに飽きさせることなく、忘れた頃に再放送するというこの技こそツイッタラーとしてのプロの精神と、彼のカリスマ性を垣間見ることができる。

なお、彼の反復ツイートシリーズには若槻千夏の話のような「キモオタエピソード」以外にもオタクへの嘲笑ツイートでも反復されている。

だが、反復されるツイートに共通していることは、下心や劣等感、不潔さや生まれ持った考え方の歪みなど、オタクのどうしようもない負の側面を凝縮した真の気持ち悪さを見ることができるということだ。
たとえ創作であったにせよ、その文章力と気持ち悪さこそ見るものを魅了し、私のような熱心なキッズを量産しているのである。

まとめ

さて、ここまで長々とツイッタラー パソ・コン氏について語ってきた。
本当は彼の魅力はこれだけにとどまらず、語りたいことは山ほどあるのだが、いくら場所があっても足りないのでここら辺で締めておきたい。

実に5000字に近くに渡って散々パソ氏を崇め奉ってきたが、実は、私はパソ氏の良さを伝えると共に氏のフォロワーを増やそうと筆を取ったわけではない。
勿論、ここまで長々と書いてきた文章でパソ氏の奥深さと魅力が伝わればこの上ない喜びなのだが、私は近年のツイッター「人気」の在り方について一石を投じたくパソ氏の話を書いたのである。

私自身、中学2年生でツイッターを始めて以降、ろくに部活にも入らず、実に10年近くもタイムラインに張り付いてきた。
そうして感じているのは、今のツイッターで注目を集めるアカウントがまとめ系ばかりになってしまっているということである。
元々の知名度がある芸人や俳優、アイドルなどは別として、滝沢ガOソ然り、大O生のきしょいストーリーbot然り、単純に他人の話をうまくまとめているだけの人が「人気のツイッターアカウント」として世に蔓延っている。
彼らは物事を面白おかしくまとめているだけで、そのまとめている本人は何もすごくないし、当人に魅力があるわけでもない。
にも関わらず、何を勘違いしたか自分が人気者になっていると思い込んでしまっているのだ。
ツイッターにおける本当の人気者とは何か。それは他人の威を借りてバズり、フォロワーを稼ぐことではなく、今回散々語ったパソ氏のように、自分自身をどれだけうまく見せ、なおかつ楽しんで自分のツイートを見てくれるようなファンをつけられるような人のことだと私は思う。

令和のツイッターは、他人の力で人気になるのではなく、たとえそれが自虐であっても、自分自身の力で人気になれる世界になってほしいと切に願う。

以上。

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