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鬱病患者の北陸旅行 Chapt.4 旅の終わり

ゲストハウスをチェックアウトしたのは、朝9時に差し掛かろうとしていた頃合いであった。昨日、旧街がことごとく営業時間外であった為、午前中に見て回って帰ろうという即決の計画を立てた。旧街から帰ってくるまで荷物を預かってくれるというゲストハウスの主人にお礼を言ってから、一軒家然とした宿を出る。

昨日歩いた道に沿って、岩瀬浜の旧市街を目指す。程なくして、昨日通りかかったお屋敷の資料館に到着した。
旧街の古い建物の中でも一際大きい、博物館となっているお屋敷である。
入り口で入場料を払い、その大きな屋敷に入った。

「森家」というそのお屋敷は如何にも日本家屋といった佇まいで、広い部屋にいくつもの部屋がある。しばらくお屋敷の中をウロウロとしていると、館長の札を下げたスタッフに今からこの家の解説をするから来ないかと声をかけられた。見るより聞いた方が早いと、後からやってきていた老夫婦と共に館長直々の解説を聞く。
この「森家」というのは、北前船の廻船問屋(商業船の運送取次・取扱などを行う問屋)として江戸末期から明治初期までその栄華を極めたという。上にも貼った写真のその家の柱は、その江戸末期から明治初期に建てられた家の柱をそのまま残しているというから驚きである。
北前船という言葉自体ははるか昔高校の日本史の授業で聞いたことがある程度だったが、江戸時代の物流を支えていた船としてのイメージを持っていたので、明治までその運送が続いていたというのは意外だった。明治初期までは道も鉄道も整備されておらず、相変わらず北前船が運送業のメインとして続けられていたとのこと。しかし明治の時代が進み西洋化の波で鉄道網や道路網が整備されると、物流の中心がそちらに移り北前船は衰退したそうだ。
こうして古い日本家屋のお屋敷を見ていると非常に心が洗われる、、、というのは恐らく過ごしやすい時期の話で、当時のまま冷房が備え付けられていないこの資料館は極めて暑い。涼しければ縁側にでも腰掛けてゆっくりしようと思っていたが、外とあまり変わらない暑さに、解説を聞いて一通り展示物を見てからすぐに退館してしまった。

外は午前中の暑い日照りが続き、極めて温度も湿度も高い夏特有のいやらしいまである熱気が身体を包んでいた。昨日、宿の主人からここいら一体に何があるか教えて貰っていた私は、この暑さと喉の渇きから解放されるべく日本酒のバーへと向かった。
ここ岩瀬浜には日本酒の酒造があり、「満寿泉」という酒を作っているとのこと。その酒造のすぐそばに試飲の出来るバーがあり、そこで多種多様な日本酒が味わえるということらしい。

店に入ると、数えきれないほど多くの日本酒が並んでいる。レジで木の枡を貰ってから、一杯数百円の酒を幾つか試飲していく。
大吟醸だの特別醸造だの、これまで日本酒に対してはほとんど知識がないまま飲んでいたが、こうして飲み比べてみると、確かに味が違うように感じる。素人舌ではあるが、何も書いていない清酒は苦味が多く、逆に大吟醸だの純米吟醸だの書いてある方はすっきりとした味がするように感じた(そして色々書いてある方が値段も高い)。
そして飲み比べで一際私の舌を楽しませてくれたのが、「貴醸酒」という酒である。聞いたことのない酒のタイプだが、水の代わりに酒で仕込むというもので、日本酒とは思えないとてもマイルドな甘さが口の中に広がった。我々のような日本酒に疎い若者にもカクテル感覚でお手軽に飲める酒だろう。すっかり貴醸酒を気に入った私は、お土産にこの酒を購入して店を出た。

平日の炎天下の観光地をやや千鳥足で歩いて宿に戻り、主人に改めて礼を言ってから荷物を受け取ると、路面電車に乗り込んで富山市内を目指す。予定は何も立てていなかったが、丁度昼時だったため、酒を飲んだとはいえ空きっ腹になってきた。そして、ここ2日ほど鮮魚やイカなど、淡白なものばかり食べていたためなんだか濃いものが食べたくもなってきた。最後の締めとしてまた富山の海鮮を堪能するのもアリだったが、気分が乗らない時にそんなものを食べても美味しく食べられる気がしない。そう思いながら路面電車でGoogleマップを開き適当に店を調べていると、富山市内に「夢を語れ 富山」の文字があった。「夢を語れ」とは、全国に展開するチェーン店のラーメン屋だが、脂っこくて味の濃い二郎ラーメンを提供する店で、まさに今身体が欲しているものと完全に一致していた。人間、一度その食べ物の気分になると頭がその食べ物に支配されてしまうものである。私は目の前に着丼する豚とモヤシのどんぶりを想像して涎が出てしまうのを感じつつ、到着を待った。

路面電車を乗り間違えるアクシデントこそあったものの、店最寄りの電停で電車を降り、酷暑の中汗を頬に垂らしながら歩いて、なんとか店に到着した。二郎系の店には珍しく並ぶことなく入店する。
病にかかって以降、慢性的に食欲が低下していた私は、二郎系に来れば必ず注文するいつもの大盛りマシマシではなく、普通サイズのラーメンを注文する。と、程なくしてラーメンがやってきた。

見慣れたお世辞にも美味しそうには見えないラーメンが到着する。ニンニクチップとブラックペッパーにまみれたモヤシから頬張り、麺、豚肉と順に食べていく。

うまい....

二郎ラーメンなど、いつぶりに食べただろうか。中学生の頃から定期的には食べてはいたが、今住んでいる場所の近くに二郎系のラーメン屋が皆無であるため、こういうちゃんとした二郎系を口にしたのは半年ぶりぐらいだった。淡白な魚続きで濃いものを渇望していた身体に、しつこすぎるぐらいの脂っこい豚が染み込んでいく。麺を啜り上げるたび、身体が喜びのあまり跳ね上がるような気さえした。
久々の二郎ということもあり少し苦戦したものの、なんとか完食。テーブルを拭き上げてからカウンターに丼を上げた。

荷物を引いて店の外へ出ると、また炎天下が身体を焼いてくる。最寄りの路面電車の電停まで歩いて横断歩道を渡っていると、建物の間に立山連峰が見えてきた。
富山市中心の東側およそ30kmほど離れたところにある立山連峰は、日本屈指の雄大な連邦で、冬場になると雪を被った美しい峰々が富山市内からでも見渡せる。しかし今は盛夏で、よく観光パンフレットなどに載っているような雪被りの山は見えず、夏らしい入道雲が遠く湧いていた。
パンフレットなんかには載らない、なんのことはない入道雲である。
だが、ビルの隙間から隆々と聳り立つその雲は、パンフレットで見える美しい景色よりも、Instagramなどで見る綺麗な写真よりも美しかった。それは、旅を始めた時は全くなかった、感動するという感情が久方ぶりに戻ってきたためであろうと思えた。
心破れて山河あり、と感じた旅の1日目。けれど、今は心戻りて山河ありだった。どれだけ自分の心が傷ついていても、逆に心に潤いが戻っても、自然の風景というのは、変わらぬ美しさでそこに佇んでいる。そして、来るもの拒まずと言わんばかりに暖かく迎えてくれ、私たちにいつでも感動を届けてくれる。

だが、何もこの入道雲だけが私の心を戻してくれたわけではない。
七尾港で眺めた海が、金沢のカフェで静かに過ごした時間が、富山港で見えた夕陽が、岩瀬浜で食べた刺身と酒の味が、私の乾き切った心に純水となって染み込んでいき、大きな入道雲の美しさの前に思わず立ち止まってしまうほどのこころの豊かさをもたらしてくれたのである。

北陸の美食と風土を堪能した3日間。療養として虚無に引きこもってスマホをいじるだけでは味わえない、感動と心の豊穣をもたらしてくれた。
次は入道雲ではなく、美しい立山連峰の白雪をこの目で直接見たい。その頃には、私の心はどうなっているだろうか。まだ療養中かもしれないし、完治してこの日見た入道雲の感動を忘れてしまっているかもしれない。だが、この北陸という美しい土地に魅入られてしまっていたし、冬に見せてくれる感動を味わいたくもあった。
次は雲がかっていない白雪を被った姿を見せてくれ。
私は心中、立山にそんなことを語りかけながら横断歩道を渡り、名古屋方面の列車が待つ富山駅へと歩いて行った。

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