寺本郁夫

80年代の季刊『リュミエール』執筆以来、映画の批評を書いてます。批評の対象の映画が他の…

寺本郁夫

80年代の季刊『リュミエール』執筆以来、映画の批評を書いてます。批評の対象の映画が他の映画とどう違うのか、を明らかにしつつ、映画とは何かを明らかにする。映画批評とはその2つを同時にやることだ、というF・トリュフォーの言葉に従って、書いています。

最近の記事

パリー経験として取り込まれる都市ー

パリを訪れるたびにその空間の大きさに驚かされる。山手線の内側くらいの面積にもかかわらず、パリは世界のどの大都市と比べても破格の大空間を感じさせる。そう感じるのは、この都市の街路が素晴らしい見晴らしをもっているからだ。オスマン男爵によって十九世紀に再構築されたパリの町は、遥か遠方を見通せる一直線のブールヴァール(大通り)を区画設計の中心に置くことで、驚くべき眺望をもつ都市空間を獲得した。 実際、シャンゼリゼ大通りで北を向き、一直線にはるか遠くの第二凱旋門を見渡してみれば、その

    • 2023年の映画、マイベスト20選

      国の内外で、にわかに世界が闇に閉ざされていくかに思える年でした。人間という種はどこへ向かうのでしょうか。そんな中、映画には何が出来るのか、考えざるを得ない1年間だったように思います。 60分前後の中編映画がいくつか入りました。ミニマルな映画という発想ではなく、映画にとってあるべき時間の枠を考える契機を与えてくれるものとして、考えを巡らせます。 順位をつけていません。タイトルはあいうえお順に並べています。私のつけた順位が読者の方に意味があるとは思えないのと、私自身、ある年に

      • ヴィキングル・オラフソンの『ゴルトベルク変奏曲』 -2023年12月2日 サントリーホール-

        第一曲のアリアに息を呑む一瞬があった。深々とした呼吸で歩みを進めていた左手の動きに、はっとする変化が生まれたのだ。その変容の瞬間に、ヴィキングル・オラフソンというピアニストがこの曲に何を見ているかも、垣間見えたように思えた。 以前から感じていたが、この曲の左手の低音部には、一度聞いたら忘れられない表情がある。バッハの時代の音楽の通例として、低音部は通奏低音として曲にリズムを与え、また中・高音部の和声の色彩とメロディの土台を作る。が、バッハの曲の低音部には、それ以上に何かを語

        • 太陽劇団の『金夢島』

          太陽劇団(Le Théâtre du Soleil)の22年ぶりの来日公演『金夢島』を見て来ました。 『金夢島』は、ベッドの上の女性が枕もとのスマホをとるという、とても小さな場面から始まります。彼女は、今日本に着いたところだと通話で語っている。ところが次の瞬間、その受話器を舞台上の黒子がとったかと思うと、「彼女は今、日本にいる夢を見ているようです」と話し始めます。この舞台が彼女のファンタジーだと示しておきながら、しかし、その後観客が見せられるのは、金夢島で開かれる国際演

        パリー経験として取り込まれる都市ー

          居ずまいと佇まい

          居住まいは座る姿。佇まいは立ち姿。それに関するあれこれを感じることが、最近は多い。齢七十に近くなり、自分の体形や姿勢の変化に気づくことがあるからか、人の「姿勢」に関心を惹かれるようになっている。 居住まいと言ってすぐに思い出される絵がある。北斎が晩年に描いた『胡蝶の夢図』という肉筆画だ。題材となっているのは荘子による不思議な逸話で、蝶としてひらひら飛んでいた夢から覚めてみると、蝶への変身を夢として見ていたのか、それとも蝶の見ている夢こそが本当の自分なのか、分からなくなってく

          居ずまいと佇まい

          『家庭の医学』 レベッカ・ブラウン

          米国の小説の名手レベッカ・ブラウンが、ガンに侵された母親の発症から亡くなるまでの生活をつづった手記です。病の進行に従って母に現れる症状は次第に深刻さを増していき、その一つ一つに向き合う作者一家の経験は、読んでいて胸が塞がるような気持ちにさせられます。 ただ、この本には、各章の扉に医学事典から抜粋した症状や療法の解説を掲げるという構成上の仕掛けがあります(原題はExcerpts from a Family Medical Dictionary-家庭医学事典からの抜粋-)。たと

          『家庭の医学』 レベッカ・ブラウン

          葉山陽代さんの『天満屋お初最期の一日』

          近松の『曽根崎心中』を葉山陽代さんが一人芝居にしました。和太鼓やチェロの和洋混淆のアンサンブルを伴奏にした公演。 冒頭に大太鼓の凄まじい乱れ打ち。強烈な打撃音が緊迫感を煽って走っていきます。近松の心中ものはシェークスピアの戯曲と並んで、恐ろしい速さで観客を運んでいく。とにかく主人公たちは驚くほどのスピードで、運命の坂道を転げ落ちる。その加速度的な疾走感を、太鼓の音が予告しているんですね。 女優の声が聞こえてくるや、これはいったいどこからの声なのか?と一瞬、見当識を失います

          葉山陽代さんの『天満屋お初最期の一日』

          トリュフォー―映画の窓、窓の映画 『突然炎のごとく』と『恋のエチュード』をめぐって

          雑誌『リュミエール』最終号に掲載されたフランソワ・トリュフォー論を、改稿しました。 1 初めは木の葉の舞い落ちるように細やかな動きで天空から降り来たり、やがては視界を埋めつくすほどの大きさと広がりで、言い知れぬ悲しみがこの地上を覆ってしまう。アルヴォ・ペルトの『ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌』は、そんなふうに言ってみるほかない不思議な音の息づく世界だ。切れ切れの音の単位は増殖を重ねながら、大きな時間の中に流れ込んでゆき、深く切り立った和声はその落差を失いつつ、果てもなく続

          トリュフォー―映画の窓、窓の映画 『突然炎のごとく』と『恋のエチュード』をめぐって

          『ウィンターズ・テイル』

          二十世紀に南米に起こり流行したマジックリアリズムという文学的ムーブメントは、日常の地続きに非日常が居座っている不思議な小説群を生み出しました。その嚆矢(こうし)と言っていいチリの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(1967)では、主人公の死んだはずの祖父が幽霊になって隣の家に住んでいたり、物忘れが伝染病のようにはびこる村で人々がどんどんものの名前を忘れていったりするのです。ほら話と言っていいエピソートたちは、単に日常を生きるだけでは出会えない原初的な怖れや文明

          『ウィンターズ・テイル』

          太陽劇団の軌跡 -2019年11月13日 早稲田大学国際会議場-

          先週、今年の京都賞を受賞したアリアーヌ・ムヌーシュキンのワークショップを聞いて来ました。 現代演劇のトップランナーと言ってもいいパリの太陽劇団を率いる彼女の言葉からは、野蛮な貪欲に捉われて平気でウソを吐く現代の大国の指導者たちに対する、火のように熱い嫌悪が噴き出していました。感動的だったのは、かかる現代の狂気に抗うために演劇が必要とするのは、想像力であり悲劇の力であり詩の力である、と彼女が言い切っていたことです。 ワークショップに先立ってビデオで上映された彼女の代表作『堤

          太陽劇団の軌跡 -2019年11月13日 早稲田大学国際会議場-

          2021年の映画、マイベスト20選

          映画とはアクションと視線と空間だ、という観点はますます私にとって映画を見る基準になりつつあるようです。そんな基準で設けた10項目を、10点法で評価しています。同順位が多いのはそういった目の粗い評価のゆえです。旧作も、新たに出会った映画という意味で新作と同列に評価しています。 19位 『ベイビーわるきゅーれ』 (2021) 阪元裕吾監督 70年代後半、『最も危険な遊戯』を嚆矢に、村川透監督が松田優作を主役に制作した一連の映画には驚かされました。この国のアクション映画がこれほど

          2021年の映画、マイベスト20選

          『クララとお日さま』

          カズオ・イシグロは「犠牲」というテーマで小説を書き続けている作家です。自己犠牲を生き方として運命づけられた存在を描く。それが私たちに、あるいは我々の時代にどんな意味を持つのか。そんな問いを、彼の文学は突きつけて来ます。 『日の名残り』(1989)は、20世紀英国の貴族に仕えた執事の回想という体裁の小説です。人に奉仕する生き様の尊厳とともにそれをどうしようもなく覆う寂寥(せきりょう)を伝えて来ます。『わたしを離さないで』(2005)は、人に臓器を提供するために育てられたクロー

          『クララとお日さま』

          『怪談 牡丹灯籠』 三遊亭円朝作(岩波文庫)

          落語は魅力的な文学の一ジャンルだっていうのが、これを読むとホントに分かります。なかでも円朝のこの作品には、一つのコスモスと言っていいくらいの、豊饒な世界が広がっています。 まず、武士、商人、僧侶から長屋の貧乏人に至るまで、江戸時代のあらゆるレイヤーの人々を巻き込む鮮やかな群像劇になっている。それぞれの登場人物に生き生きとした劇があるだけじゃなく、それがひょんなところで結びついてドラマのネットワークが増殖し、江戸世界の大パノラマに広がっていく。人生の百科全書、という点でバ

          『怪談 牡丹灯籠』 三遊亭円朝作(岩波文庫)

          『デカローグ』―見つめ返すことの奇跡―

          クシシュトフ・キェシロフスキの『ふたりのベロニカ』(91)に、覚めて見る夢のような場面がある。ポーランドに住む娘ベロニカが、ある日クラクフの広場で、もう一人の自分を発見するのだ。パリからやって来た観光バスが広場の空間をぐるりとターンする、その刻々に変化する角度の窓ガラスの内側に、もう一人の自分が自分を見ている。自分の生活、自分の存在を、どこか遠くにいるもう一人の自分が見つめ返している。ここで見る者が感じることを言葉にすれば、そういうことになるのだろう。現実にはあり得ないそんな

          『デカローグ』―見つめ返すことの奇跡―

          2020年の映画、マイベスト30

          世界の様相が一変してしまった2020年ですが、そんな世界で映画には何が出来るのか、考えながら、ベスト30を選びました。 アルファベット表記の題名は、日本未公開のものです。 30位 『アウステルリッツ』(2016) セルゲイ・ロズニツァ監督 《ホロコーストの現場となった強制収容所跡地を訪れる「観光客」たちが、ディズニーランドとおんなじノリで無邪気に飲み食べ笑う。見つめる視線に強烈な批評性が宿るドキュメンタリー。現代こそが絶望の時代なのだと、この映画は言ってるんですね。》 2

          2020年の映画、マイベスト30

          『アウステルリッツ』

          20世紀の小説は言葉の冒険の世界に乗り出していきました。それは一言で言うと、言葉でとらえ得る世界の新たな発見が、同時に小説世界の発見にもつながっていく、という種類の冒険でした。2001年に刊行された『アウステルリッツ』も、そんな目くるめくような冒険の興奮と感動にあふれた小説です。 自らの出自の記憶を失くした学者アウステルリッツが、ヨーロッパを彷徨って自分の過去の断片をひろい集めていくという物語。建築学や生物学の驚くべき知識に加えて並みはずれた感受性や洞察力を持った彼が、自分

          『アウステルリッツ』