部屋で鳴る音

「部屋で鳴る音 (1993年頃の話)」

 前話の「自転車事件」のおかげで会社を首にならずに済んだ僕だが、それからだんだん体調が悪くなり、会社を休みがちになった。精神的不調が主な原因で、仕事をしていても楽しくないし、張り合いも感じられず、不眠症のような症状もあった。
 そんなある日、夜中に眠れないでいると、部屋の中で何かの音がしているのに気付いた。それは「パシッ」とか「ピシッ」という、割り箸を折るような感じの音で、いわゆる「ラップ音」に似ていた。最初その音はテレビのあたりから聞こえていたので、唯物主義者の僕は、ブラウン管の熱で温まって微妙に膨張した木材部分が、冷えて収縮する時に音が鳴っているのだろうと自分なりに分析していた。数日後には、その音は台所の板の間のあたりからも聞こえるようになった。こちらは、足で踏んで少しずれた板が元に戻る時に鳴っているのだろうと思っていた。
 日が経つにつれて、音は部屋中のあちこちから鳴るようになった。「パシッ」「ピシッ」という音に加えて「バキッ」とか「コーン」というような音も鳴り始めた。会社の後輩にそのことを話すと「気のせいじゃないですか」と言われた。僕も気のせいだろうと思うようにしていたが、あまりにも鳴るので、ある夜、その音と会話してみようと試みた。
 心の中で「何か僕に伝えたいことがあるのですか?」と聞いてみた。するとしばらくして「パシッ」と音が鳴る。会社をやめようかと悩んでいたので、「僕が勤めている会社についてのことですか?」と聞くと、今度は音が鳴らない。
 そんな調子で、いくつかの質問をしてみたが、音は鳴ったり鳴らなかったり、しかもその音が「イエス」と言っているのか「ノー」と言っているのかもよくわからなかった。2時間くらいやってみたが、よくわからないままだんだん眠くなってきて「やっぱり気のせいなのかなあ」と思った瞬間、これまで聞いたことのないくらい大きな音が「バキン」と鳴った。僕はすっかり目が覚め「ああ、やっぱり何か伝えたいことがあって鳴ってるんだ」と思った。しかし、誰が何を伝えようとしていたのかはいまだにわからない。

 「自転車事件」から約半年後に会社をやめたが、その時、会社の同僚や後輩が僕の家に集まってお別れパーティーを開いてくれた。仕事の都合で遅れて来る人もいたが、最初に来た数人の中に、僕が「最近部屋で音が鳴るんだけど」と相談したら「気のせいじゃないですか」と言った後輩の栗田がいた。
 その栗田が突然「あっ、今鈴木さんが来たんじゃないですか?」と言った。しかし、玄関には誰も来ていなかった。「何でそんなことを言ったんだ」と聞くと「だって、今そこのふすまをトントンってノックするような音が聞こえたから」と言う。「それが俺の言ってた音だよ」と言うと「えっ、あんなにハッキリ聞こえる音だったんですか、これは気のせいじゃないですわ」と栗田は言った。 自分以外の人にもあの音は聞こえているんだなあと思った。


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