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タモリと赤塚不二夫

最近作業中の慰みに
武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という、
ラジオ番組をまとめたYouTubeを
聞いているのだが、
武田鉄矢は暑苦しくて鬱陶しいが、
それでもどことなく憎めない。
ひとつは鉄矢が僕の地元も地元、
福岡の雑餉隈(ざっしょのくま)というところの
出身だというのが大きな要因だ。

僕は中学生の時に
福岡の春日市というところに
引っ越してきたのだが、
西鉄の駅で言えば
井尻駅が最寄りの駅で、
雑餉隈はその一つ隣りの駅なので、
中学生の頃からなんとなく馴染みだ。

その武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」の
2016年頃の放送で、
タモリについて特集している回がある。

タモリも福岡の出身と言えば出身と言え、
タモリの地元は高宮というところだ。
高宮というのは西鉄福岡駅を起点として、
次の駅が薬院、そして高宮、
その次が大橋という駅で、
大橋の次が井尻、
そして井尻の次が雑餉隈だ。

というわけで高宮も雑餉隈も、
僕にとってかなり身近なエリアだったのだ。

ついでに言えば武田鉄矢の実家は煙草屋で、
その店は麦野というところにあった。
麦野のあたりもよく知っている。

そしてタモリにいたっては
僕の出身高校の先輩でもあるのだ。

どうしようもなくダメな時代だった、
中学時代や高校時代、
その黒歴史を過ごした場所である、
高宮、井尻、雑餉隈あたりのことを
遠い熊本でラジオ番組を聞きながら、
なんとなく思い出している。

そしてタモリと言えば赤塚不二夫だ。
タモリも赤塚不二夫も
満州との関りが深い。
ついでに言えばちばてつやも。

福岡の筑紫丘高校から
早稲田大学に進学したタモリは、
ジャズ研究会でイベントの司会などをやっていたが、
遊び過ぎて留年してしまい、
結局大学を中退させられて
福岡に呼び戻されてしまう。

そして保険の外交員や、
ボウリング場の支配人、
フルーツパーラーの
雇われ店長をやったりしていたのだが、
福岡で山下洋輔トリオのコンサートがあった時
なぜか打ち上げの席にタモリがいて、
その時のタモリの芸が評判になり、
一度東京に呼ぼうという話になった。

山下洋輔たちがお金を出し合って、
タモリを東京に呼んだ時、
その席にいたのが、
赤塚不二夫と筒井康隆だった。

タモリの芸は大ウケで
タモリを気に入った赤塚不二夫は
自分のマンションに居候させた。

それがきっかけでタモリは芸能人になり、
萩本欽一や黒柳徹子、
永六輔などに認められ、
いくつかの番組に出演したあと、
「笑っていいとも」の司会者になって、
今に至るわけなのだが、
赤塚不二夫が果たした役割は大きい。

赤塚不二夫の葬式の時
タモリが読んだ弔辞の
「私もあなたの作品のひとつです」
という言葉はそういう意味なのだ。

タモリの祖父は満州鉄道の職員だったが、
昭和13年頃に日本に帰って来たそうだ。
タモリはその後の昭和20年に生まれているが、
タモリの両親は満州の話ばかりしていたそうだ。

ちなみにタモリの父親は
祖母の弟で祖父母の養子、
タモリの母親は
祖父の姪で祖父母の養子だった。

つまりタモリの父親と母親は、
血のつながりはないが、
戸籍上の兄弟だったのである。
この時点ですでに複雑過ぎて
話についていけなくなる。

赤塚不二夫の父親は
満州で警察官をしており、
戦後はシベリアで抑留されている。

赤塚は6人兄弟の長男であったが、
満州時代に妹の一人は病死、
弟の一人は他家に養子に出され、
引き上げで日本の実家にたどりついた直後、
末の妹は栄養失調で息をひきとっている。

赤塚不二夫の母親は
子供の頃の事故で右目を失明しており、
右目は義眼だった。
タモリも片目が義眼なので、
そのあたりにも共通点がある。

終戦直後、満州では、
中国人による略奪や虐殺など、
無法状態が続いており、
赤塚不二夫は目の前で
中国人が撃たれて倒れる姿や、
母親がロシア兵に強姦されそうになる様子を
目撃しており、
それらのトラウマ体験の反動が、
ナンセンスマンガのアナキズムや、
晩年のアルコール依存に結びついているのだろう。

赤塚不二夫のアナーキズムが、
タモリのナンセンスな芸風を評価して、
タモリという芸能人が
世に出るきっかけを作ったのだが、
そのバックヤードには戦争があるのだ。




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