変わりたいけど、変わるのが怖い。だから変えてくれる何かを待っている。

初めまして、黒羽ひみとです。

読書はインプットからのアウトプット、ということで大好きな太宰治さんの作品を読みました。

いきなり長編は難易度が高いので「待つ」という掌編作品について。

この作品は、およそ四ページしかない短い作品です。しかし、何か心の奥底に入り込んでくる恐怖を感じました。

テーマでいえば題名の通り「待つ」でしょう。けれどこの主人公、何を待っているのか分かりません。

主人公は駅のベンチに腰を降ろして、いつも待っているのですが、主人公自身、誰を、何を待っているのか分からないのです。

大戦争以降、主人公は家に黙って座って居られなくなり外へ行くようになったそう。でも行く所が無いため、フラフラと駅へ辿り着き、何かを待ち出すのです。


主人公は何を待っているのか。

これを私は、"自分を変えてくれる何か"だと思いました。

大戦争が始まって主人公はこう言っています。

「 周囲が緊張してまいりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変悪い事のような気がして来て、何だか不安で、ちっとも落ちつかなくなりました。 」

しかし、こう言っているのにも関わらず、今度は家ではなく外でぼんやりしています。

ぼんやりしてるのが悪い気がしてるのに、何か特別なこと(前と違うこと)をしてるわけじゃないんですよね。

そして、主人公はこうも言っています。

「 どなたか、ひょいっと現れたら!という期待と、ああ、現れたら困る、どうしよういう恐怖と、でも現れた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、 」

その人にいのちを差し上げよう。

この言葉を私は、その人が願う"何か"をしよう。と捉えました。それがどのような事であっても。

これは憶測なのですが、この主人公は、自分だけの意思で行動を起こせないタイプなんじゃないでしょうか?

きっかけがないと変われないような。

そして臆病者なのでしょう。きっかけを"期待しながら"待ちながらも、現れたら"困る、どうしよう"と言っています。

こういう所からも、主人公がなかなか行動に移せないタイプだということが分かりますね。


私が、この作品を読んで"自分を変えてくれる何か"を待っていると思った理由が他にもあります。

それは、これを読んだ"私自身が自分を変えてくれる何かを待っている"からです。

この作品を選んだのは本当偶然なのですが、今の自分を書かれている気分になりました。

私は駅には行きません。ただ、よく図書館へフラっとこの主人公の如く何かを求めて行きます。そんな自分と、主人公が重なって見えました。

けど、自分を変えてくれる何かなど、私が求めてる人やものは現れることは無いのだと思います。この作品の主人公にも、待ち人は現れませんでした。現れないで終わっています。

これはやはり"変わりたいなら、自分の力で変わるしか無い"ということを暗示しているのでしょう。

他者の力を借りることもあります。けど、いざというときに変わる決断を下すのは自分です。そして、きっかけが来ないなら、自分で作るしかないのです。


ずっと、不安な気持ちを持ちながらも、今の状況に満足している自分がいました。けれど、やはりこのままだと駄目なんだと思います。人間は、進化をしていかないと衰えていく生物なので。

いつまでも、駅のベンチでぼんやり座っているわけにはいきません。今の自分には何が出来るのか、それを見つけ出して一歩足を踏み出したい。変わることを恐れずに、新しいことをしていきたいです。


これを読んでる皆様も、ぜひ「待つ」を読んで、今一度今の自分を見直してみてください。

共に、 新しい一歩を踏み出して、進化をし続けましょう。

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