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セブ島の戦争慰霊碑(フィリピン4)

セブ島も先の大戦の激戦地だった。
今の私たちにとってはリゾート地だが、80年前は地獄だっただろう。
もちろん今、街中を歩く限り、戦争の傷痕は見当たらない。80年の歳月は、過去の悲劇を覆い隠すのに充分な長さかもしれない。

それでも、そこで命を落とした人たちにとっては、「忘れ去られる」ことが最も辛いはずだ。遺族の方々も、はるばる遠いセブ島までやって来て慰霊碑を建立した。今回、街中にあってアクセスしやすい2か所を訪ねてみた。

南方第14陸軍病院関係者慰霊碑

最初に訪ねたのは第14軍陸軍病院跡であり、今は慰霊碑が立つ。現在の血液センター(VSMMC Blood Services Unit - Satellite)の敷地内にある。目印はフエンテ・オスメーニャ・サークル(Fuente Osmeña Circle)。「南方第14陸軍病院関係者慰霊碑」とGOOGLE MAPにも出ている。


慰霊碑は大通りからは見えない。病院の敷地に入ったところの駐車場にある。恐れずに敷地に入り、すぐに左手に進むとすぐに見つかる。病院関係者も、日本人の姿が見れば、慰霊碑を訪ねてきたと分かってくれるはずだ。

慰霊碑は病院の駐車場にあった。塀で囲まれていた。

目的の慰霊碑は、塀に囲まれた中にあった。聖域として大切にされているように感じた。中に入ると空気が変わった。セブ市街の喧騒が聞こえてこなくなった。ここだけ時間が止まってる感じがした。

左奥には小さな観音様が鎮座していた。

大げさではなく、多くの日本人がいる気がした。初めて来た場所なのになぜか落ち着いた。歓迎してくれているのだろうか。突然日本に帰ったような安らぎを感じた。隣には小さなお地蔵様が立っていた。

慰霊碑の裏には、「1977年3月10日 全国セブ会一同」刻まれてあった。加えて、比較的新しい解説版が設置されてあった。それが以下。

「第十四軍 陸軍病院の由来」

ここにも書かれているように、全土が戦場となったフィリピンでは、戦後に慰霊碑や記念碑が無数に設置された。しかし、戦友会や遺族会も日本人会も、時代の流れに逆らうことはできず、管理できなくなってきたようだ。
セブ島もどんどん開発が進んでる。しかし、こうして現地フィリピン人が大事にしてくれている。日本人として、大いに感謝すべきことだと思う。

慰霊碑の前には枯れた花束があった。これは、おそらく去年(2023年)5月に、在セブ日本総領事が手向けた献花だと思う。ネット上で見た写真の花束と、リボンや包み紙が同じだからだ。ということは、10カ月前の花束か・・

下のリンクに写っている総領事が持っている花束だと思う・・

山地総領事によるセブ観音及び陸軍病院慰霊碑への献花
(在セブ日本国総領事館のウェブサイトより)

たしかにここは周りにあまりホテルもないし、観光で来た日本人がわざわざ訪ねる場所でもないだろう。しかし、もっと気軽に訪ねてもいいのではないだろうか?私たちも、生まれてきた時が違っていれば、80年前、ここで命を落としていたかもしれない。あるいは、ここで命を落とした人は、遠い親戚かもしれない。そんなことを考えながら慰霊碑の前にずっと座っていた。


「セブ観音」

つぎに訪ねたのはセブ観音。こうした慰霊碑は、「地球の歩き方」などの旅行情報誌に掲載してもいいのではないだろうか。「今の若い人は歴史に興味がない」というのはおじさん世代(私も含めて)の偏見に過ぎないと思う。

セブ観音

セブ観音は、タクシーで先ほどの陸軍病院慰霊碑から20分ほど山に向かったところ。目印はマルコポーロプラザ セブ(Marco Polo Plaza Cebu)というホテルだ。その駐車場の隅にセブ観音が立っていた。

マルコポーロプラザホテルまでの道は、かなり坂道で、まわりはかなり庶民的な街並みが続くので、慣れてない人だと歩きづらい。ホテル自体は素敵だが、場所的には不便。しかし、高層階からの景色は良い。セブの街と海が遠くに見える。
 

周りはタワマンが立っていた。


セブ観音もセブの街と海を見下ろす方向を向いていた。しかし、目の前にはタワマンが立ち、視界を塞いでいた。周りはきれいに整備されており、日本風の庭園となっていた。手を合わしてしばし佇む。

隣にはバスケットボールのコートがあった。そして多くの若者が楽しんでいた。驚くほど平和な光景だ。

向こうでバスケットをする若者たちに色々話を聞いてみたかった。

フィリピン人に太平洋戦争時の話を訪ねると、祖父や祖母、あるいは両親から聞いた話をしてくれる。そのほとんどが日本兵に苦しめられた話ばかりだ。戦後直後のフィリピンの対日感情は非常に悪かったという。

セブ観音の隣でバスケットボールをしている若者たちに尋ねると、もしかしたら「私のひいおじいさんは日本兵に殺された」という返事が来るかもしれない。

そんな彼らの隣には、日本人戦没者を弔う観音が立つ。しかし、彼らは大切にしてくれている。・・・日本は、彼らの気持ちにきちんと向き合い、感謝すべきだと思った。

マルコポーロプラザホテルから見た景色。セブ観音はすぐ下。

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