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No.4 忘れ去られた作品

【個人アトリエ区画・■■■■のアトリエ内にて】

誰だ、そこはわたしのアトリエだ。
殺されても文句はいうな、ここはそういうルールだからな。

…え、ちょ、こども?なんで子どもがこんなところ、に、え、あ、ちょ、泣くな泣くな。どうしてこんなとこにいるんだ。お前さんと同世代の子なら共有スペースの方向だろ。

迷って、動けなくなって、どこも怖くて、ここにはカラフルな動物や飴があってつい入った?

…じゃあ、しかたがない。怯えさせてしまったね、飴玉。お詫びだよ。多分、十字路を右じゃなく、左に曲がったろ。前にもいたんだ、キミみたいな子が。あの先生さん、左利きだからきっと「利き手の方へ曲がるんだ」って教えてくれたんだろ?そりゃ、どっちの利き手かわかんなくなったら君ぐらいの年の子は迷うだろうね。ははは。

この銅像にそっくりな作品をみたことがある?
…それは、あの芸術街道の通りにあるあれのことだろう。

あぁ、似せてるのさ。いや、似せてるというのは語弊があるな。
信じてもらえるかわからないけど、もともとはあれ、私の作品なんだ。

『昔、誰かが作ったらしいが誰も覚えていない』、みんな口をそろえてお前さんみたいなことをいうんだよ。最近は、いや、もうあれは著作権フリーのパブリックアート化してるからね。この前なんて、なんだったか、テレビであの塔の前で踊ったら、ばず、ばずる?だったか。みんなそれだけで見るんだろう?驚いたよ。

…あれは私が学生の時に商店街の復興のために作ったものだよ。もともと取り壊される時計塔があってね、それを名残惜しそうにしていた人が多かったのも知っていたから。それに、幼い頃に祖母がももせ百貨店で買い物をするときに駄々捏ねて連れてきてもらって、その時歩けなくなったらよく近くの椅子で休ませてもらったよ。あれ、ハト時計でね、ハトが出てきたら頑張って帰るだなんて、キミぐらいの時によく祖母と約束したもんだよ。

だけど、時計塔としてはもう寿命を迎えていてね、部品がどこにも残っていなかったし、私もさすがに機械修理の知識はなくてね。だから、「町のシンボル」として、残せるように背格好はそのまんま、根元の土台の装飾はその時計台の廃材で作ったんだ。

…ほら、設計図と許可証、写真だって残っているんだ。なのに、役所にデータが残っていないから照明ができないだとさ。そして、挙句にいろんな課をたらいまわしにもされたよ。だけど、結局帰ってきたのは著作権は放棄されているし、某市の管轄になるんだと。

別に、そこで作品が愛されるならと思ったよ。でも、ある時は得体の知れない柄にされたり、正月には赤と白に染められたり。しまいにはアー塔、だなんて…。あれには「シンボル」という名前がちゃんとあったんだ。作品を、いや、我が子の無残な姿をみるのは、耐えられなかった。

そして、今は「流行る」だなんていってるけど、私には添え物のように扱われているのが、気がかりでね。なんで作られたか、なんか思い出が、とか、価値観が古いんだろうけど、消化しきれなくてね。

話してみたらいいじゃないかって?私はおじいさんになってしまったから、きっと自分が学生の時に勤務していた人はみんな定年を迎えて現場から去ってしまったから、…君みたいに信じてくれる人はいないだろうね。

まぁ、ちょっと仕返しに、アトリエまでちょうど1キロのところにあるからその道標を書いてやったよ。君の先生からステンシルだったかな、路上アート用の型を借りてね。ざまあみろだ。

笑ったね、落ち着いたようでよかった。

ここからまっすぐいくんだ。間違っても他のアトリエに入るんじゃない。
この前なんて、それで怒り狂って殴り合いがあった。あと、二度とここへ来てはいけないよ。君にはまだ未来があるからね。

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