いらない情報を「ぺ!」ってしたらイマジナリー円陣を組んでもらった
「栄養にならない情報」を吐き出すと
前後編で書き上げた長い長い禊アウトプットで、私はどうやら過激派なんだということに気がついた。本来は、意外と我も強いのかもしれない。
そして、あれは「自分に合わない情報」を盛大にキャッチ&リリースした実体験でもあった。(王蟲も出てきたし)
あきやさんの言葉をお借りするなら、「栄養にならない情報はプラスチックと同じだから、吐き出しちゃおう」ということだったんだと思う。実行できてた~!
(大変よくできました💮 次は、もう少しスマートに試してみましょう)
私はつい感情的になって勢いでやってしまったが、「栄養にならない情報」を吐き出すと、それに付随した「つかえ」なんかも一緒にくっついてきて、「いらないもの」の解像度が上がる気がする。
自分がその情報のどんなところにモヤっていたのか、という根本的な部分が見えやすくなる感じだ。(それがしんどくもあるけれど)
怖さの先のイマジナリー円陣
ただ、これだけ感情や内面をさらしたアウトプットになったので、目にした人に嫌な想いをさせてしまうかもしれない、という怖さもあった。だいぶ極端な話になってしまったし。
「私にとっての個人的な意見」として発信したつもりではいるけど、受け止められ方はわからない。
このアウトプット、投稿しちゃって大丈夫だろうか?
そんな想いでいた。
今までの自問自答noteとは傾向が違っていたからだ。
これまではただ、自分自身の穴掘りの経過について語っていただけだが、前回の2編はどなたかの領域に触れてしまう可能性がある。それがずっと気になってた。
(こういう踏み込んだアウトプットをしてみて感じるのは、ご自身の想いはしっかり伝えながらも、包容力にあふれてるあきやさんの言葉は本当に愛だと思う!)
友情・努力・勝利系列で、「サーブを打つときは、1人で闘わないといけない(意訳)」という言葉があるけれど、まさにそういう感じで。
いつも以上に書き直して手を加えて、公開した。
もうちょっと違う書き方もあったかも……と思わなくもない。
そこは精進したい。
今はこれが精一杯。(どこかで聞いたセリフだけど)
でもこうやって、どこに飛んでいくかわからない、気迫だけ乗ったヘロヘロなジャンプサーブを、今できる表現で「真っ当な怒り」に打ち込んでみたら!
本当にありがたいことに、「ウェーイ!」とハイタッチをしに来てくれる人がいらっしゃった!
それだけでなく、イマジナリー円陣まで組んでもらった気分だった。すごく嬉しかったです。
私、結構な怒りを出しちゃいました。
極端なことも言ったと思います。
そのことで不安になったり、悲しい想いをさせてしまっていたら、やっぱり申し訳なく思います。
だけど、それが「今の私の気持ち」なんです。
ファッションに限らず、自分の指針になっていく大切な部分だと思う。
そこを好意的に捉えてくれるって、おそらくは何か近しいものを感じ取ってもらえたのかな……、なんて勝手に想像してしまっています。(違うかもだけど)
なかなか追い切れないですが、ガールズさんのアウトプットを読ませてもらうと、僭越ながらそれぞれの場所でどうか守りがあったり、癒やしがあったり、そういう力が働いてくれたらいいな、と思う。
しんどいときには、どうか心と体を休めるのを第一に専念してくださることを願っています。
お互いに「これが自分!」ってものを掘り当てて、そういう自分で楽しく笑い合いたいですね!
自分自答をしていくと、見たくなかったことにも目を向けないといけないときもありますが、そのすべてを公開しなくても、構わないと思います。掘り出したものはご自身の判断で、自分だけが知っていればいいことだってあると思うし、そこはそれぞれの裁量でいいのではないでしょうか。(私自身もすべてをオープンにするかは、わかりませんし)
noteに下書きだけして全消しとか、「時が来たら公開!」でもよさそうな気がします。
踏み込んだアウトプットで見えてきたもの
ただ個人的には、率直なアウトプットをしてみたら「寄り添ってくれてありがとう」って気持ちと、「それぞれの場所で抑えつけられることなく、どうか心穏やかでいてほしい」という心境になりました。
自分の人生にしっかり向き合うと、自分以外の人たちの人生に対してもより尊重の気持ちが増すというか(個人的な心境ですが)、「今の状態とか、とりあえず全然OKで、それぞれのペースでお互いが行きたい場所へ歩いて行きたいですね!」っていう気持ちになってくるし、励まされる!
それでいうと。
前回2編のところでも触れた、妙な絡み方してくる場合って、無意識でも自分のことから目を逸らしていたいとか、ほかのことに転嫁してる部分もあるのかなあ、って。
「それを向けられた側が、全部引き受けちゃう必要はないんだろうなあ」っていうことと、「自分にはまったく関係ないもんなあ」という事実にようやく納得がいったというか。(たとえば、ある程度自分に非のようなものがあったとしても、そのことと「相手のフィードバックの仕方」ってまったく別物というか、先方の個性によるものだよねえ……。こっちには関係ないよねえ、とか)
自分の人生でモヤっていることは自分で片をつけないと、モヤモヤからは抜け出せないし、そういうところで自分が本当はどう思っているのかを見ていかなければ、知らないうちに他人軸になってしまうのかもしれない。(私もそうなってしまっていたのかも。他人軸だったからこそ、感じる怒りもあるんだろうし)
リアルで直に出逢って話すのもいいものですが、いきなりこういう突っ込んだ話はなかなか切り出せないですよね。時間も場所も予定の制約もなく、「読んでもらえる・読める」よさという、ネットのありがたみはものすごく感じてます。
こうしたアウトプットをしてみて、あきやさんのこの言葉を強く実感した。
「アウトプットは自分のため」
この言葉も印象的で、その部分は忘れないようにしたいなと思っています。(上記の記事からの抜粋ではないのですが)
が、それはそれとして!
反応をいただけるということにも、本当にありがたく思ってしまうのです!(ぎゃー!こんなときに「てへぺろ」を使えばいいんですかねっ?)
感じたこと・思ったことをなるべくアウトプットしていきたい。
不思議だなと思うんですが、アウトプットする内容だけ見たらゴリゴリに個人的な事柄なのに、自分のことばっかりにならずにガールズさんの記事を思い出すというか、インプットをするとき以上に「みんな、それぞれの場所で営みがある」ということを意識し、なぜか応援してもらっている気分になる。勝手に連帯感みたいな。
(そして、私の記事の大半は長い。読んでくれるの「ありがとう」でしかない!)
それぞれの「置き言葉」で「待ち合わせ」をして、私もハイタッチをしに行きたい。
リアル円陣は敬遠されるかもしれないので(時期柄と暑苦しさ)、よかったらイマジナリー円陣など組みましょう!
\自問自答ファッショぉ~ン!!!/
\オー!!!/
(足ダン)
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