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第二十話 赤い悪魔・ワッフル・しょんべん小僧 「奪還」

最終チームプロジェクトと併せて、個人の最終レポートも今月末までに提出することになっています。内容はポートフォリオクラブ(初回課題時に自分がピックアップしたクラブ)のまとめ。この8ヶ月、自分はベルギー1部のSTVVについて概要、歴史、ファンエンゲイジメント、ガバナンス、CSR、メディアと、大学のモジュールテーマに沿った内容のレポートを書いてきました。実際に現地に出向き、CFOの飯塚さん、COOの村田さん、スカウトの長島さんと、現地で働く方々の生の声も聞くことができ、その協力の下課題に取り組めています。まずはここでお礼をさせてください、ありがとうございます!書きたい内容はいくらでもあるのですが、2000語でまとめなければならないのが難しい…。

正直、うちの大学の課題はFIFAマスターやFIMBA、AISTS、その他MBAに比べれば圧倒的に量は少なく、期限にも余裕があります。11月いっぱいまではオンラインコースとのダブルコースでそこそこ忙しかったですが、オンラインコース修了後は、その分の時間で、新しい人と会ったり、色んな国へ行ったり、スペイン語やったり、球蹴ったりしてきました。コロナのせいで未実施の授業があり、とりあえず9月中旬まで授業があるという旨の書類を作成してもらいましたが、予定通り6月に卒業ということになりそうです。そのため、少しセンチメンタルになりながら、このMBAコースの振り返りも始めています。

今回はそんな個人レポートの整理として、ベルギーについて書きます。

ベルギーの歴史

中学の時、国際文化学習のような授業があり、クジでベルギーを担当することに。領事館行ったり、ネコのお祭りがあるってので紹介するためお面作った記憶があります。その後も日韓W杯で同組になったこと、B'z友達がベルギーに住んでいたこと、近年の代表チームの躍進、STVVのオーナーが日本企業になったことなど、頭の片隅のどこかにはベルギーが。

ベルギー王国
・連邦制
・もちろん国王がいる
・首相は女性(ソフィー・ウィルメス)
・人口:11.5M程
・面積:日本の1/12(北海道の1/3)
 → 人口密度は日本と同じぐらい
・公用語:オランダ語(北部)、フランス語(南部)、ドイツ語
・オランダ語のフラマン人58%:フランス語のワロン人31%、その他11%
・宗教:カトリック75%、プロテスタント25%
・人気スポーツ:サッカー、自転車
・その他:夫婦別姓、同性婚は2003年〜OK

現代のベルギーになったのは1830年のネーデルラント王国から独立宣言して以来。それまでは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス三国が1つの国として分裂したり、引っ付いたり、争ったり、侵略されたりという歴史。独立宣言後もオランダと8年戦争が続き、実質独立が認められたのは1839年。独立を認める条件として永世中立国になることを誓うが…。

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<引用:allabout, Belplus

ベルギーの歴史は今の代表チームが象徴していますが、様々な人種・国家によって目まぐるしく覇権が変わっていきます。地図を見ると英仏独と大国に囲まれ、案の定こいつらに振り回されます。

<ローマ時代>
ローマ人


<中世前期
(8〜12世紀)
ゲルマン人、南部はローマ人の支配

<中世後期
(13〜16世紀)
イギリスフランスが派遣争い。フランス領となる。南ネーデルラント(今のベルギー・ルクセンブルク)はスペイン・ハプスブルク家の分枝に。1549年に神聖ローマ帝国、フランスからも独立したネーデルラント17州が成立。フェリペ2世がプロテスタントを廃止しようとして80年戦争。スペインに再び支配され南部(今のベルギー・ルクセンブルク)は1713年までスペイン領に。1618年の30年戦争以来、ヨーロッパの戦場と言われる。

<17〜18世紀>

17世紀後半からフランスによる支配。ルイ14世の侵攻により土地を失い、フランス革命戦争によりフランス領に。18世はオーストリアとフランス。プロテスタントが1/4にも関わらず国を支配、平等のはずのカトリックとの間に歪みが。

<19世紀〜>

1815年のナポレオン戦争終結後、ネーデルラント連合王国が誕生。北のオランダ、南部のベルギー・ルクセンブルクが戦争によって離れていたが、またくっつく形に。

産業革命により豊かになり、大国が寄ってくるはめに
。英仏のお金を回し重宝されるもドイツも近寄って来て侵略される。

第二次世界大戦では第一次大戦のようになるまいと、連合国側につき、今回はしっかり軍も出しますが、やはり中立国でありたいとドイツの要求を飲む。共産主義者、活動家、ユダヤ人を追放。中には英仏の人も含まれていた。そのため、この中途半端な対応に英仏もプンプン。ドイツにも攻め込まれ痛い目に…。

しかし戦後は欧州統一を引っ張っていく存在に、EUの実質首都であり、NATO本部もあります。小便小僧とチョコレート・ワッフルだけじゃないんです笑。

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ちょうどバレンタインの時に訪問していたので、カップルや日本人の観光客も多く見かけました。こっちは男一人旅笑

ベルギーフットボール

現在FIFAランクトップ、2018年W杯ではブラジルや我がイングランドを下し3位に。1895-96に7チームの総当たりトーナメントがリーグの始まりだとか。主な特徴は以下の通り;

<国内リーグ>
ジュピラー・プロリーグ(16チーム)、2部は8チーム
UEFAのリーグランクはポルトガルに次ぐ8位(2019年)

 <特徴>
外国人枠なし
若手選手への税制優遇
 → 選手の移籍金が売上において多くを占める;16-17年€179.2M(34%)
 ※ J1は€72.5Mで全体収入の12%
特殊なレギュレーションで最後まで競争力が高く、魅力的なリーグ

<G5>
アンデルレヒト、ブルージュ、ヘント、ヘンク、スタンダールリエージュのビッグクラブがタイトルや放映権(5チームでリーグ収入の半分)を独占。

<80年代の栄光と2000年代の暗黒期>
80年代前半、ELの前身であるUEFAカップなど欧州の主要大会でスタンダールリエージュやアンデルレヒトが優勝・準優勝を達成。代表チームもEURO1980で準優勝、W杯1982では前回優勝のアルゼンチンを撃破し初のグループステージ突破。86年W杯ではベスト4に。2002年以降、2014年ブラジルW杯まで10年以上主要国際大会に参加できず…。

EURO2000をオランダと共催。開催国(EURO or W杯)としてグループリーグ突破できなかった史上初の国に…。日韓W杯ではグループリーグ突破も2010年のFIFAランク68位まで後退。

 <日本人選手>
ヘンクに鈴木隆行選手、リールセ&スタンダールリエージュに川島選手が移籍したことが有名でしょう。その後はDMMが経営権取得後、STVVに遠藤・富安・鎌田・鈴木優磨選手はじめ代表クラスの移籍が話題に。

 <STVV>
2017年に経営権取得し、欧州でも稀有な日本資本のクラブに。2019年までに計9人の日本人選手が移籍。ちなみに前オーナー、ベルギーのミリオネア兼政治家のローランド・ドゥシャトレはスタンダールリエージュのオーナーでもあり、川島選手のプロ意識の高さに感銘を受けその後日本人選手の獲得(永井、小野選手)に動いたそうな。

国の規模(人口・面積・GDP)は日本の1/10ほどにもかかわらず、プロリーグの収入はJ1の8割にも迫るほどフットボール熱の高い国です。また上記の特徴のおかげで、若手育成リーグとして認識されています。その他ベルギーリーグに関しては、STVVの飯塚CFOのこの記事がわかりやすいのでぜひ読んでみて下さい。

90年代のベルギーフットボールの不振を受け、クラブ単位で育成改革が起こります。オランダやフランスなど隣国に育成を任せるようになるのです。ベールショットという北部、アントワープにある小さなクラブがオランダのアヤックスと提携しユース改革を。Flemish地方(北部のオランダ語圏)のブルージュ、ヘンク、ヘント、アントワープは総合スポーツセンターの「スポーツシューレ」を設立。本格派のアンデルレヒトからはコンパ二、ルカク、メルテンスが。個性を大事にするヘンクからはクルトワ、ベンテケ、デ・ブライネが。北部のオランダ支援に対し南部はフランスの力を借りることになる。アディダスのオーナーが破綻寸前のスタンダールリエージュを救済。近代的なアカデミーを設立し、後にウィツェルやフェライニを輩出することになる。国内だけではなく、アザールやオリジのように14・15才でフランスのリールに加入しているパターンもある。

前述の歴史を見てもわかるように、多様な人種・文化が入り混じり連邦制を採用しているベルギーにおいて「統一」はフットボールにおいても最重要課題なのでしょう。北部オランダ語圏のフラマン人と南部フランス語圏のワロン人の対立。それゆえにバラバラの育成システム。長年の低迷において、雨降って地固まるという具合でしょうか。「フットパス」という統一された育成システムが開発されます。その後のベルギーフットボールの発展はみなさんご存知の通り。無事覇権を奪還。多様性の重要性が叫ばれる昨今ですが、日本のように人種の多様性がほとんどなく、ほぼ統一された価値観があらかじめ共有されていることはメリットでもあるはずです。欧州のように多様性ゆえに成功を収めている国もあります。だからと言って多様性が良い、統一された価値観があるから良いとは一概に言えません。その国のフットボールを発展させるためには歴史や文化を理解し、ベルギーのように独自のメソッドを生み出すべく努力することが望まれているのだと思います。

シントトロイデン 訪問時のレポートも書いていますので、良ければ見てください。

今週のあとがき

5月8日にiWorkinSportというスイスで開催予定だったスポーツ業界の就活イベントが、コロナのためにオンラインで実施されました。念のため2ヶ月ぶりにワックスつけ、シャツも着て待機していましたが何も起こらず。具体的な部門の募集やインターン内容の記載があった団体には、いくつかアプライしました。FIFAやオリンピック協会、アディダスやユーベにインテルなど有名企業・団体も参加していましたが、この状況ではなかなか具体的な募集もなく、他の参加者曰く、本音も言ってもらえない雰囲気みたいでした。

9月末までビザを延長し、観光ビザで12月いっぱいは最低でもバルセロナにいたいなー、なんて考えています。このMBAを通して得た知識や経験を生かし、仕事したい気持ちは当然あります。お金もそろそろ何とかしないといけないので、日本の企業含めぼちぼちアプライもしています。ただ、何よりもボールを蹴りたい笑。土曜日に一緒にボール蹴っているスペイン人がカタルーニャ2部のフットサルチームでコーチをしているのですが、9月からの新シーズンに向けて声を掛けてくれたんです。今の自分にとって、残る理由はそれだけで十分。プレーヤーとしてまだ上手くなりたい。MBA取りに来てるのに、こんなチャレンジできるチャンスが巡ってくるなんて思ってもなかったので。政府の対応にもよりますが、何とか残れる方法を誰か教えてください。それでは、Adéu!


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