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ガクヅケ船引亮佑インタビュー 【1・前編】

 お笑い芸人のクリエイター的側面に着目するインタビュー連載企画を立てるなら、その第1弾にはガクヅケに来てもらいたいと願っていた。幸運なことに船引からのOKが出て、承諾のメールを読みながら大変安堵したことを覚えている。
 ガクヅケは都内のあらゆるライブに現れてはネタを披露している。しかし根無し草とは程遠く、各々の場にてガクヅケらしいネタや振る舞いが求められての現象であると、いち観客としての自分は捉えている。こだわりや個性を他者のそれらと擦り合わせて磨こうとする、そのような者たちの奮闘などまるで意に介さないでいるかのように、ふたりの感じる面白さを最優先にした形で発信していける強さ。群れにならずとも擾乱激しいライブシーンで安定した飛行を続けられてきたのは、この揺るぎない姿勢があってのことだろう。
 初回インタビューということもあり、今回は船引自身の遍歴や創作に結びつく思想、コンビ休業を直前に控えて思うことといった、言ってしまえば「そりゃ聞くだろう」といった事項ばかりを聞いている。船引もまた、自分の等身大以上に言葉を飾り立てることなく、正直に答えてくれている。しかし、このベーシックな対話から見えた、船引のなかの「ガクヅケらしさ」の一片は、今後も掘り下げて「ゆかなければ」と思わせるほどに眩しかった。自分がこの企画に彼らをオファーしたかったのも、興行側がライブに彼らを呼びたがったのも、実用的な側面からのみでなく、この切迫感に駆られてのことでもあったのかも?
 なお、今年3月16日に東京の座・高円寺2で、5月30日に大阪のZAZA HOUSEで行われたガクヅケ第3回単独「ロングバケーション」に関する内容は、特別編として公開中である。近年の姿勢などを補完できる記録だとも思われるため、ぜひこちらも。

(インタビュー・執筆: れみどり)


ーー まずは自己紹介をお願いします。

ガクヅケ船引亮佑(以下、船引) マセキ芸能社のガクヅケという、コントをやっているコンビでメガネじゃないほうの、船引亮佑です。出身は兵庫県姫路市です。2014年の2月にガクヅケを組んで、4月から活動しているってことになってます。

ーー 船引さんも相方の木田さんも養成所の出身ではないため、芸歴の始まりが少しふんわりしているのですよね。

船引 事務所の公式ではわかりやすく、2014年の4月からにしてありますね。たぶん。

ーー お二方とももともと関西で芸人さんとして活動されていたけれど、ガクヅケとしての活動が始まったのは上京後からという認識でいるのですが、間違いないでしょうか?

船引 はい、そうですね。2014年2月に引っ越してきて、木田とルームシェアをすることになりました。で、そこからですね。ルームシェアを始めると同時にコンビを組んだ感じです。

ーー ……あの船引さん、なんと言うか、調書取られてるみたいになってます(笑)。

船引 はは(笑)。よろしくお願いします。


今の生活も人生ゲームみたいやなと思うときがある

ーー 連載の初回となるため、ここから読まれる方も多いのではないかと見込んでおりまして。読者の方々に船引さんのことを知っていただくためにも、今回は船引さんのルーツ的な話をじっくりと伺っていければと考えています。
 幼少期からお笑いがお好きだったと伺っています。いつ頃から好きだったかは覚えていらっしゃいますか?

船引 もともと姉がお笑い好きで……4つ上と6つ上にそれぞれいるんですけど、ふたりとも。長女のほうはbaseよしもとに通っていて、後藤秀樹さんの単独ライブに僕も連れて行ってもらっていました。

ーー 弟を連れて行くって、熱心ですね。

船引 僕が行きたいって言ったんかな?そのときはお姉ちゃんと友達と3人で。

ーー 趣味を共有し合うきょうだい関係でしたか?

船引 そんなに……でも「すんげー!Best10(*注1)」っていう、オンバトみたいなルールだった関西の番組があったんですけど、姉ふたりと一緒に見てました。ジャリズムさんがめちゃめちゃ強かったとき。趣味の共有というよりは、家でお笑いの番組を見る習慣が普通にあったって感じですね。

注1: 1995年から1997年までABCテレビで放送されていたお笑い番組。ちなみに放送時期は文中で名前が挙がっている爆笑オンエアバトルよりも前。

ーー ひとつのテレビで一緒に見て、楽しくて。でも、それらの番組って色々な芸人さんがネタを披露される番組じゃないですか。だから見ている番組は同じでも、好みまではお姉さんの影響下にはなかったのではないかというか、自分の中で独自に構築されていったのかなと推測しているのですが。

船引 笑いの好みはけっこう違うと思います。「M-1のスリムクラブ、全然おもんなかったよな」って言われましたもん、次女に。僕はその真逆やけどな……って。

ーー 船引さん、すごい表情になってます(笑)。

船引 ふふふ、でも真逆やったからね(笑)。小3ぐらいから「お笑いを見ている」っていう意識は出ていたと思います。

ーー テレビをぼんやり眺めているんじゃなくて、これを選んで見ているんだみたいな。ご自身で能動的にお笑い番組を録画して見ていたのはもう少し先ですか?

船引 いや、それも小4くらいから?オンバトはVHSに録画して、15本ぐらい……もっとかな?とにかくかじりついて、ほんまに繰り返し見てましたね。実家にまだその頃のVHSが眠ってるはずです(笑)。

ーー 小学生の頃って、学校が終わってから時間がいっぱいあるわけじゃないですか。遅くても16時とかに授業が終わって帰ってきて。その時間は自由に使えてましたか?それとも習い事とか、他の用事も入ってきてましたか?

船引 特には。宿題も学校の休み時間に全部やってしまうタイプでした。家ではもう何も、勉強に関することをしたくないから。

ーー 何もしたくないはわかるけれど、そこまでやりますか……。じゃあそれで空いた放課後の時間を、お笑いを繰り返し見るなど、自分のやりたいように過ごせていた。

船引 そうですね、インターネットが来るまでは。中1でネットが引かれてからは、そっちにどっぷり。

ーー そういえば私たちの世代って、こどもの頃からインターネットがあるのが普通って環境ではなかったですものね。
 今でもキャラクターがガクヅケのグッズに使われている「完熟トマト新聞」が掲載されていた学級新聞、こちらを作っていたのも小学生の頃でしたっけ?

船引 はい。小5かな?当初はマンガの欄にオンバトのあばれヌンチャクさんとか鉄拳さんとか、フリップ系のネタをそのまま模写していて。キャラクターも同じでした(笑)。パクりの罪みたいな意識も全くない頃だし、単に自分が面白いと思ったものを広めようとして。

ーー 今ならリツイートするみたいな感覚ですかね。その学級新聞は1年間くらいやっていたんですよね。けっこう継続してたんだなって印象なんですが、何がモチベーションになっていたんでしょうか?新聞を作る係だったとか?

船引 係とかではなくて、勝手に作って貼ってました。もしかしたら何かきっかけがあったのかもしれないですけど、覚えてない。友達4人ぐらいで学級新聞をやろうと思って……でも次第に僕しか書かんくなって。
 例の「完熟トマト新聞」も、その友達のひとりだったマツダ君が完熟トマトくんをパッと描いて、あとのキャラは全部僕が描いてという形で生まれました。

「完熟トマト新聞」の看板キャラクターである完熟トマトくん。
「完熟トマト新聞」の看板キャラクターである完熟トマトくん。

ーー マツダ君もまさかその時ささっと描いた完熟トマトくんが、今でもキャラクターとして生きているとは思ってないでしょう(笑)。ひとりになってしまってもずっと作り続けていたのはどうしてですか?

船引 ……同じことをやるのが好きだから?(笑)

ーー 今でもRadiotalk(*注2)とか、最近だと船引小説(*注3)も毎日続いてますものね。

注2: 音声配信サービス。船引は毎日生配信(以下、生配信)やラジオ収録(以下、収録回)の配信を行なっている。
注3: 船引が自身のnoteにて公開しているショートショートの通称。

船引 ああ、まさにそれらみたいな。

ーー 他にも何か、小学生の頃に好きだったものはありましたか?

船引 ゲームはしてましたね。ひとりでずっと64の人生ゲームやってて。ボードゲームの人生ゲームも小学校低学年の頃、サンタさんに頼みました。そしたらおっさんがやるような「平成版」ってバージョンが届いて……株とか政界のドンとか先物取引とか出てくる(笑)。でもそれはそれで面白かったからひとりでずっとやってて、後に買ってもらった普通の人生ゲームもやってて、64のやつもやってて。

ーー ……人生ゲームの何がそんなに?

船引 あはは(笑)。お金稼ぐゲームやから好きなのかな?今の生活も人生ゲームみたいやなと思うときがある。

ーー ここのマスに止まったからこのライブに出て、お金をもらって、みたいな。

船引 なんか大変なことがあっても、ルーレットで出たとこがたまたまここだったんだって、そう考えたら別に生きていけるから。

ーー たしかに、深く落ち込む前に「そういうマスに止まっただけなんだ」って思い込むことでストッパーかけられそうですね。

船引 あと逆転できるから、人生ゲームだったら(笑)。

ーー あはは(笑)。お笑いはお姉さんたちと一緒にって感じでしたけど、人生ゲームとかのゲーム系は「ひとりで」とおっしゃってましたよね。お姉さんたちはそこまで?

船引 きょうだいではそんなにやってないですね……。他の人とゲームするのが嫌なわけではないので、ゲーム持ちの友達ん家に集まってゲームするのは好きでした。当然自分も欲しくなって親にお願いして、64を買ってもらうんですけど、ただ集まるのはよそで。うちは人を呼ぶとおかんが怒るから。怒るっていっても単純に世間体を気にしてというか、部屋片してないから勝手に呼ばんといてくらいの。だからうちに友達が来た記憶はあんま無いです。

ーー 急に来られても困るみたいな。何かで聞いたんですが、20歳くらいの頃に木田さんを呼んだのが相当珍しいことだったとか……。

船引 ああ……実家に家族以外がいたのはかなり新鮮でしたね。なんかおかん嫌がってたけどな(笑)。当時の木田なんて今以上に得体が知れないし、まだ相方ですらないし(笑)。

船引 ゲームやと、メダルゲームも好きやった。デパートのメダルゲームです。
 普通にメダルゲームを遊ぶのも好きやったんですけど……ほんまはダメなんですけど、家にメダルを持ち帰って(笑)、お菓子の箱に敷いてフタで押す、自作のメダル落としでも遊んでました。釘を打った板も用意してタタタタ……ってメダルが落ちていく仕組みも作った。さすがにメダルを押す動力は家になかったから、腕でフタを操作して。

ーー えっ、自分だけで作っちゃったんですか!

船引 他にもフレンドパークの……あれわかります?でっかいシーソーを操作してオレンジの玉を転がすやつ(*注4)。それも学校の工作で作りました。手でパタンパタンと板を傾けて、ビー玉を転がす。
 あとパチンコとかスマートボールに似たものもありました。引っ張ってビー玉を発射して、穴に落ちたら負けっていう簡単なもの。

注4: 正式名称は「ネヴァーワイプアウト」。「関口宏の東京フレンドパークⅡ」のアトラクション。

ーー ……なんで作ろうと?

船引 ふふふふ。こういうのが好きなんでしょうね。

ーー 何かしらの機構をもったものが。こういった工作のノウハウを得る機会があったんですか?

船引 いや自分で考えて。だいたい見たらわかるから、構造とかは。ここは引っ張ってる、ここで弾いてる……って何が起きているのかを観察していけば。

ーー メダル落としの動力とか、無いものは別の方法で工夫しながら……すごいですね……。作り始めるのもだし、諦めずに作り切るのも。
 それらって自分で遊んでただけなんでしょうか。他の人に見せたりとかっていうのは?

船引 まったく無いですね。

ーー 他の人にすごいとか褒められたくてやったわけでもなく、作りたいからで作りきれちゃうんですね……。

船引 そういえば人生ゲームでも……職業っていうシステムがあるんですけど、オリジナルの職業とか考えて遊んでました。各々の職業にランクが1から5まで設定されていて、サラリーマンなら平社員から社長までやったかな。そのランクも自分で考えて。せんせい(*注5)にオリジナル職業とランクを書いては、満足して消すのを繰り返す。

注5: 正式名称は「おえかきせんせい」。繰り返し絵を描ける、タカラトミーの知育玩具。

ーー 残さないんですね。

船引 残らない。まだ画用紙やったらわかるんけどね(笑)。みっちり書いて満足して消して。

ーー ええ……(唖然)。
 お話を伺っていると、幼少期からひとりで淡々と遊んだり続けたりしておられたことがわかりますね。お笑いも、お姉さんたちと同じ部屋で見ていたけれど、みんなで盛り上がるものとしてではなく、自分で楽しむものとしてあって。

船引 ひとりで遊ぶのが上手やったんでしょうね。

ーー 何がきっかけでそういった、ひとりで作って遊ぶ習慣がついたかって記憶は残ってますか?

船引 うーん、物心つくかつかんかの頃にはもうこういうことをやってたから……せんせいブームは小1から小3くらいまでやったし……。

ーー 家にせんせいがあったから自然にそれで遊んでて、そのうちに書いて消しての遊びを思いついて……。言い方がアレですけど、知育玩具の開発者が聞いたら泣いてしまいそうな話(笑)。

船引 あははは(笑)。

ーー こんなにも真剣に遊んでくれた子が、今でもネタや小道具を自力で作っては、人々を楽しませていて。
 ここまで話に出てきたようなゲームとかおもちゃとかは、ご両親から買い与えられていたものですか?

船引 自分で買うとかはせんかったな。誕生日とクリスマスにはゲームをくれる。クリスマスに関しては「サンタさんから」と「両親から」ってカモフラージュまで徹底的に。

ーー 「サンタさんがいる」というのを信じさせたいがために。

船引 すごい説得力ありましたよ(笑)。

ーー 友達が「サンタって親なんでしょ?」って言ってきても「いや。うち親は親でくれるから」って返せちゃう。

船引 そこまでやるのもすごいなって、今思えば。

ーー 小学校ではどんな子でしたか?

船引 面白いことが好きやったって感じで、明るくて。小4の時に友達のハラダ君と学校で、クレヨンしんちゃんのヘンダーランド(*注6)の追いかけっこのシーンを真似してた。

注6: 正式名称は『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』。1996年に公開されたアニメ映画。

ーー 学校でクレヨンしんちゃんの真似されたら、先生はちょっとたまったもんじゃないかもしれないですけどね(笑)。

船引 授業中ではなくて、休み時間にはしゃいでやってたぐらいです(笑)。あのシーンおもろすぎるよなって。

ーー 「クレヨンしんちゃんごっこ」ではなく、特定の場面を再現してたんですね。オリジナルなストーリーで演じていくごっこ遊びじゃなくて。

船引 「ここがこう面白いよね」を動きながら共有していたような。

ーー 活発に振る舞うところもあったんですね。

船引 まあ人気者寄りではありました、小学校の時までは。

ーー 男の子たちの中での「面白い奴」でいた感じでしたか?

船引 いや、女子からも面白いって言われてました。一度、将来の夢で「お笑い芸人」って書いたことがあって。そしたらそんな喋るほうじゃなかった女の子から「フナちゃんなら絶対に、芸人になれるよ!」って言われた記憶がある。

ーー おお!その距離感の子から太鼓判を押されたほどとなると、本当に人気者だったんでしょうね。

船引 ははは(笑)。それぐらい、ある程度面白いという認知はあったんかな?

ーー 「お笑い芸人になりたい」と思ったこともあったんですね、こどもの頃から。

船引 最初のほうで話してた、すんげー!Best10とかオンバトとかにどハマりしてた時期ですね。とはいえその時はなんとなく書いたんやと思うんですけど。でも当時から「お笑い芸人」は職業として認識してましたね。

撮影して、出来上がった動画を見て、なんやこれは!って爆笑して。毎日が楽しかった

ーー リチャードホールは中学生の頃ですか?

船引 中3か高1か……中3かな?僕がよく昔話にも出す「親友」にも勧めてたはずなんで。

ーー 話の時系列が前後してしまったらすみません。「親友」と呼ばれている方とは昔からのお付き合いでしたか?

船引 小学校から一緒だったけれど、仲良くなったのは中1ぐらいですね。

ーー 自分の中で好みがだいぶ仕上がってきてからのお友達。この人と趣味の話が合うなみたいに気がついてだんだん仲良く?

船引 いや、向こうがなんとなく面白いやつだなくらいに思って、話しかけてくれたんがきっかけだと思います。

ーー 興味を持ってきてくれて!話しかけて知りたくなる底知れなさは当時からあったのかも。その方とはけっこう遊びに出てもおられたんですよね。映画を見に行くとか。

船引 映画は1回だけだったかな?「花とアリス」に誘われて行ったぐらい。でもその友達の家が近所にあったんでしょっちゅう……中2のときは毎日のように行ってたかもな。

ーー めちゃめちゃ仲良い。

船引 「カフェ・クリエイターズ(*注7)」っていう動画サイトを教えてもらって。有名なやつだと「スキージャンプ・ペア」とかがありました。

注7: インターネットイニシアティブとプロデュース・オン・デマンドによって運営されていた、さまざまな業界のクリエイターによって作られたコンテンツのポータルサイト。現在は閉鎖。

ーー 「スキージャンプ・ペア」は知ってます、懐かしい!

船引 当時はYouTubeとかまだ無かったから、そういうサイトで面白い動画を見つけてたんでしょうね。当時ってたぶん、インターネット環境があること自体まだ一般的ではなかったと思うんですけど、その友達の家にはめっちゃ備わってまして。それ以外にもいろいろ教えてくれましたね。エヴァとか金剛地武志のエアギターとか、シーマンとか。

ーー あー懐かしいな……90年代後半から00年代……。

船引 ふふ。そういう面白いものをその友達から教えてもらってて。その友達はクイックジャパンも集めていて、リチャードホール特集の号を読ませてもらいましたね。

ーー 面白いものを知れるルートをわかっていた、自分のアンテナがある方だったんですね。

船引 そうですね。動画編集とかも当時からしてたし。その友達は今も編集系の仕事をしてます。

ーー その方も船引さんが中学生の頃参加していたサイト「Tomoro & Puttun(*注8)」のメンバーでしたっけ。

注8: 船引が中学生の頃、友人とコンテンツ制作・運営を行っていたサイト。現在は閉鎖。下記は船引が当時を振り返る収録回。

船引 そうです、監督……でいいんかな?撮影から編集から案からやってたのがその友達。僕はほんま、たまにアイディア出してて。当時の僕は基本的に出役じゃなくて「トモロ」と「プッツン」ってハンドルネームの友達が出てました。トモロは今でも生配信でコメントしてくれてますね(笑)。
 ショートフィルムとか、おもしろ系CMのパロディとかを撮ってました。小太りのプッツンが親友の家の階段をただ一生懸命登るだけの映像を撮って、そこに「燃焼系アミノ式」のCM曲を流すみたいな。

ーー イイですね(笑)。

船引 あと音楽のキメに合わせて画を繋ぎ合わせるみたいなのも。おもいッきりテレビの曲の音の切れ目に合わせて、トモロが鉄棒にぶら下がってこっちを見てるとか、いろいろなポーズの静止画をポンポンポンって繋ぎ合わせて。曲の最後らへんはちょっとテンポが早くなるんで、画像出しもそれに合わせて……出来上がった動画を見て爆笑して(笑)。

ーー 自分達を素材にMAD動画を作っていたみたいな感覚ですかね、MADで合ってるのかわからないですけど。

船引 編集の面白さですよね。編集とかって言葉自体も知らんぐらいの時ですけど。撮影して、出来上がった動画を見て、なんやこれは!って爆笑して。毎日が楽しかった。

ーー 当時がすごく楽しいって気持ちが強くて、その頃の自分に笑ってもらえる感じのものを作りたいって話はよくされていますよね。「面白い」方面の感受性が豊かだった頃の自分。

船引 そうですね……だし、好きなお笑いの系統はあんま変わってない。
 ……あの頃楽しかったなっていうのが、なんかじわーっときて、泣きそうですね(笑)。

(休憩をとってもらうため、しばし「Tomoro & Puttun」について雑談)

船引 トモロは大阪の単独も観に来てくれて。いちばん好きな「リモコン」のネタを面白いと言ってくれたので、めっちゃ嬉しかったです。

ーー トモロさんもあの頃のツボを思い出したのかもしれませんね。

船引 それはあるんかも?「あの頃と面白がってるとこ変わってないぞ」って(笑)。

ーー 「Tomoro & Puttun」のメンバーが今でも観に来てくれたり関心を寄せていてくれたりしているってのも、素晴らしい。

船引 恵まれてもいたんでしょうね、僕は。メンバーに。

ーー トモロさんは後に博士号をとられたほどある分野を突き詰めていかれた方ですし、さっきの親友の方も現在の仕事に繋がる関心を当時から持っていた方ですし。船引さんもずっと自分の「面白い」に忠実でいるじゃないですか?そういった向きの子たちが、けして大都市圏ではない姫路の普通の中学校に集まっていて、一緒に自主的な創作に取り組んでいたってことがとんでもないですよね。打ち込めるエネルギーに溢れている時期に巡り会えていた。

船引 あと周囲の大人も寛容だったかも。今では考えられないけれど、中2の担任の先生がこの活動におおらかで、撮影場所として教室を貸してくれるまで協力してくれてました。

ーー ネットに上げる作品に使うとなると、現在では難しいでしょうね……。

船引 あと教育実習の若い女性の先生も興味持ってくれて。親友の家で「Tomoro & Puttun」の集まりをやったとき、その教育実習の先生も遊びにきてた。たぶん当時でも怒られる案件やけど(笑)。「カトュー」ってあだ名で呼んで。……楽しすぎた。

ーー 集まる場所になっていたお家の方々も適度に放っておいてくれていたわけで。各々の程良さで協力的な大人たちがいた。
 ちょっと話は戻ってしまいますが。学校でも撮影していたほど表立って活動していたなら、学校の文化祭で出し物するとかはなかったんですか?

船引 全く。けっこう不良学校やったから……。だから別に学年全員が知ってるみたいな存在ではなかったんですよ。内々で楽しんでた。

ーー 他のグループの子たちに見せても別に面白がってくれないだろうなって感じでした?それともそういうことを考える以前に、単純に自分達が楽しければそれで充分だった?

船引 「自分たちが楽しければ」のほうですね。みんなに見てほしいって気持ちはなかった。それは校外に対してもそうで。ネットに上げていたから、BBSに書き込んでくれていたメンバー外の友達もいたんですけど、でも基本は自分らが楽しむためだけの活動でした。

面白いって思ってくれる人らが悲しむ方向に行かんほうが良いのかなって

ーー なるほど。その当時の感じとも繋がるかな?って話なんですけど。
 少し前の収録回(*下記)で「両親には『わからへん』と言われたほうが嬉しい、間違ってないんやってちょっと思える」とお話しされていて。それだけ切り取ってしまうと排他的なスタンスみたいに捉えられちゃいそうなんですけど、少し違うニュアンスでもあったようにも感じられて。「わかりやすくする」よりも大事にしたいことがあるというか……。実際は充分キャッチーな仕上がりではあると思うんですけど、さっきの収録回では「キャッチーになりたいわけではなくて、チープで生身な感じを大事にしたい」って方向性を示しておられていて。

船引 例えば新ネタの「理髪店」も、この曲を使うのはなぜ?とか、直感的にわからんのやったらそれはもうしゃあないことやから……っていう。この方針だとたぶん僕の両親からは「意味わからん」って言われるだろうと。その反応が正しいとも思うし。

ーー 意味を噛み砕いていく作業に注力するよりも、船引さんと木田さんが面白いと感じたままの姿に近づけていく。

船引 そうですね。その姿を面白いって思ってくれる人らが悲しむ方向に行かんほうが良いのかなって。僕はあれぐらいが一番面白いし。

ーー なるほど。

船引 ……何も、面白さについては何も悪くないのになーとか思いますね。スベった時とか(笑)。れみどりさんなんかは散々聞いたことでしょうけど、キングオブコント2021の準決勝。

ーー ああ(笑)。

船引 コントが見たくて集まった人たちの前でこんな面白いことやってんのに、笑ってくれへんのやったら、もうそっちが悪いやろぐらいに(笑)。

ーー 私はその現場にはいなかったんで、実際どんなだったかはわからないですけれど。その状況に置かれても呑まれずにそれを思うくらい、船引さんは芯の強いところがある。

船引 あのふたつのネタはどのライブでも爆笑やったんで。これを笑わんのは笑わんほうが悪いから(笑)。

ーー 賞レース予選での反応、笑う/笑わないを場の空気とかの妙な変数を加味した上でやってしまっていないか……ぐらいまで穿ってしまうときはありますね。観客としてその場にいても。観客である自分自身に対しても。

船引 ネタそのものの質よりも、外的要因を考えてしまう。知名度とか、勝手に緊張してるように見てるんじゃないかとか。わからないですけどね。

ーー 私自身、賞レース準決勝の場でこのネタをやるのか!みたいな余計なことを現地で考えてしまいがちではあるんです。もっと素直に観られていたらもっと楽しく笑えていたんだろうなって、後から思う。

船引 ただ、あの時のネタは後に出たあらびき団(*注9)とかで報われたんで、別にもう。

注9: 2007年から2011年までTBS系列で放送されていたお笑い番組。現在では特番として不定期に放送されている。ガクヅケは2022年2月12日のゴールデン特番と2022年8月2日の回にてネタを披露した。

ーー あらびき団は特に、ガクヅケのいい見せ方をしてくれましたよね。

船引 ほんま最高、あらびき団(笑)。ギャフンといわせられたと思う。「あの時と同じネタで東野幸治さんが笑ってるぞ!」って(笑)。めちゃめちゃ自信になった……なんか、すべてがわかったかのような気がして。賞レースのために合わせる必要はないんやなって気づいた。反応としても裏で笑う系ではなかったから、なおさらそう感じました。

ーー まず真正面から笑っておられましたよね。しかもネタ後のコメントの時間で、ちょっと深く読んだ上での面白さを視聴者へ示してくれて。ガクヅケの楽しい見方を全部提示してくれた……。

船引 最高(笑)。

ーー (笑)。

船引 最高な出来事でしたよ。

後編


ガクヅケ
船引亮佑と木田からなる、マセキ芸能社所属のお笑いコンビ。2014年結成。都内の劇場を中心に現れては、「面白さ」への純粋な探究心を感じさせるネタで観客を魅了している。コンビとして発表するネタはコントに限定しているが、大喜利プレイヤーとしての活躍など、両者ともにライブの場において幅広く活躍できるポテンシャルを持つ。
2023年8月から2024年春頃にかけて、木田の体調を鑑みコンビ活動を原則休止とする予定。
HP: https://www.maseki.co.jp/talent/gakuduke

船引亮佑
兵庫県姫路市出身。生来の几帳面さ・生真面目さから、ガクヅケでは「面倒なこと」を担当しがち。
Twitter: https://twitter.com/shi__sho

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