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やめどきは決まる

◎昨年末から続けた日記帳を手放した。
同じ模様の、3冊も続いた手帳を、
「あっ、今私は
よくない付き合い方をしている」
と、直感が働き、
気持ちが変わる前に捨てた。

◎合計で1000ページを越える雑記には、
会話や本、SNS、
ぼーっとする時間で培った言葉が
幾度となく、書き連ねられていたから。
ほんの少し、
やっぱり手元に残そうかな、、と
躊躇(ためら)いそうになった。
けれど棄てた。

◎どうしても。
まだ私を支えていてほしい
(/もっと考えたい/擦りきれていない)
言葉や出来事は、ハサミで切り取って
B5サイズのノートに移植した。
その数、50個。全部で6ページ。
紙たったの3枚分。
コンパクトにまとまりすぎて、
少し寂しい。

◎でも、不思議だったのは、
50個のうち、半分以上が
自分の言葉だったこと。

日記帳と名付けて使用していた時は、
はっきり言って、
自分が体験した出来事や
沸いた感情/疑問に
信用が置けず。
ただひたすら他人様(ひとさま)
の言葉を引用した。
毎日毎日ページを見返して、
同じ文章を写していた。
そうしたら気持ちが落ち着くし、
いつか私も、
出来事に合った適当な言葉を
使いこなせるかなと、希望を感じられた。

◎すると。2週間に1回くらい、
ただぼーっと歩いていると
(そういう時に限って
メモを用意していないのだけど)
はっ!と。
考えと言葉が同時に、まとまる時がある。
誰かに見せたら
きっとすぐに否定されたり、
整合性のとれていない
幼稚なひらめきであったとしても、
そっか!と。
「もうこの事を考えるの、やめれる」と
やっと許可を出せるようになる。

答えを出すことと、納得することが
ときどきタイミングよく完了できた時。
もうその時ばかりは、
多分すごく嬉しい気持ちをこらえた
真顔だと思う。

◎そういう。オリジナルではないけれど、
絞り出せた、達成感の滲む言葉たちが
気づけば凝縮していた。紙3枚の中に。
新しいページに張り付けたら、
スティックのりの乾いた跡が、
張りのある鰹節みたいに見えた。
気のせいか。

◎直感を言語化するのは
野暮かもしれないけれど。
愛着のある日記帳から
離れようと思ったのは、
「あの手帳じゃないと書きたくない」
「どうして手元にないの」と。
手帳を携(たずさ)える喜びよりも、
それが身近にない時に
不安を感じるようになったからだ。

◎験担ぎ(げんかつぎ)のつもりで。
いつでも。どこでも。何でも。
嬉しいことも、
本当は文字にすら起こしたくない
嫌なソレラも。
これなら素直に、いい人ぶらないで
打ち明けられるなぁと、
一種の信頼を置いていた。
それに。物に対する気持ちとして
正しいのか分からないけれど、
すごく好きだった。

◎自分の中にある「大好き」を自覚すると
嬉しい。でも、その「大好き」が気づけば
「大好きならば、それ以外は排除する」
という執着へ。
変わり始めた瞬間に、
幸運にも気づけたのであれば。
物に罪はなくても、
自己成長のために
大切なステップなのでは、と。
あの日の直感は
語っていたのではないだろうか。
(今さら確認の仕様がないけれど)

◎書くことも、考えることも、
言葉にしてみることも、
何一つ諦めたことはないのだから。

日記帳たちは、やはり
もう私に、
付き従わなくても良かったのだ。

◎きどももこ…函教大4年。趣味は読書、水泳、献血、落語鑑賞。月30~60冊、年間600冊以上の読書量を積む。今年度から選書サービス「きどの¥3000選書」を開始。将来の夢はブックコーディネーターとラジオパーソナリティー。

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