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自分の眼

永見眞一著「ジョージ・ナカシマからミナペルホネンへ」を読んだ。日系二世の家具デザイナーとして世界的な活躍を果たした木匠、ジョージ・ナカシマ。

彼の家具を世界で唯一ライセンス契約のもと受注生産することを託された香川県・高松の木工集団「桜製作所」。その共同創業者であり、会長である永見眞一氏による、ナカシマ氏との出会いやものづくり、これまでの歩みや歴史を振り返った回想録。


コラボレーションによってオリジナルスツール「ロータススツール」を製作したミナペルホネンの皆川明さんとの対談や(これがまた出来上がったスツールと共に素晴らしい)、ナカシマ氏の家具を長く愛好する俳優の役所広司さん、故・大島渚さんらのコメントや当時の写真を掲載しており、回想録中心といえど、未来に繋がるものづくりのエッセンスやそれに共鳴する人々の思想が散りばめられており、とてもおもしろかった。

自分がページに折り目をつけて忘れぬよう特にメモをしたのは、永見氏によるこれらの言葉だった。

ものの価値観を決めるのは、その人の「教養」や「経験」によります。注文でものを作るというのは、お客さまのセンスというか、お客さまが今までどれだけのモノを見て、どれだけの「目の蓄積」をされているかに託すということです。
何を美しいとするか、その感じ方こそがセンスなんですよね。

もう、最近つくづく痛いほど感じていた内容が言語化されていた。そうだ、そうだ。この世界から何を美しいと見出すかこそが人の教養や経験であり、その感じ取り方、発見の仕方こそがセンスであるのだ。消費者側である我々が、この自分の眼やセンスを磨こうと努力しない限り、そしてその世界を応援しようとしない限り、世界はどんどん画一化されてしまう。

かくいう自分も、その時々のトレンドと呼ばれるものや、シーズンごとのセレクトショップ的な視点や情報に大いにお世話になり、大いにそれらのお客さんとなっている人種のひとりである。

別にその消費行動が良い悪いではないのだが、なんだかこの頃、その行動を毎年繰り返していった先に行き着くのは、「物知りオジサン」としての自らの姿なんじゃないかと想像し、ゾッとした。やべえ、だせえ。

今、仕事を共にしている同い年の音楽家がいる。彼と喫茶店などで打ち合わせをしていると、時おり「最近、どんな音楽を聴いてますか?」なんて話になる。

自分は直近でリリースされた評価の高い作品や注目アーティストなどをどうにも挙げてしまいがちなのだが、彼は平気で「そんなアーティストいるんですねー」とか「全然聴いたことなかったです」とか「渡邊さんのほうが詳しいじゃないすか」と、笑ってみせる。

で、彼がそこですこし(というか結構)考えて挙げるのは、自分が全く知らないアーティストであることがほとんどだ。どれも最近のトレンドや評論筋から素晴らしいとされているそれとは全く異なる時間軸でのチョイスであり、そして例外にもれずどれも、実際に聴いてみると素晴らしいんだよなあ。

その瞬間、彼固有の眼差しや耳や選択(つまり「センス」だ)をつよく感んじて、誰かの目線や言葉を借りっぱなしの自分の浅はかさを恥じる。

早く知ってるとか、今っぽいのものをたくさん知ってるとか、今後のトレンドが分かってるとかって、目立つし、価値がありそうに見えるけれど、実はそれほど大したことじゃないんじゃないか。

それよりも、自分の眼でしっかり物事を選べること。その眼が間違いないこと。その眼にお客さんがいること。その眼で選ばれたもので誰かが喜んでくれること。そっちのほうがずっと尊いし、価値があるのだろう、きっと。

ま、とどのつまり、きちんとてめえの頭と心で考えて、感じろってことなんだと思う。そういえば、この文章を書きながら、細野晴臣さんの「HoSoNoVa」を久々に聴いていたのだが、ずいぶん前に聴いていたときにはツルッと過ぎていた「バナナ追分」という曲が、やたらと耳に残った。

いい曲だなーと思ってクレジットを見ると、作詞が星野源、コーラスが Cocco で驚いた(知らなかった)。発売から8年ほど経って、ようやく今この曲のよさに気づけるくらいに、自分の耳が育ったのだと思う。遅いのかもしれないが、今こうした気づきがあったこと。それをひとつひとつ、大切にしたい。


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渡邊貴志(わたなべたかし)

Project Design / STITCH INC. / 音楽家たちや山形県のじゅうたんブランド「山形緞通」などと、プロジェクトに取り組んでいます。鎌倉が好きで、住んでます。https://stitch-inc.jp/
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