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村井邦彦のLA日記

翼をください、荒井由実、細野晴臣(ティン・パン・アレー)、YMO。日本ポップス史において、途方もなく大きな足跡を残すアルファレコードの創業者、村井邦彦。実の息子であるヒロ・ムライがグラミー賞を受賞したことも記憶に新しい同氏による、初のエッセイ集「村井邦彦のLA日記」。

あんまりおもしろかったので、書こう書こうと思っていた読書録を、ずいぶんと後回しにしてしまった。本著を読み終えてからというもの、しばらく心の中でぼんやりと反芻しているところがあったので、それを文字として捉えることによって、なにかを一度封じ込めてしまうような感覚が嫌だったのかもしれない。

作曲家であり、プロデューサーであり、経営者であるこの才人は、私生活においてもハイセンスな文化人であり、教養人であり、そしてなにより生粋の音楽人だった。若かりし頃からとにかく世界を旅して仕事に取り組む彼の毎日には、異国の地で過ごす仲間たちとの濃密な時間と、忘れ得ぬ出会いや体験に溢れている。

料理の話、映画の話、演劇の話。どれにしたっておもしろい。徹底的な観察者としての眼で、毎日の様々が捉えられている。そんでもって、もう悔しいくらいにすべて上品だ。

登場人物ひとつとっても、冒頭に挙げた偉大な音楽家たちはもちろんのこと、当時の日本文化の要人たちや世界の一流ミュージックマンたちが、サラリとページに現れては、彼らとの交流が軽やかに綴られている。そのひとつひとつが、日本文化の辿ってきた歴史の大切な証言だ。

それでいて、本著が地に足のついた読みものとして読み進められるのは、村井氏の綴る文章に、スノッブイズムや上流階級を意識させる嫌味なところがまったくないからだと思う。

というか、文章にそういった意識がないというよりも、本人自身にまったくそういったところがなく、世界をフラットに眺めて生きているのだろうなと感じる。

象徴的なエピソードとして、まるで年に数回会うちょっと年上の友人との日々を懐かしむような語り口で、アトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンが登場する。いや、きっと村井氏にとってはほんとうに、年齢や社会的地位は関係なく、彼は大切な親友だったのだろう。そして、アーメットにとっての村井氏も。

あとは、アルファレコード創業期の手探りの賑やかな日々、青春を感じさせるエピソードの数々が味わい深かった。

バークレイ・レコードから送られてきたフランス語の契約書がまったく読めず、フランスの法律に詳しい友人に解読を頼むもよく分からず、結局えいやでサインして送り返したとか。いつもボソボソと控えめに語る細野晴臣が、YMO の構想を語る際にはめずらしく情熱的だったとか。

また、最近の出来事のひとつとして、世界の埋もれた名盤をリイシューするシアトルの素晴らしい音楽レーベル、『Light in the Attic』との出会いも綴られていた。

3年前にヒロ・ムライの紹介で、代表を務めるマット(Matt Sullivan)とヨースケ(Yosuke Kitazawa)が自宅を訪ねてきたとある。その際にふたりは、村井氏から吉田美奈子の映像を観せてもらって大いに感動し、絶対この人のアルバムを出すと断言していたそうだ。

余談ではあるが、昨年彼らの手で細野晴臣の名作5タイトルがリイシューされ、つい先日にも渾身のコンピレーション作品『Kankyō Ongaku』が編纂・発売された。それらが今日の日本音楽の世界からの再発見・再評価を決定的にしていると考えると、その出会いには感慨深いものがある。

村井氏は、人工衛星のように世界を駆け回る当時の生活を振り返って、意図されたものはなにひとつなく、すべて自然の成り行きだったと語る。学生のときに本著を読んで「すべては自然の成り行き」なんて言葉に出会ったらひどく憤慨していたと思うが、社会に出て少しずつ年齢を重ねた今、それがほんとうにそうだったんだろうなと分かる。

目の前にあらわれたひとつひとつの出来事に対して、夢中で取り組んだ時間の積み重ねが、村井氏の辿ってきた道そのものなのだ。「世界を駆け回る音楽人になる」なんてキャリアパスや野望をあらかじめ描いてたわけではなく、音楽人として夢中かつ真剣に今を生き続けた結果、気づいたら人工衛星のように世界を駆け回っていたに過ぎないのだろう。

真の世界市民というのは、こういう人々を指すのではないかと思った。夢中になにかを追いかけながら、どの国のどんな人にも等しく接し、世界中に真の友人を持つ。文化を愛し、教養を大切にし、どこでも正々堂々としていながら、偉ぶるようなことを一切しない。

日本主義でも欧米主義でもなく、世界の中の日本という国をルーツに持つひとりの人間として、どこまでもフラットであること。その大切さを感じた。

出張の度にリュックに放り込み読み進めていた本は、もうだいぶくたびれて、ところどころ表紙が破けてしまった。

机に置きっぱなしにされたレジェンドの横顔を眺めていると、「で、君はどう思って、なにをするのかね?」なんて言われているような気がして、まずはちょっと駆け足でこの文章を書いた。

で、なんつーか、はい、明日からも仕事がんばります、先生。

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渡邊貴志(わたなべたかし)

Project Design / STITCH INC. / 音楽家たちや山形県のじゅうたんブランド「山形緞通」などと、プロジェクトに取り組んでいます。鎌倉が好きで、住んでます。https://stitch-inc.jp/
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