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ちょうど夢と現実の間。文章を書き始めたのは、母が書く事が好きだったからです。

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ちょうど夢と現実の間。文章を書き始めたのは、母が書く事が好きだったからです。

最近の記事

真夜中のふたり

よくわからない。 私がよく言うフレーズだ。 あちらから言わせると 私が1番よく発する言葉は そうなのらしい。 ボキャブラリーがあまり無いよねと 言われた事もある。 でも良い言葉は知っているよねとも。 夜に話す私達の会話はきっと 昼間に話すそれとはちょっと違う。 言葉が暗い空にふわふわと消えていく様に 私はこれからも よくわからないなとか そうなんだとか そんな相槌で、あなたを呆れさせるのだろう。 真夜中の2人の間だけで 交わす秘密の合言葉だと思えば 悪くないじゃ

    • 光を探して

      母が好きだった言葉は 目立つ事より光る事。 小さな頃からそう聞かされていて 目立つ事が大事じゃないのよ、 キラッと光る何かがある人になってね。 私の髪を撫でながら笑った母の顔を 今でもたまに思い出す。 それに私は、人生は光を探す旅の様に 感じている。 好きな人や事は、どんなに沢山のものの中でも きっと光って見えるから。 そうして光を探しながら 願わくば私も、 誰かの光になれたらいいなとそう思う。 #令和元年 #エッセイ #コラム #87

      • 正しさの罠

        ある料理研究家の方をフォローしている。 彼の作り出す少しだけお洒落な異国の郷土料理や、普段食卓を飾る事の多いメニューに ひと工夫アレンジを加えたものが、 とても美味しそうで 更に毎日登場してくる飼い猫ちゃんが とてつもなく可愛い。 そんなたまにタイムラインに流れてくる 写真達を私は楽しんで眺めていたのだけれど ある日、1つの投稿のコメント欄のひと文が 目に付いた。 それは料理に使われている発酵バターに ついて私と同じフォロワーからの 質問だった。 質問を投げかけられた彼は

        • いつの日か全てが懐かしい思い出になる

          春が来た。 月並みの言葉で表現するとするならば 出会いと別れの季節だろうか。 思えば幾度となく繰り返し迎えてきたこの季節に思う事がある。 新しいクラス、 新しい職場、 新しい仲間、環境。 いつも始まりは私を待ってはくれないし うまく馴染めるだろうか、 また楽しくやっていけるだろうかと不安に 思ったりする。 それは今まで幾度となく経験してきた 新しい春の出会いが、今となってみれば いつもいつも楽しく 幸せな経験だったからではないだろうか。 どんな風に生きていても、時間は過

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          あの日の約束

          私たちがあの日にぽつりぽつりと交わした 言葉を、あなたは一体どれくらい覚えているのでしょう。 思えばはじめから少し別の世界で生きてきたのを感じたし、あなたは自分の事をあまり話さない私に 少しのもどかしさを覚えたかもしれませんね。 それでも少しずつお互いの事を話して、 好きな言葉や苦手なもの、昔住んでいた場所の事なんかを教えあった。 その人の歩んできた人生の全てを知り得るのなんて到底無理な事だけれど、ほんの少しだけでも良いから知りたいと思えた。 お互いのぽつりぽつりとま

          あの日の約束

          あの人が特別な理由

          深呼吸をして、瞬きを2つする。 緊張をした時の私の癖だ。 それはさっきから今か今かと待っている あの人の登場を期待している気持ちからなのはわかっている。 あの人が現れる時、いつもとても飄々としている。 それがとても羨ましい。 飄々とした雰囲気というのは、誰しもが持っているものでは無いし、私には全く備わっていないものだから。 そんな雰囲気のまま、僅かに私に意識を向けてくれるのがわかると、今度は嬉しさと苦しさがないまぜになった様な気持ちになるのだ。 人が誰かの特別な存在に

          あの人が特別な理由

          夢見る少女の幻影

          君はロマンチスト? そんな風に聞かれて、私は即座に いいえ。と答えた。 そうなのだ、自分は全くもってロマンチストな性分ではない。 バレエというものを職業に選び、クラシックを聴くのが好きだなんていうと、ロマンティックなものが好きにイコールで結びついても致し方ないのかもしれないけれども。 昔、ある先生が 貴女達が素晴らしいダンサーになる為に1番大切な事は、バレエを好きな気持ちと詩情よと おっしゃっていた。 詩情。 その意味がその時の私にはよく分からなかった。 けれど、舞

          夢見る少女の幻影

          偏食

          刹那主義者に憧れる。 だって人生はいつ終わるかわからない。 出来れば毎日好きな事をして、好きな人に会って、好きなものを食べて生きたい。 健康は大事だけれど、長生きの為に毎日好きな事を我慢するのって果たして幸せ? 1日1日が愉しい事、心が喜ぶ事を優先して生きていけばその積み重ねが あー、幸せだったなぁ。わたしの人生。 って最後に思えるんじゃないのかな。 私はそんな風に終えたい。 だから1日の終わりに笑顔でいられる生き方を したいのです。 #文章 #エッセイ #

          偏食

          夢と現実の間

          小さな頃からわたしの夢は、 バレリーナになる事でした。 夢を追いかけている時程ひたむきに、 何にもわき目を振らず夢中でいられる瞬間は 多分、他にない。 夢のその先に何が待っているのかなんて 全く考えていなかった。 バレエ界という美しく、まるで現実離れしている世界。 その住人に、ただただなりたかったのだ。 ある時、私は夢を叶えた。 だけれど、夢の様な世界の中では皮肉にも現実が突きつけられる。 ふとついていたTVの中で、日本人でお城を買ったという方がインタビューで言って

          夢と現実の間

          欲しいもののこと

          街が少しずつクリスマスの雰囲気を纏い始めた11月の終わり。 この時期になると私は毎年必ず憂鬱な気持ちになる。 それは、ずっと欲しいと願ってはいるけれどなかなか手に入らないある能力について考えてしまうからだ。 それは さりげなく贈り物が出来る。 という事。 元来私は人に贈り物をする事が大好きで、クリスマスだけでなく、お誕生日やハロウィン、別にイベントでなくてもちょっとしたお礼など、相手の方の喜ぶ顔に想いを馳せながら選ぶ作業がたまらなく好きなのだ。 けれど、年齢を重ね

          欲しいもののこと

          あなたへ

          大切な人を大切にしようとする事が、 こんなに難しい事だなんて知らなかったのです。 好きな人をただ好きでいる事が、 こんなにも辛いだなんて。 そんな事を知った時 人は大人になったと言えるのでしょうか。 でも、知らなくても いえ知らない方が人生はずっと甘く 知ってしまった事の苦味を噛み締める程に 人生は深く そういう事なのでしょうか。 私はずっと甘さだけに酔う少女の様に 生きていたかったのに。 大切な人をただ甘やかし、 純粋に側にいたいだけなのに。 #文章 #被写

          あなたへ

          red shoes

          ペディキュアで1番好きなのは赤だ。 手に塗るのもたまには良いけれど、 やはり私は脚の爪を赤く染めるという事に とても色気を感じる。 同じ赤でもその時々の肌の色(日焼けだったり)によって似合う似合わないが出てくるものだと思うけれど、 ここ数年、私はある赤のマニキュアに夢中だ。 red shoesと名付けられたその赤いマニキュアはどんな肌色の時だって馴染んでくれて、色気というものには程遠い私に、ひと匙のスパイスを足してくれている様だった。 それにだって、red shoes

          red shoes

          マチルダになりたくて

          私にはずっと憧れてはいるものの、 出来ずにいる髪型がある。 それはレオンという映画に出てくるマチルダという少女(言わずと知れた、、ですよね)の 髪型、顎のラインでパツンと切り揃えられたボブ。 前髪は短く眉の上でこれまたパツンと揃えられている。 これが可愛い。 はじめて映画を観た時、 彼女のしていた首元のチョーカーも、意志の強そうな目も大好きになったけれど、一番惹かれたのはその髪だった。 潔く切り揃えられた髪から、長くて華奢な首が露わになるその独特な色香に、 子供ながらに

          マチルダになりたくて

          無題

          恐らく熱が少しあるのだ。 夜中に目が覚めた時、首から上だけやけに熱く感じた。 対照的に私の躰、手足は驚くほどに冷たかった。 冬が近づくと末端冷え性の私の手足は、 自分でも触りたくなくなるほど冷たい。 私の寝室には時計が無いので、枕元に置いてある腕時計をみた。 窓の外からは雨音が聞こえる。 革が有名なそのブランドの時計は、亡き父が20歳の誕生日と志望していたバレエ団合格のお祝いにプレゼントしてくれたものだ。 当時の私には身の丈に合っていない様な、つけると急に大人になら

          無題

          その風景

          写真を撮ってもらう機会が増えて、手元に自分が被写体のデータが膨大な量届く様な生活になった。 それまで私は写真自体が苦手だった為、自分の写真というものがあまり無かったのだからこれは大きな変化だ。 自分の性格やその時の感情をわかっていて、後から写真を見返すのと、カメラマンさんや他の作品をみて下さった方の感想は当たり前だけれど結構違う。 私は自分の容姿に自信がある訳でもなく、未だにカメラの前でたじろぐ。 そんな疎い被写体のほんの僅かの自然な瞬間を切り取ってもらったのが、今わた

          その風景

          in the night.

          暖炉の火がゆらゆら揺れている。 見つめていたら自分がどこか遠くに行ってしまいそうな錯覚を覚える。 目の前にいる人は敵か味方か。 どちらでも無い気もする。 そんな事どうでも良いのかもしれない。 これは秋の夜の夢? 暖炉の火がゆらゆら揺れている。 見つめる私の抜け殻。 #文章 #night #詩 #73

          in the night.