高校生日記④おもしろくない

 聞いてられない・つまらないことがこの世にはたくさんある。それに対していちいち怒っていたら疲れるに決まってる。でも、我慢ができないことってあるじゃん。

おもしろくない

 この前、クラスマッチがあった。僕はバスケに出て3ポイントを5本打って全て外して初戦敗退となった。僕がバスケを選ぶ理由は圧倒的に3ポイントを打つためであり、3ポイントをただただ一人で打っているのがめちゃくちゃ楽しいのである。しかし、これだけはずしちゃねえ。練習しないとな。
 それで、敗退が早々に決まったが、ミニサッカー(フットサル)にも出させてもらった。それもキーパーで。久しぶりである。小4の頃まで本格的にキーパーをやっていたが、その後、いつの間にかフィールドをやるようになっていった。久しぶりにやるとほんとに楽しかった。一対一を止めたときの快感はすごいものがある。それで、そんな私の必死なセービングも役立ったか知らねえが、準優勝することができた。すごいでしょ?それも、私は決勝進出を懸けたPK戦でうんこシュートをぶちかましてしまい、観客(クラスメート)をしらけさせるという偉業も成し遂げたわけですから、もうメンタルが行方不明ですね、はい。
 そんな喜劇(?)の中にもそれを汚すようなバカっているもんなんですね。
 私は人は「いじり」というものにすごく気を深く使うべきと考えている。お笑い芸人でもなんでもない高校生が「いじり」をあーだこーだ言うのは畑違いも甚だしいが、それでも、信念という(べきかはわからないが、自分の中でのルール的な)ものはある。
 「いじり」は互いの信頼関係が結構厚くないと、いじられた方が単に傷ついて、結局乾いた笑いしか生まれないみたいな、友達に苦笑いを作らせて終わるような、そんな最高におもしろくないことがよく起こる。だから、私はここまではいじっていいなとか、多分行けるなというのを結構確認している(つもり)。もちろん、たまにくっそミスって地獄みたいな雰囲気になることは少なくない。だから、いじりというのはまず、超友達しかいないところで、超友達に対してのみ行うようにしている。
 しかしながら、信頼関係云々にずーっと気づかず、人が傷ついてるのにずーっと気づかず、盛り上がってるのは数名で、周りのやつは乾いていること、苦笑いを浮かべていることににずーっと気づかない、マジでつまんないやつがこの世にはいる。
 そのクラスメートを私はココ最近、避ける傾向があった。しかし、このような行事のとき、そういうやつの声というのはハッキリ聞こえてしまうものである。
 「チー牛」という言葉をご存知か?この言葉は、チーズ牛丼を頼むような人間は陰キャだろというクソみたいな偏見から生まれている。つまり、陰キャを差別的にバカにした言葉であると捉えられる(だいぶ説明省いてるから説明に不備があるかも。気をつけて)。
 そいつは自分たちのクラスのサッカーチームの応援?として、つまり僕がキーパーをやっている間に、ゴールネットの後ろから、つまり僕の背後から、相手のある一人の選手に向かってその言葉をずーっと言っているのだ。「温玉かけろー」とか「紅生姜はどうだー?」とか。
 いや、この文章見ただけでもイライラしてくるわ。
 ツッコミどころは以下の通り。
 まず、相手に失礼。チー牛というのはあくまで差別的な意味が込められており、さらに相手を下に見てバカにするような笑いを生み出そうとしている。いや、そんなの笑いでもなんでもねえよ。色んな意味でのさざ波ぐらいしか起きない(はず)(というか、笑いとは真反対の意味でグラグラ地面が揺れてるのを感じたのは私だけだろうか)。しかし、笑ってる奴らがいる。どういうツボしてんだよ。自分を上に立たせて相手を下に見てバカにするやつは本当のバカである。それは笑ってた奴らも一緒。俺から見ると、それでしか自分の存在を確立できないんだろうなと思うしかない。多分、足元グラグラなんだからそうなっちゃうんだよ。その補強材にそんな「さざ波」を使っている。見てられない。お前の自己尊重のために、足元確保のために、何人蔑めば気が済むってんだい。それがおもしろいはずない。だって、余裕な顔してるふりしてんのに、実際は必死に自分のグラグラな足元にしがみついてやがるんだから。おい、早く崩れちまえよ。それを人を蹴落として続けるなんてねえ。
 続いて。この一連を私は「いじり」と考えて書き始めたものの、これは一般的に「いじり」というより「ヤジ」であるかもしれない。しかし、ヤジにしても内容があまりにひどい。阪神の「シーネシーネクータバレ」のほうがまだ見てられる(いや、それもどうかと思うが)。それも、ヤジを全て良いとするわけではないが、阪神のファンに野次られる選手とか(主に巨人)はプロ集団であり、それなりに中傷(≒ヤジ)への覚悟はあってあの世界に入っていっていると思う。お金ももらってるし。実際、ヤジ言うために球場言ってる人もいるのでは? それもいかがとは思うが、スポーツを見るというのはストレス発散の一環でもあるから、潰すことはできないよな。日本は日本の文化だからと言われたらどうしようもないが、海外サッカーなんかだと、相手選手に中指立ててるちびっ子サポーターとかがたまに映る。確かにそれがストレス発散なのかと言われるとなんともわからないが、海外にはそんな文化があったりするぞという紹介でした。まあ、ほんとにそれはそれぞれの競技の文化で違うし。野球やサッカーはヤジも多いけど、テニスなんかはそんなの論外扱いされるしね(たまにあるけど)。ただ、それはプロの話であり、クラスマッチという文化に「いじり」や「ヤジ」は必要なのかどうか。お金をもらった真剣勝負でもないはずである。結論は言うまでもないはずだが。
 そして、最後。これら2つの以前の問題として、ただただおもしろくない。「チー牛」っていう陰キャ全体への皮肉・イジリはいわゆるネット掲示板初のものである。つまり、彼のイジリは他で見た言葉を引っ張ってきて、学校で「俺、面白いだろ」って思いながら大声で発しているのだ。何が言いたいかというと、人のものの盗作や自分で思いついたものじゃないものって、つまらないんだよ。おもしろいものって偶発的に生まれるものだし。だから、面白いだけの話じゃなくなるけど、盗作する人ってセンス無いんだろうなってマジで思う。それをね、リスペクトして使うなら全然分かるけど、自分の土台補強のために、承認欲求のために使われたら表現者からしたらたまったもんじゃないよね。ほんとにネットで「おもしろい」と思ったものや流行りのものにただ乗っかったところでなんにも生まれねえよ、バカ。それで自分の立場守ろうって言ったところで、そこの同じ野球部員いなくなったらお前の価値なくなるぞおー。内輪笑いを外に出す人間ほどつまらないものはない。よかったな。

 あー、ほんと書いててイライラした。ぜひみなさん、これらの発言の責任はとらせんといてね。

2022年9月某日

現在

 別に言わなくていいと言えば、本当にそうなのだが、おそらく、大泉洋さんのエッセイ集を読んだ影響がもろに出ている。天才の文章を小手先で真似しようたって無理があるわけで。最初の導入なんか、ちょっと恥ずかしいレベルだけど、そのまま載っけてしまえ。
 あと、チー牛に関して。おどぜひ情報ではあるが、チー牛という言葉は陰キャを表す代名詞的存在で合ってるらしい。陰キャという言葉も代名詞だと思うけど。
 お断りはこの辺で。

 人を貶す笑いが大嫌いだ。
 人を傷つけることが大嫌いだ。
 傲慢でいる人が大嫌いだ。

 人を下げて「自分」を保つ人が大嫌いだ。

 自分がそうならないように、決してそうならないように、顎を引くようにしている。
 だって、そういうことするやつって、顎が前に出ちゃってるんだもん。足元が見えてないんだろうね。見たくないのかもね。
 俺も気をつけねえとな。
 高校に合格体験記書かせてもらえなかったって文句言うとかやめよう。自分が受験で自分の志望校に「合格」したことをどっかで誇りに思っちゃってんだから。やめよう、やめよう。顎が少し出ちゃってるぞ。

 じゃあ、顎が出ちゃってるやつの特徴をもう少し書いていこうか。

 今、詳細にそいつの特徴を出来事書いて照らし合わせて引っ張ろ出そうと思って色々書き進めていたが、あまりにも誰かわかりやすかったのでやめておく。誹謗中傷で訴えられたらいやだし。
 簡潔に言うなら、「人にランク付けしている」と「いじるが、いじられたくない」という2点かな。

 自分も似ているところを感じてたんだよなあ。
 だから、嫌いだし、
 怖いんだよなあ。

 情けねえーな、俺も。

 そうそう、顎を引けば大丈夫だ。
 あと、引いたときに顎肉が目立たないぐらい痩せていたら、なお良しだ。

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