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考察用

コロナ禍って何だったのだろう?国民レベルで総括されていないと思うのだけど、どうなのだろう?
そんな風にここ最近思っていて、それを考えていく参考になるかもとこの本を借りてきた。

国や官僚レベルでは総括されているだろうと思い、管轄のサイトを見に行ったのだけど、そこでも国民レベルに落とし込まれた情報は見当たらなかった。ただ単に探しようが足らないだけかもしれないけれど。
それでも少なくとも普段生活しているだけで目や耳に入ってくるまで情報が国民レベルにまで落ちてきている実感はない。

これでは原発事故の二の舞になるのではないか?
喉元過ぎれば何とやら、と揶揄されている日本人像を繰り返すだけではないのかと危惧する。

少し社会が波立つと店頭からトイレットペーパーが無くなる国で良いのだろうか?何十年と変わらない光景を今後続けても良いとは思えない。あまりに知的レベルが低いと思うから。
そこには学習能力が見出せないし、人としての生き方や生き様として立派とも思えない。立派でなくとも、せめて踏み外さないようにしていく姿を見てみたいと願わざるを得ない。

最近、娘が友達から借りてきた漫画を一通り読んでみた。その漫画は数年前に流行したこれ。


著者の取り上げたテーマの一つが視点だった。それは天動説と地動説を用いて説かれていた。立花隆さんは、70歳を超えてからの講義で同様のことを曲座標的価値観とデカルト的価値観という言葉で説明されていた。
どちらも端的に言えば自己中心的なものの考え方から早急に脱すること、それが大人への一歩である、というメッセージ。

自分をとりまく関係性、自分はどこにどうやって一体立っているのか、といいうようなことを、生産関係といった言葉を通じて学んでいくこと。
社会に何か不穏な動きがあったらトイレットペーパーがなくなるようでは、知的レベルも人間としての成熟度も悲惨な状態だと思う。

この本を読み始めてまだ1章なのだけど、
SNSができて、誰もが簡単に情報発信できるweb2社会になったことで、それまで精査するよう努めていた情報が、生煮えのまま世の中に出され蔓延することになった怖さについての記述には共感する。
しかし、他のことについては今のところ大雑把な印象だ。

NHKの情報リテラシーに関する特番でも感じたのだけど、極端な人たちを取り上げ十把一絡げにまとめている印象。ネット情報を鵜呑みにし、それを攻撃的に拡散しているというもので、結局はこれまでのメディアの方が正確ですよ、と導きたいだけじゃないの?という感じ。

それでも引き続き読み進める


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