見出し画像

プロフィール

カレンについての自己紹介です。

子供のころ

人は死んだらどこへ行くのか、あの世はあるか、宇宙の外側はどうなっているか、良く思索に耽っていました。

もともとの性格もあると思いますが、そんな思索に耽る様になったきっかけも良く覚えています。

小学生の頃、ウソつきは死んだら地獄に行き、閻魔様に舌を抜かれる、と聞いて大きなトラウマになりました。

小学校に上がったばかりの頃で、完璧主義なところもあり、虫けら一匹殺しても、たわいのないウソひとつでもダメだと思い込んでました。

「死」よりも、「舌を抜かれたら痛そう」、「閻魔様が恐ろしい」、の方が怖かったのですが(あの世があると思っていた)。
※あの世については機会があれば・・

それからというもの、あの世や宇宙の果てについて、それまで以上に考えるようになりました。

おかしな感覚

小学5年生のとき、いつもの様に思索に耽っていたところ、不思議な経験をしました。

あれこれ考えていたところ、ふとある思いに至りました。

・死んだあとのことは、生きてるうちに分からない

・私がいなくなること以外、世界は何も変わらず続く

・あの世がなければ、(思考する)私もなく、何もないのと同じ

・私が存在するから”この”世界も存在している

・私が消えれば、”この”世界も一緒に消える

そう思った瞬間、私がいない、有も無もない、宇宙の外側にいる様な、奇妙な世界にいる様な感覚に陥りました。

脳が理解不能な事象をイメージとして経験したというか。

生きたまま死んだような、TV画面が突然「ブツッ」と消えてしまった様な、あまり良い経験ではありませんでした。

そんな経験をした理由

幼く無駄な知識もなかったため、理解の仕方がまだ動物的だったのかなぁと思います。

今となっては、いろんな知識(形而上とか)も増えましたが、当時は少ない知識で何とか(脳が)理解しようと、経験という形を取ったのだと思います。

ちなみに、私は神秘体験や一瞥体験というものは悟りとは全く関係ないと考えています(私の経験も含め)。

なぜなかなか気付けないのか

ブログ(私≠思考)で触れてますが、私とは、私の思考である、という思い込みがあります。

思考は対象に意味付けをし、言葉でモノゴトを理解します。

思考(言葉)による理解は、意味の範囲内に限定されます。

気付こうとしている対象は範囲外にあります。

気付きに思考は不要です。思考を使わない認識はいろいろあります。

たとえば、色(あらゆるモノもですが)は、見た瞬間、どんな色(モノ)か分かります。

「青」とか「ブルー」とか、言葉にする前、目にした瞬間、「青」とはどういうものか分かるはずです。

見たまんま、というか、認識したまんまそれです。

思考がなくても「認識」は出来ます(認識とは何か、が一番厄介なまま最後まで残りますが)。

ブログ(私≠思考)について

自分で一から紐解くより、先達の経験や知識を使えば、より早く正しい理解を得ることができます。

今は便利な世の中で、さまざまな情報を、誰でも、手軽(瞬時)に手に入れることができます。

SNSを通じて、同じような考えの方とも簡単に繋がれるようになりました。

それぞれが全く異なった分野の様でいて、実は(本質的なところで)同じ対象について語っている、こともあると思います。

興味ある様々な分野について、思いつくまま、独自の視点で考察してゆきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?