見出し画像

シャワーとオレンジジュース

 送り状の差出人と受取人が同じになる、ということは普段あまりないが、長いハイキングではそういうこともある。
 シエラの山中、エジソン・レイクの湖畔にあるヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート(VVR)の受付で受け取った荷物(食糧ばかりだ)をいそいそと野外のテーブルのうえに開けて、アローラはいとおしそうに、広げた両腕いっぱいに抱きしめた。

「ぜんぶ、わたしの食べ物!」

 涎をたらしそうな顔でおどけてみせる。気持ちはよくわかる。前もって郵便局から自分宛てに送っておいたメール・ドロップは、過去から届いたプレゼントのようなものだ。無事に受け取れたことは、計画どおりにたどり着いたということで、そんな達成感もあるにちがいない。

 だが、彼女の腕のなかの大量の食糧を見ながら、パッキングの時に悲鳴が上がらなければいいんだけど、とも思う。自分への荷物は過剰になりがちで、とんでもない重荷を送ってきた自分を呪うことも、これまたよくある。
 僕は次の町へおりるつもりでいたから、ここへは何も送らなかった。おかげで荷物は軽いままだが、そのかわりにここで休養にあてた2泊3日を、ハイカーたちが不用品を入れていくハイカー・ボックスから拾った乾燥しきったパンや、レストランで皿洗いをした賄いでしのいだ。お金を払ってレストランで食べることもあったが、リゾート価格でそう何度も気軽にという気にはなれない。
 ランドリー、売店、コインシャワー、VVRにはなんでもある。

 ハイキングの最中と、町でのふつうの暮らしでは、感覚が違うものだ。求めているものも変わる。日記を読みかえすと、ああ、そうだったな、とその違いをつくづく感じることもある。
 この日アローラと話していたとき、彼女は拾ったらしい硬貨を僕に見せて、シャワーとオレンジジュース、選べるならどっちにする?と訊いてきた。
 僕たちは声をあわせて、「もちろん、オレンジジュース!」と言って笑いあった。毎日のハイキングでどれだけ汗や埃にまみれていても、冷えたジュースほど心を満たしてくれるものはないのだから。

 今でも、旅の途中に飲んでいたような飲み物をみかけると、つい買ってしまうのだが、思い出のなかにあるような満足感は味わうことができない。それはまったくの別物なのだ。
 カクタスクーラー、チェリ-コーク、ルートビアー、ゲータレード…。そんな魅惑的な名前やラベルを思い出すとき、みずみずしい味わいが乾ききった体にしみわたっていく感覚がよみがえる。
 その向こうにはくたびれたバックパックや日焼けしたハイキング・シャツのハイカーたち。乾いた松葉の匂いや、さえぎられることのない大きな太陽もそこにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?