ヒプマイ楽曲に見るHipHopのエッセンス 前編

アーイ🙌

てな訳で、ヒプノシスマイクの話をします。

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筆者はヒプマイについては、曲をチェックしている程度のライト層なのですが、HipHopをテーマにした今までにない二次元コンテンツと言うことで、この試みに興味を寄せています。

ヒプマイ曲については、リリックの考察(熱量が高い)や、モチーフの元ネタ、ラップのフロウについての解説が既に多数存在しています。

そこで筆者としては、ヒプマイ曲のトラックについて掘り下げてみたいと思います。

トラックを聴くだけでも、HipHopの様々なサブジャンルのアレンジが取り入れられており、ヒプマイを通してHipHopを体験して欲しいと言う製作者の狙いを感じ取ることが出来ます。

本記事では、ヒプマイ曲がリファレンスしていると思しきHipHopサブジャンルについて解説し、そのアレンジが如何にして生まれ、流行したのかについて追っていきたいと思います。

前編ではGangsta Rapから最新のTrapまで、HipHopの歴史を追いながら解説し、後編ではもう少し細かなHipHopのサブジャンルについて見ていきたいと思います。

と言うワケで、前編ではHipHopの歴史を追いなが、曲のアレンジについて解説していきたいと思います。

それではまずは、92年の西海岸の話から初めましょう。

1. What’s My Name? 〜 西海岸G−Funk

【毒島メイソン理鶯 - What’s My Name?(2017年)】

MC:毒島メイソン理鶯(CV.神尾晋一郎)
作詞:UZI 作曲・編曲:ALI-KICK

おそらくヒプマイ曲の中で一番サブジャンルが明快なのは、この「What’s My Name?」です。この曲はHipHopの中でも「G-Funk」と呼ばれるスタイルを踏襲しています。

知らない人にはG-Funkと言われてもさっぱりだと思うので、順を追って話します。まず80年代後半に「Gangsta Rap」と言うスタイルが台頭します。その名の通り、ギャングとしての武勇伝やストリートでの暴力、Pusher(麻薬の売人)で儲けた話などをラップします。実際にギャングやドラッグディーラーだったと言うラッパーもそれなりにいますが、ギャングを演じることで箔を付けるラッパーも大勢いました。

まず、1988年に「Ice-T - I'm Your Pusher」がヒットし、同年にGangsta Rapを代表するグループ「N.W.A.」がデビューします。N.W.A.はカリフォルニアで最も治安の悪い都市コンプトンのクルーです。彼らは過激で暴力的なラップで若者達の熱狂的な支持を集めると同時に、黒人に対して不当な処罰や過剰暴力を加える警察に対し「Fuck Tha Police」とラップし、放送禁止や社会問題に発展しました。

その後、N.W.A.は金銭トラブルでメンバーの脱退が相次ぎ、91年にDr. Dreと言うラッパーが脱退します。Dr. Dreはソロアーティストとして自身のアルバムをセルフプロデュースし、独自のスタイル「G-Funk」を生み出しました。

まずはこの曲を聞いて下さい。

【Dr. Dre - Fuck wit Dre Day (And Everybody's Celebratin')(1992年)】

この楽曲はDr. Dreの1stアルバム『THE CHRONIC』の2曲目に収録されています。HipHopのアルバムにはよくあることなのですが、1曲目がイントロになっていて、2曲目から曲が始まると言うパターンで、この曲もアルバムの実質的な1曲目です。

不穏な雰囲気とブリブリしたシンセベース、0:10などから聞かれる高音のシンセなど、G-Funkアレンジの要素が詰まっており、まさに「G-Funk」の口火を切った1曲です。「What’s My Name?」のベースも直接的にこの曲をイメージしていると思われます。

G-Funkには不穏な音色のピアノもよく用いられます。「What’s My Name?」のピアノフレーズは、Dr. DreがSnoop Doggをフィーチャーした最初のシングル「Deep Cover」を思わせます。

【Dr. Dre Feat. Snoop Dogg - Deep Cover(1992年)】

Snoop Doggは現在では説明不要となった大物ラッパーで、1993年にDr. Dreプロデュースのアルバム『Doggystyle』でデビューします(当時はSnoop Doggy Doggと名乗っていました)。Snoop Doggは独特のフロウと強烈な風貌で、デビューから現在まで人気が衰えることの無いヒップホップ界の重鎮の一人です。

「What’s My Name?」の楽曲タイトルも、Snoop Doggの初期の代表曲から取っていると思われます。

【Snoop Dogg - Who Am I (What's My Name)?(1993年)】

他にもG-Funkと言ったら外せない超有名曲「Dr Dre - Nuthin But A G Thang(1992年)」の名前も挙げておきます。

G-Funkと言うスタイルは、先述のシンセベースや、特徴的な高音シンセの鳴り物がアレンジの肝なのですが、これは70年代後半にParliamentと言うグループによって生み出された「P-Funk」言うスタイルが源流になっています。

【Parliament - Give Up The Funk (Tear The Roof Off The Sucker)(1977年)】

Parliamentを率いるGeorge Clintonは、P-Funkのオリジネイターとして現在でも多大なリスペクトを集め、御年77歳にして2018年のサマソニに出演し、大盛況のステージを披露したのも記憶に新しいです。Dr. DreもGeorge Clintonをリスペクトし、P-FunkをもじってG-Funkと名付けました。

Dr. Dreの『THE CHRONIC』は累計で500万枚以上を売上げ、『Doggy Style』に至っては全世界で1100万枚を売り上げました。HipHop史上、初めてモンスター級の商業的成功を収めたG-Funk勢は、西海岸の一大勢力として君臨することになります。

MAD TRIGGER CREWの楽曲は、この後もGangsta Rap、そしてカリフォルニアで最も危険な都市コンプトンの文脈を引き継いで行きます。

2. Yokohama Walker 〜 Nate Dogg R.I.P.

【MAD TRIGGER CREW - Yokohama Walker(2018年)】

MC:MAD TRIGGER CREW
作詞:peko 作曲・編曲:ist

続いてもMAD TRIGGER CREWの楽曲を。「Yokohama Walker」は一聴するとHipHopと言うより、普通にオシャレなCity Popのようにも聴こえます。ベイサイドの風を感じさせる清涼感のあるトラック、MAD TRIGGER CREWの3人による、男臭くもどこか爽やかなコーラス、中でも毒島メイソン理鶯のハスキーボイスが光ります。

筆者には、この楽曲に込められた西海岸のとあるアーティストへのリスペクトが感じられます。

それは、Nate Doggと言うボーカリストです。

【Warren G - Regulate feat. Nate Dogg(1994年)】

【2Pac - All About You feat. Dru Down, Nate Dogg, Hussein Fatal, Yaki Kadafi & Snoop Dogg(1996年)】

【Snoop Dogg - Ain't No Fun feat. Nate Dogg, Warren G, Kurupt(1993年)】

上記3曲のサビを歌っている、ハスキーながら抜けの良いボーカルがNate Doggです。Nate Doggは「客演の帝王」と呼ばれ、主にG-Funk勢の楽曲のサビを歌うフィーチャリングアーティストとして知られていました。上記3曲はいずれも、90年代西海岸を代表する名曲です。「Yokohama Walker」は特にNate Doggの代表曲である「Warren G - Regulate feat. Nate Dogg」を下敷きにして、アレンジしたものと思われます。

また、Nate Doggには3年間の従軍経験があります。それもあってかどうか、毒島メイソン理鶯の一際低い歌声は、Nate Doggのそれをイメージしていると思われます。

Nate Doggは2007年に脳卒中で倒れ、2011年に惜しくも亡くなっています。彼はそのキャリアを通して、カリフォルニアの歌声そのものでありました。最後に、彼の歌声を堪能できる名曲をお聴き下さい。

【Nate Dogg - These Days feat. Daz Dillinger(1997年)】

3. チグリジア 〜 東海岸シーンとIllmaticの歴史的重要性

【観音坂独歩 - チグリジア(2017年)】

MC:観音坂独歩(CV.伊東健人)
作詞:弥之助(from AFRO PARKER)
作曲:Boy Genius(from AFRO PARKER)  編曲:AFRO PARKER

「チグリジア」の低音域のピアノのフレーズには明確な元ネタがあります。皆さんお馴染み「イルマティック」と言うフレーズの元ネタである、 大物ラッパーNasのデビューアルバムにして歴史的名盤『Illmatic』。その冒頭を飾る「N.Y. State of Mind」です。

【Nas - N.Y. State of Mind(1994年)】

「チグリジア」と聴き比べて頂ければ、この曲をリファレンスしているのは一目瞭然かと思います。「N.Y. State of Mind」のこのピアノループは、「Joe Chambers - Mind Rain」の1:08からの部分をサンプリングしています。また、「チグリジア」の1:50以降に聴こえる信号音の様な音も「N.Y. State of Mind」のイントロを意識していると思われます。

「N.Y. State of Mind」は、犯罪に手を染めることでしか成り上がれないストリートの黒人たちの現実を、映画のワンシーンを描写するかのような叙述的なリリックで描き出し、Billy Joelの同名曲のタイトルから取って「ニューヨークを想う時、俺は犯罪について考えているんだ」とシニカルに綴った名曲です。

また、筆者には聞き分けがつかないのですが、「チグリシア」の後半に登場するブラスも、もしかするとコルネットと言う金管楽器なのも知れません。何故ならNasの父親がOlu Daraと言うコルネット奏者で『Illmatic』の中でも、彼のコルネットがフィーチャーされているのです。

【Nas feat A.Z. - Life's A Bitch feat. AZ(1994年)】(2:42から)

(この「Life's A Bitch」のBitchは娼婦の意味ではなく、ここでは「台無しになる」と言う意味です。つまり「人生が台無しだぜ」と言う意味です)

これらの楽曲を収めたHipHopの歴史的名盤『Illmatic』。入間銃兎がイルマティックと言うフレーズを多用するのもあって、ヒプマイからこのアルバムを知った方も多いと思います。

なのでこの場を借りて、HipHop史における『Illmatic』の歴史的な意義について解説させて頂きます。

まず、そもそもHipHopは70年代のニューヨークのブロンクスで誕生しました。黒人が居住するプロジェクトと言う公営団地で夜な夜な開催される、ブロックパーティと言うイベントにおいて、DJ、MC、ダンスが披露され、その腕前が競い合われました。これにグラフィティを加えた4つの要素がHipHop文化を構成しています。HipHop文化はブロンクスの近隣区クイーンズのプロジェクトにも伝播し、幼少期のNasはそこでHipHopに触れて育ちました。

80年代後半になるとHipHopは世界的な音楽ジャンルとなり、ニューヨーク出身のRun-D.M.C.やPublic Enemyと言ったアーティスト達が活躍しました。しかし80年代末になると、西海岸のGangsta Rapが台頭し、92年以降はDr. Dre率いるG-Funk勢が大人気となります。HipHopの中心地が東海岸のニューヨークから西海岸のカリフォルニアへ傾いて行ったのです。

東海岸ではこれに対抗するかの様に、92年にニューヨークを代表するプロデューサーPete RockのユニットPete Rock & The C.L. Smoothが「They Reminisce Over You」をヒットさせます。93年には、既に伝説的なグループだったクイーンズのA Tribe Called Quest(A.T.C.Q.)が大名盤『Midnight Marauders』をリリースし、ブルックリンの3人組Black Moonも名盤『Enta Da Stage』でデビューします。DJ Premierがプロデュースした名曲「Jeru The Damaja - Come Clean」もこの年です。さらには、それまでニューヨークのHipHop史でも名前が挙がることなかったスタテンアイランドから、覆面を被った謎の少林寺拳法集団Wu-tang Clanもデビューし、話題をさらいます。まさに、ニューヨーク総力戦の時代が訪れました。

そして、この時代のニューヨークの期待を一身に背負う事になったのが、Nasです。

彼は1991年に、ひとつ上の先輩でMain Sourceと言うグループでデビューしていたLarge Professorにフックアップされ、「Live at the Barbeque feat. Nas, Joe Fatal, Akinyele(1991年)」と言う曲をレコーディングします。当時17歳だったNasは、この曲のヴァースで「ものすごい新人がいる」と噂になります。1992年には、後に『Illmatic』のエグゼクティブ・プロデューサーを務めるMC Serchの「MC Serch - Back To The Grill feat. Nas, Chubb Rock & Red Hot Lover Tone」に客演し、彼の手引でコロムビア・レコードのFaith Newmanと言う女性A&Rと引き合わせ、契約に至ります。Faith Newmanは「Live at the Barbeque」のNasのヴァースを聴いて以来、ずっと彼を探していたのです。

92年から93年にNasはIllmaticをレコーディングし、1stシングル「Halftime」をリリースします。1993年に当時のニューヨークシーンの重要ラジオ番組「The Stretch Armstrong & Bobbito Show」でフリースタイルを披露し、注目株としての期待度を高めていきました。レコーディング終了後にサンプリング・クリアランス取得が難航し、リリースが延期になっている間にもリーク音源が巷に流れ、期待感は絶頂に達します。それもそのはず、プロデューサー人にはLarge Professor初め、DJ Premier、Pete Rock、A.T.C.Q.のQ-Tipと言った当時のニューヨークを代表するメンツが揃い踏みでした。

そして、1994年4月に『Illmatic』がリリースされました。その期待感をも上回る、歴史的名盤の誕生でした。

『Illmatic』の凄さは、まず第一にNasのリリックにあります。2行のセンテンスで押韻する一般的な二行連句や頭韻は勿論、形式に当て嵌まらない細かな韻が挟み込まれ、単語から単語へ連想で繋がれいく比喩が次々と飛び出し、深読みして初めて分かるダブルミーニングまで組み込まれた巧妙なリリックが、アルバム全編を通して紡がれているのです。

『Illmatic』はリリシズムの面で、誰もが認めるHipHopの1つの頂点に位置しています。緻密に仕組まれ、洗練されたリリックは、リリシストを志す後世のラッパー達に多大な影響を与えてました。

制作面でも革新的な部分があります。それは複数のプロデューサーを集めて、1枚のアルバムを制作した点です。それまではHipHopのアルバムを制作するには1人のプロデューサが全曲を作るのが一般的でした。『Illmatic』も当初は、Large Professorが全編を出がけると申し出ましたが、Nasの意向で複数のプロデューサーで制作することになります。エグゼエクティブ・プロデューサーのMC Serchの働きかけで、先述のニューヨークのドリームチームが集まりました。これだけのメンツが揃ったのは、Nasへの期待感の現れでもあります。

制作の際にはNasの意向が反映され、個性の異なるプロデューサーを集めながらも、統一感のある世界感が構築されています。Q-Tipが手掛けた「One Love」は、A.T.C.Q.でのいつもの彼の雰囲気とは違うのがわかります。DJ Premierの「Memory Lane (Sittin' in da Park)」では、Nasが持ってきた元ネタレコードを使っています。DJ Premierは当初、このトラックに満足していませんでしたが、Nasは「こんな感じのトラックが欲しいんだ」と譲りませんでした。DJ Premierは後に、Nasがリリックを乗せたらすぐに気に入ったと語っています。

『Illmatic』の制作体制と同じことをやったのが、『Illmatic』と双璧を成す1994年の大名盤、The Notorious B.I.G.の『Ready To Die』です。プロデューサー陣はSean "Puffy" Combs(Puff Daddy)、Easy Mo Bee、DJ Premier、Lord Finesse、またRemixにPete Rockも参加しています。

これ以降、HipHopのアルバムにおいて、1枚のアルバムに複数のプロデューサーが参加する体制が一般的になっていきます。勿論、1枚を1人で手掛けるスタイルも残り、1曲だけ有名プロデューサーが手掛けたりする場合もあります。

「チグリシア」の話からはかなり逸れましたが、折角なので『Illmatic』の重要性と、90年代前半のいわゆる「黄金期」のニューヨークについても少しお話してみました。

4. ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle- 〜 BoomBapとChop&Flip

【Division All Stars - ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-(2019年)】

MC:Division All Stars
作詞・作曲・編曲:invisible manners(平山大介・福山 整)

「黄金期」のHipHopトラックはサンプリング主体で制作され、現在ではこのスタイルを「BoomBap」と呼びます。

実はこれまで、ヒプマイ曲には胸を張ってBoomBapと言える楽曲が無かったのですが、最新曲「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」は紛れもないBoomBapです。

まずは「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」と似た雰囲気のBoomBapをお聴き下さい。

【M.O.P. - Ante Up (Remix) feat. Busta Rhymes, Teflon, Remy Martin(2001年)】

(ヘッズの方は「もっとChopの仕方とかそのまんまな曲あるだろ」と思うも知れませんが、探すと意外と無かったです。これと言う曲があれば、ご一報を!今回はこの辺りで手を打たせて下さい)

「BoomBap」のトラックの特徴は、まずビート、ベース、上ネタの全てがサンプリングで構成されます。ビートはBPM 90前後の8ビートで、ハイハットが8分で「チッチッチッチッ」と鳴るのが一般的です。

「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」では、実際にサンプリングで曲を作っているわけではありませんが、BoomBapサウンドを模しているのは明らかです。

特にこの楽曲はChop&Flipと言う手法を意図したアレンジになっています。Chop&Flipとはサンプルを細かく刻んで(Chop)並び替える(Flip)手法です。1994年にDJ Premierによって生み出されました(はいそこ、実際はプリモが発案したわけじゃなく、ビギーが「こうしてみろ」って言ってやらせたらしいって話は置いておく)。

機材を見ながら説明します。サンプリングで楽曲を作るのに使う機材をサンプラーと言います。サンプラーには、通常パッドが付いています。下の画像の「AKAI MPC 3000」なら4x4で並んでいるグレーの大きいボタンがパッドです。これを押すと、サンプリングされた音が鳴ります。例えば、レコードのある一部を8秒間録音してサンプラーに取り込むと、その8秒が16等分されて、このパッドにアサインされます。それぞれのパッドを押すと0.5秒毎に刻まれたサンプルが鳴るわけです(刻み方を調整する機能もあります)。

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普通ならそのパッドを順番に押して、元のメロディの通りに鳴らすところですが、DJ Premierはこれを違う順番で鳴らして、組み替えたのです。これは極めて画期的なことでした。

Chop&Flipの発明によって、サンプリングでありながら、元ネタと違うメロディーとグルーヴが生み出せるようになり、アレンジの幅も無限大に広がりました。

Chop&Flipによるアレンジの中でも「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」が意図しているのは、1つのパッドにアサインされたワンショットを何度も鳴らすアレンジです。毎小節の頭に「ジャーンジャーンジャーン!」とギターとブラスの音が威勢良く鳴ります。これはサンプリングしたある1音を連打するスタイルを意図してアレンジしているのです。

筆者はこのChop&Flipの仕方が特に好きで、「同じ音連打系」と呼んでいます。筆者の好きな「同じ音連打系」を紹介します。

【Company Flow - End To End Burners(1997年)】

アンダーグランドシーンの雄、ブルックリンのCompany Flowの人気曲「End To End Burners」です。様々なサンプルが鳴りますが、どの音も非常にミニマルに繰り返されていることが分かるかと思います。鳴っている音はだいぶ違いますが、「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」が志向しているグルーヴはこの曲に近いと思います。

【Tha Alkaholiks - Rockin' With The Best(1997年)】

4分04秒間に渡って、ブラスなのかギターなのかよくわからない「プァン」と言う1音が、延々と鳴り続ける最強の「同じ音連打系」です。ここまでミニマルにサンプリングすると元ネタが誰にもわからなくなり、サンプリングクリアランスの問題(サンプリング許可と使用料の支払い)を回避出来るわけです。

【Nas - Made You Look(2002年)】

「Rockin' With The Best」をさらに深化させたような一曲。同じ音を繰り返すことで生み出されるクールさは、コードがあまり進行しないFunkの調性感に由来します。HipHopの「サンプリングの美学」が生んだストイックなサウンドの一つの到達点がこうした楽曲群です。

Chop&Flipの話ならDJ Premierの曲を紹介しろよって感じですが、実はDJ Premierは「同じ音連打系」やってないんですよね。まぁ、筆者の一番好きな97年頃のCompany FlowとかTha Alkaholiksとかアンダーグラウンドシーンの曲を紹介出来てよかった〜、ってなところでBoomBapの話は終わりです。

後「ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-」の「Do You Want More!?」と言うシャウトはこの曲が元ネタです。

【The Roots - Do You Want More?!!!??!(1993年)】(1:17など)

5. 俺が一郎 & 迷宮壁 〜 ストリングスからサウスを辿る

【山田一郎 - 俺が一郎(2017年)】

MC:山田一郎(木村 昴)
作詞:好良瓶太郎 作曲・編曲:月蝕會議

【神宮寺寂雷 - 迷宮壁(2017年)】

MC:神宮寺寂雷(CV.速水奨)
作詞:GADORO 作曲・編曲:横山克

「俺が一郎」と「迷宮壁」のアレンジは共通して、ピチカート奏法やスタッカート奏法のストリングスがリズムを刻むアレンジが印象的です。

こうしたアレンジは00年代以降のHipHopに非常に多く見られるのですが、どこに源流があるのでしょうか?HipHop好きの方でも、こうした視点で歴史を追ったことはあまり無いかもしれません。この様なストリングス使いは、Gnagsta Rapを源流とし、サウスから広まったアレンジだと思われます(以下、筆者の歴史観で書いていきますので確証はありません)。

話の始まりは、西海岸のとある大ヒット曲です。

【Coolio − Gangsta's Paradise(1995年)】

「Stevie Wonder − Pastime Paradise」をサンプリングしたストリングスに乗せて、ギャングとしての悲劇的な生き様についてラップした名曲「Gangsta's Paradise」。この楽曲は同年の映画『デンジャラス・マインド』の挿入歌として大ヒットし、グラミーのベスト・ソロ・ラップ・パフォーマンス賞を受賞しています。

続いて、この歴史における重要作は1996年のデトロイト出身のギャングスタラッパー、Xzbitのデビューアルバム『At the Speed Life』です。

【Xzibit − Paparazzi(1996年)】

【Xzibit − Carry The Weight(1996年)】

上記2曲はThayod Ausarと言うプロデューサーの手によるもので、オーケストラ編成のポップスや映画サントラからサンプリングされています。「Gangsta's Paradise」のヒットを受けて、こうしたオーケストラサウンドを用いたGangsta Rapが増えていきます。

この流れに反応したのが南部のHipHopのプロデューサー達です。南部のHipHopは一般にサウスと呼ばれます。

HipHopは東海岸ニューヨークで生まれ、80年代末から西海岸カリフォルニアのGangsta Rapが人気を博した歴史は既にお話しました。しかし、その裏でマイアミやアトランタ、メンフィス、ヒューストン、ニューオーリンズと言ったアメリカ南部の都市でもHipHopは興隆していました。都会的な東海岸、西海岸のHipHopに比べて、南部のHippHopは泥臭くてイナたく、ラップも田舎訛りでDirty Southとも呼ばれました。しかし00年代以降になると、サウスから登場したラッパー達が大ヒットを連発し、HipHopの中心地はサウスに移って行きます。サウスは、後にHipHopを支配するTrapと言うスタイルを生み、現在では東西のラッパー達もこのスタイルを踏襲するのが当たり前になっています。

(話を戻して)サウスにもオーケストラ風なストリングスアレンジを取り入れたギャングスタ・ラッパーがいました。Snoop Doggの盟友でもあるMaster Pです。

【Master P − Weed & Money(1997年)】

Mater Pはサウスの重要レーベルNo Limit Recordsの代表でもあり、この楽曲はNo Limit Recordsのプロデュースチーム、The Medicine MenのMo B. Dickの手によるものです。サンプリングではなく、打ち込みによるピチカートが全編に渡って不穏に鳴り続けます。

【Mystikal - It Yearns(1997年)】

No Limit Recordsから同年にリリースされた、ラッパーMystikalの楽曲でも同様のピチカート使いが見られます。プロデュースはThe Medicine MenのKLCです。

そして1998年、このピチカートを多用したストリングスアレンジは、Gangsta Rapの文脈を離れ、サウスサウンドの一部となっていきます。Cash Money Recordsの初期のヒット曲「Back That Azz Up」の登場です。

【Juvenile - Back That Azz Up feat. Lil Wayne & Mannie Fresh(1998年)】

Cash Money Recordsは、No Limit Recordsを双璧を為す南部の最重要レーベルです。初期Cash Money Recordsを代表するラッパーJuvenileの名盤『400 Degreez』に収録されたこの楽曲は、このレーベルのプロデュースを一手に請け負っていた名手Mannie Freshの手によるものです。後のCash Money Recordsの顔役、Lil Wayneも参加しています。ラップの内容は「そこの可愛いキミ、お尻突き出してよ」と言う至極しょうもないお下品ラップで、検閲が入って「Back That Thang Up」と替え歌してリリースされ直しています(ThangはThingの意。「アレ」と濁しているわけです)。

これ以降、ピチカートやスタッカートを刻むサウスの楽曲が量産されていきます。

【Lil Wayne - Tha Block Is Hot feat. Juvenile & B.G.(1999年)】

【B.G. - Niggaz In Trouble feat. Lil Wayne & Juvenile(1999年)】

「Back That Azz Up」の翌年のCash Money RecordsのLil WayneとB.G.の楽曲から。2曲ともLil Wayne、Juvenile、B.G.のCash Moneyオールスターが一同に会すポッセカットです。このピチカート使いが、この時期のCash Money Recordsのトレードマーク的な音になっていたのが伺えます。

【DRAMA - It's Drastic(2000年)】

後にTrapのトラックメイカーとして活躍するShawty Reddも2000年の時点でこのアレンジを取り入れていました。

【Lil Jon & The East Side Boyz - Knockin' Heads Off feat. Jadakiss, Styles P(2002年)】

サウスの歴史を語る上で避けて通れないのがLil Jon率いるCrunk軍団です。CrunkとはHipHopのサブジャンルのことで、 TR-808を用いたスカスカのビートに、シンセベースや中毒性のあるフレーズの鳴り物が鳴り、MC達がやたらと雄叫びを上げて問答無用で盛り上げるスタイルのことです。代表曲に「Lil Jon & The East Side Boyz - Get Low feat. Ying Yang Twins(2002年)」「Usher - Yeah! feat. Lil Jon, Ludacris(2004年)」などがあります。このスタイルは00年代前半頃に一世を風靡しました。

【T.I. - 24's(2003年)】

次章で解説するTrapの立役者となるT.I.もこのアレンジを取り入れています。この頃から、ピチカートに限らず、ストリングスとブラスを用いたオーケストラサウンドの楽曲が現れ始めます。

以降は枚挙に暇がないほど、こうしたストリングスアレンジで溢れ返って行きます。同時並行で、同じくオーケストラ編成を成す低音のブラスやティンパニーを使ったサウンドも増えて行きました。こうしたアレンジが次なる流行となる、Trapスタイルと結びついて、2010年代の流行を作り上げていきます。

6. BATTLE BATTLE BATTLE 〜 Trapの時代

ではここからは、先程から名前が出ている「Trap」と言うスタイルについて見て行きましょう。ヒプマイにはTrapのビートを用いた楽曲が多数存在しますが、ここでは一番Trap然とした「BATTLE BATTLE BATTLE」を取り上げたいと思います。

【Fling Posse VS 麻天狼 - BATTLE BATTLE BATTLE(2018年)】

MC:Fling Posse, 麻天狼
作詞:KEN THE 390、作曲:RhymeTube

Trapは「違法な方法で稼ぐ」ことを意味するスラングで、90年代アメリカにおいて、麻薬密売に使われていた場所がTrap Houseと呼ばれていたことに由来します。

元ドラッグディーラーでラッパーのT.I.は、2003年の『Trap Muzik』と言うアルバムで最初にTrapスタイルを打ち出したとされます。しかし、Trapと言うスラング自体はT.I.以前にも使用例はありますし、90年代にもMaster Pなどが麻薬の密売についてラップしてTrapラッパーと呼ばれることもありました。しかしながら、2003年のT.I.のアルバム『Trap Muzik』、2004年のYoung Jeezyのミックステープ(*1)『Trap Or Die』、2005年のGucci Maneのアルバム『Trap House』がそれぞれTrapの名を関しており、この時期に現在のTrapの潮流が生まれたのは確かです(誰が流行させたかと言う論争もあるのですが)。その後、TrapはHipHopの最もポピュラーなスタイルとして定着し、この流行は2019年現在でも終わりの兆しはありません。

現在ではラップの内容に関わらず、ビートのスタイルがTrapを定義付けています。

TrapのビートはTR−808と言うドラムマシンを用いています。ハイハットは16分を基本として細かく刻まれ、そのハーフのリズムでキックとスネアが置かれるビートが特徴です。BPMは概ね130〜150程度で、このテンポでハイハットがチキチキとなりますが、キックとスネアはハーフのBPM60〜75のテンポで置かれると言う具合です(*2)。

Trapにも様々なアレンジの物があるのですが、2010年前後を機に爆発的に流行したのが、チューバなどの低音ブラスに、前章で紹介したストリングスアレンジを用いた、映画音楽の様な壮大なオーケストラ編成のTrapサウンドでした。

このサウンドを生んだのは、ラッパーのYoung JeezyとプロデューサーのShawty Reddです。まず、Young Jeezyの2004年のミックステープ『Trap Or Die』、及び2005年のデビューアルバム『Let's Get It: Thug Motivation 101』において、低音ブラスを用いたオーケストラの様なサウンドのTrapが作られます(*3)。

【Young Jeezy - Gangsta Music(2005年)】

このサウンドを前面に押し出したのがYoung Jeezyの3rdアルバム『The Recession』(2008年)です。

【Young Jeezy - Put On feat. Kanye West(2008年)】

このサウンドに追随したのが、ラッパーのWaka Flocka Flameと、プロデューサーのLex Lugerです。Waka Flocka Flameは2009年にミックステープシリーズ『Salute Me Or Shoot Me』をリリースし、2010年のアルバム『Flockaveli』でデビューします。このアルバムの17曲中11曲を手掛けたLex Lugerは、このサウンドを大流行へと導きます。

【Waka Flocka Flame - Hard in Da Paint(2010年)】

(この曲は元々2009年のミックステープ『Salute Me Or Shoot Me 2』に「Go Hard」と言う曲名で収録されていました)

これに続いて、 Lex LugerはRick Rossの「B.M.F. (Blowin' Money Fast)」をプロデュースし、ヒットさせます。

【Rick Ross - B.M.F. (Blowin' Money Fast)(2010年)】

翌年には、Lex LugerはKanye Westにフックアップされ、Jay-ZとKanye Westのタッグアルバム『Watch The Throne(2011年)』に「H.A.M」を提供し、Lex Luger最大のヒット曲となりました。

【Kanye West, Jay-Z - H.A.M(2011年)】

2Chainz、Chief Keefなどラッパー達も、このスタイルのTrapを取り入れ、ヒットを生み出します。2012年には、クラブ系トラックメイカーHudson MohawkeとTrapのトラックメイカーLuniceのユニットTNGHTが、インストのTrap「Higher Ground」を発表し、後にはEDMにも取り入れられて行くことになりました。

また、Lex Lugerが結成したTrapのトラックメイカー集団「808 Maifa」が2012年に発表したミックステープの1曲目は、より「BATTLE BATTLE  BATTLE」に近い雰囲気です。

【808 Mafia - Mission(2012年)】

*1 ここで言うミックステープとは、ラッパーが自ら販売もしくは無料配布するブートレグ音源のことです。現在のような形のミックステープは00年代から流行し、その流行期はTrapの興隆と重なります。特にGucci Maneはミックステープを数十枚をリリースしています。

*2 Trapビートの歴史を辿ると、まず80年代にマイアミの2 Live CrewがTR−808を用いたマイアミベースと言うスタイルで人気を博します。これを受けてメンフィスのJuicy JとDJ PaulをコアメンバーとするThree 6 Mafiaが1995年の1stアルバム『Mystic Stylez』において、TR−808を用いた現在のTrapに通じるビートを作製しています。

*2 低音ブラスを用いたサウスの楽曲はそれ以前からあります。「C-Murder - Down 4 My N's feat. Magic & Snoop Dogg(1999年)」や「M.O.P., Lil Jon & The East Side Boyz - Heads Off My Niggas(2001年)」などです。しかしながら、Trapスタイルと言う意味ではShawty Reddを発案者とする見方が強いです。

7. シノギ(Dead Pool) & The Champion 〜 From m.A.A.d City

前編の最後は、近年のトレンドを感じさせる2曲について見ていきます。

【MAD TRIGGER CREW - シノギ(2019年)】

MC:MAD TRIGGER CREW
作詞・作曲・編曲:ALI-KICK

MAD TRIGGER CREWの「シノギ(Dead Pool)」はTrapの中でも、上ネタが静かに鳴り、重たいキックが強調された2017年以降のにはファンダムで元ネタとされている楽曲があり、それが「Kendrick Lamar - Swimming Pools (Drank) 」です。

【Kendrick Lamar - Swimming Pools (Drank) (2012年)】

確かにAメロのローパスフィルターのかかったシンセを用いた静かなアレンジや、1stヴァーズの碧棺左馬刻のフロウもKendrick Lamarを意識しているように聞こえます。また、「What’s My Name?」や「Yokohama Walker」の章でも見たように、MAD TRIGGER CREWは西海岸のHipHopを意識したクルーです。彼らの新曲がコンプトン出身の稀代のラッパーKendrick Lamarをリファレンスするのは、ごく自然な流れに思えます。

この文脈を踏まえると、ヴァースで鳴っているピッチアップした声ネタもKendrick Lamarを意識したものと解釈できます。

【Kendrick Lamar - LOYALTY feat. Rihanna(2017年)】

この曲で用いられているピッチアップした声ネタは前年の大ヒット「Bruno Mars - 24K Magic(2016年)」のイントロを逆再生したものです。ピッチアップした声ネタを鳴らすアレンジは決して珍しくはないのですが、「Kendrick Lamar - LOYALTY feat. Rihanna」はネタ使いとして特に話題になったので、意識しているのではないかと思われます。

また、1:05からのサビの展開も注目です。「ハマにハマれ」と繰り返すサビパートですが、バックでは「Hey! Hey!」と言う合いの手が入ります。これはCrunkスタイルのHipHopや、Trapによくある合いの手なのですが、特に近年では、DJ Mustardと言うプロデューサーの楽曲に多く見られ、彼のトレードマークの1つになっています。

【YG − I'm Good(2011年)】

【Tyga − Rack City(2012年)】

DJ MustardはLA出身のトラックメイカーで、同じくLA出身のラッパーTy Dolla Signや、コンプトンのYG、Tygaのプロデュースで名を挙げたプロデューサーです。MAD TRIGGER CREWの西海岸文脈を踏まえて、このアレンジが取り入れられていると思われます。

ヒプマイにはもう1曲、DJ Mustardの影響を強く受けた楽曲があります。麻天狼の「The Champion」です。

【麻天狼 - The Champion(2019年)】

MC:麻天狼
作詞:Zeebra 作曲・編曲:理貴・Zeebra
Producer:Zeebra Co-Producer:理貴

【TeeFlii − 24Hours(2015年)】

【Chris Brown - Loyal feat. Lil Wayne, Tyga(2014年)】

DJ Mustardは、上記2曲で聴かれるようなPluck系のシンセベースやリードシンセを用いたトラックを得意としており、このアレンジは2010年代のポップスの音作りにも影響を与えました。

あ、なんかちょうどいい感じに、1章のN.W.Aに始まり、Kendrick Lamar、YGのコンプトン新世代の話でまとまったので、前編はこの辺でと言うことで。

8. 前編の終わりに

と言うわけでG-Funkに始まり『Illmatic』とBoomBap、サウス、Trap、近年のトレンドを押さえた楽曲まで、時代を追いながら、計9曲のアレンジに着目して、そのオリジンを探って来ました。

取り上げた参考楽曲を見ると、1992年の「Dr. Dre - Fuck wit Dre Day (And Everybody's Celebratin')」から、2017年の「Kendrick Lamar - LOYALTY feat. Rihanna」まで、25年間の隔たりがあります。この25年間で、HipHopが幾度もスタイルの変化を重ねてきたことが、お解り頂けたかと思います。

アレンジに注目してきたこともあり、プロデューサーの話が多いと思ったかも知れません。HipHopはラッパーの文化であると同時に、プロデューサーの文化でもあります。プロデューサー達の個性的なトラックが新たなヒットを生み、その時代の流行を作り上げてきました。ラッパーのスター性がHipHopを商業的に大きくしてきたことは間違いありませんが、プロデューサーに目を向けてみると、一層HipHopを楽しめると思います。

それでは後編でまた会いましょう→「ヒプマイ楽曲に見るHipHopのエッセンス 後編

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