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日々に生きるスプラトゥーン

「ゲームは悪」って言う前に

またゲームをして、1日が何もなく終わってしまった。
他にやった方が良いこと、あったのになぁ。

10代の頃はよく、そんなふうに思っていた。
ゲームは時間吸い取りマシーンで、失った時間は戻らないと。

最近スプラトゥーンで遊んでいて「そんな感覚、今はぜんぜん無くなったなぁ。」と気づいた。
むしろスプラが、毎日をワクワクさせてくれていると、今は思う。
時間を奪われているのではなくて、輝かせてくれている。
どうして、そう感じるようになったのだろう。

そもそも「ゲームは悪いもの」という感覚が刷り込まれている人は、多いんじゃないかなと思う。
2019年にゲーム依存は、WHO(世界保健機関)から「疾患」と認定される見通しだ。
疾患と認定されることで、本当にゲーム依存に困っている当事者を助けやすくなる。
だからゲーム依存がWHOに認定されること自体は、いいことなんだろう。

一方で、ハマりすぎると病気だぞと、世界から見つめられているように感じてしまう面もある。
10年前、ゲーム依存といえば「ファイナルファンタジー11」のようなMMOPRGだった。
今ではスプラトゥーンを含むFPSやTPSが、ゲーム依存の主流ジャンルになっているそうだ。
なんだか少し、チクッとする感じがある。

スプラが好きな自分でも、人から
「スプラってゲーム依存が多いらしいね?」と言われたら
「自分も体の半分はイカだからねぇ。人のままではいられないよ」
なんて、少しブラックな受け答えをするのかもしれない。

だけどそんな時、
本当は「ゲームのいいところが先にあるんだよ」と伝えたい。
スプラで日々が輝いているからね、と。

スプラのワクワクが、好奇心の器をおおきくする

スプラで遊ぶようになって、好奇心が広がった。
たとえば仕事で言えば、ふだん行かないような勉強会やワークショップに顔を出すようになった。
少しでも「おもしろそ〜!」と感じたら、すっと行ける。
どんな業界でも時代の要請で、これまでの方法が更新されるスピードは上がっているだろう。
今まではその速さに「こわいな」とか「いつまで勉強しないといけないんだろ」と、不安な気持ちだった。
それでも最近は、新しい変化に対して身軽になっていると思う。

もっと身近なことで言うと、スプラで遊ぶようになってから、服の色数が増えた。
自分の場合、服に興味はない人生で、まぁ今でも興味はない。
それでもゲームの中で「装備」っていうよりは、もっと服に近いギアを選ぶことで、自分自身の服へも興味が向いたのかもしれない。
「今日はどの色にしようかな」と、Tシャツを触れる指先が踊っている。
初めて、服を選ぶことが楽しいと感じられるようになった。

スプラトゥーン甲子園をみると、プレイヤーが小学生でも純粋に尊敬できる。
スプラで遊ぶ前から、尊敬できたかもしれないけれど、心から具体的に尊敬できるようになった。
「これだけピンチで周りを見られてる冷静さ、自分にも欲しいぜ」なんて思える。
そうすると、自分とは違う世代の人たちが興味あるものや、大切にしていることにも目が向きやすくなった。
「それって何だろう?」と、フレッシュな気持ちを向けることができる。

好奇心の器がおおきくなっているな、と思う。
何かにピンときたり、心を動かすことって、単純にお金を払っても得られない。
「よ〜し、明日から好奇心を増やすぞ」と念じても、きっと変わらない。
歳をとり、ある面で枯れていくなかで、わくわくできる範囲が広がるのって、すごいことなんじゃないかなと思う。

つまり、スプラのわくわく感って、すごいんじゃないかな?
「やってみよう」「行ってみよう」という気持ちの「みよう」を作れるのだから。
動機を、生み出せるのだから。

ハイカラスクエアの風は、日常にも吹いている

ゲームの悪い面を見たり、自分自身で「いやぁ廃人でね」なんていうより先に、ゲームの良いところも言葉にしておきたい。
だからスプラが自分にくれたギフトについて、書いてみたくなった。

「スプラはそこまで素晴らしいゲームじゃない」
という人だっていると思うけれど、
自分にとってスプラはそういうゲームだ。

「スーパーベターになろう!」という本がある。
ゲーム研究者のジェイン・マクゴニガルさんが書いた本で、こんなことが書かれていた。

ゲームは人に悪影響か?
それとも、良い影響があるのか。

ゲーム研究では同じように条件設定しても、ゲームの影響は悪い方にふれたり、良いほうにふれたりもする。
ゲームがあるから「病気」になる人は現実にいる一方で、火傷の「治療」としてゲームが使われることもある。

個人の気持ちや、ハマり具合による・・・のだけど、1つ共通の特徴が見つかった。
「ゲームをする目的」が、結果に反映されているのだ。

たとえば受験勉強から逃げたくてゲームをしていると、悪影響が出やすい。
依存しやすかったり、ゲームがあるために実生活が損なわれる。

息子を理解するために、息子がハマっているゲームをすると、好影響が出やすい。
たのしく息子と話せるようになり、ゲーム以外でも息子との距離が近づく。

単純化すると、そういうことが書かれていた。
書籍の中では、そうしたゲームの良い影響を利用することを「ゲームフルになる」と表現している

ゲームフルになるというのは、ゲームをしているときにあなたが自然に発揮している心の強さ、たとえば楽観、創造力、勇気、精神力を実生活にも応用することだ。
(「スーパーベターになろう!」より)

スプラで言えば、味方が1人回線落ちしたけどベストを尽くし、勝利した時。
大事な局面で水没したけど、リスポーンに戻る頃には「次どうする」と切り替わっている時。
リスクを取ってでも前線を上げて、ホコのルートを切り開く時。

余計なものが心から無くなって、ただ目の前に集中できる、あの感じ!

もしもそんな気持ちで、仕事のピンチにのぞめたら「ゲームフル」なのだろう。
実際このゲームフルな状態には、心当たりがある。
スプラを始めてから、ピンチのときに「スプラのように」ふるまえることがあったから。

個人的にはこれから子育てが主になるので、スプラで遊ぶ時間は減る。
だけど、スプラからもらったギフトは、これからも日々に生きる。
おおきくなった好奇心の器で、ゲームフルに暮らしていく。

だからサンキュー、スプラトゥーン。
わくわくできたし、明日もわくわくする。


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