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「やれないかもしれないから、やめておこう」の呪縛|宇宙ニュース|SpacePost

欧米に対抗して探査機を送ろうという計画は、身の程知らずというか、それまでとは全然違う活動の始まりでした。でも、それは井の中の蛙だったかもしれないですが、とても大事なことだと思うのです。イノベーションを起こすための一番の原動力は、「やれるかもしれないからやる」という考え方です。今、日本に一番欠けているのはそれかもしれません。やれないかもしれないから、やめておこう。それではイノベーションは起こせません。ハレー彗星に向けた探査機は、85年に無事打ち上げに成功しました。

この「イノベイティブな考え方」をどれだけの人が持てているのだろうか。

私がアプリ屋という職業を選んでからもう15年弱が経つのだが、この「やれるかもしれないからやる」という精神を常に心掛けてきた。モノ作りは川口淳一郎氏が仰る通りイノベーションが基本だからだ。しかし、心掛けているということは、私の自然の言動・思考には全く存在していないということと同義なのだ。

やれないかもしれないから、やめとこう

この考え方がこびりついていた学生時代だった。それは勉強もスポーツも遊びさえも上手くできなかった私が幼少の頃に両親から怒られ呆れられ続けたことに発端する。「出来ない悪い結果は否定され怒られる」という思考に雁字搦めになり、何事にも興味を示さない消去法の生き方を選択するようになった。

これは小中高の学校でもずっと同じで、失敗すればクラス中で非難され、教師からも低い評価を受け続ける。高校を卒業する前にはすっかり未来を生きる希望はなくなり、唯一、「宇宙関連」のニュースが密かに好きだったので、「宇宙関連の仕事に就くにはどうしたらいいか」と高校の進路相談室で質問したことがあった。そのときの担当教師の回答は「そんな仕事はほとんどないから飽きらめろ」だった。

くだらない夢を見るなと言われた気がした。確かに、ただ何も考えずに大学に進学し、ただ何も考えずに就職する方が、安定した平凡な生活が送れる。公立校の教師たちの言動は、公平で学生たちを冒険させず露頭に迷わせず、正しかったのかもしれない。だが、幼少から学生を卒業するまでの私への教育は、「やれないかもしれないから、やめておこう」の呪縛を完成させるものだった。これは、私だけはなく、それから出会う人たちを見ていると、少なくない学生たちがそうだったんじゃないかと思う。

アプリ屋という仕事は、大きく分けて、その時代の技術で確実に実現できる仕事と、やれるかもしれないからやってみようの仕事と、2種類ある。私はしばらく、後者を選択することを絶対にしなかった。「やれないかもしれない」からだ。やれなかった場合、怒られ、非難され、ペナルティを受ける。そう教育されて私は生きてきた。

転機は、日本国内での「Android端末」の立ち上げに参加したことだった。「やれないかもしれない」課題ばかりで、私はほとほと嫌だった。結果は、やれなかった結果も多かったが、実現できたことも少ないがあった。みんな笑顔だった。やれなかったことを誰も非難せず、少ないがやれたことを喜びあった。それからAndroidは爆発的に広まり進化していった。私の今の仕事の要でもある。

イノベーションはとても大事だ。そしてそのチャレンジは頭ごなしに否定すべきことでない。それを認める日本はいつになったら来るのか。特に、子どもたちに対して、教育として、「やれないかもしれないから、やめておこう」の呪縛を付すのは、もうやめないか。

こうした宇宙へのチャレンジが報じられることで、その意識をも革新してくれることを願う。


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