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課長程度の人間は韓国の振り見て我が振り直せ|CUTBOSS MAGAZINE 2019年11号(9月22日号)

韓国のメチャクチャな要求をニュースで観ていたら、何故か既視感があった。私はアプリ屋で、主に受託で開発しているのだが、あ、そうだ、クライアントの半分くらいは、交渉が韓国みたいにヘタクソなのだ。

一番、多いのが、「次の案件も依頼するので、今回の案件の追加対応を無償でやってほしい」という要求だ。こんなもの、鼻で笑って、一蹴する。

何故、クライアントは、こんなにも図々しい要求が、平然と口にできるのだろうか。これはつまり、今回の案件は赤字になる、次の案件で赤字分の補填があるわけではない、ということなので、こちらにとっては、何のメリットもない。口約束も契約だが、言った切り破断になることも多い。

うちのような小さな会社に対して、「案件が継続さえすれば、お前らは嬉しんだろ?」という足元を見ているのだろうが、案件は他社にもあるし、今回、赤字を強要するクライアントは、次回も必ず赤字を強要する。これは経験から100%そうだった。

交渉はウィン・ウィンが大前提で、それを考えられない馬鹿や阿呆が多い。取引先は大手メーカーが多いのだが、大手メーカーの課長程度の役職だと、こういう思い上がった要求をしてくる。

こちらは一蹴して、二度とうちに依頼しなくていい、と回答すると、クライアントは意外だという反応をする。要するに、これは殺し文句だと思っていて、ノーが返ってくることすら頭にないのだ。

「次の案件を依頼する」というカードは、もう次はない、という諸刃の剣だ。結局、部長相当の人間が出てきて、今回の案件は赤字にならないし、次回の案件も依頼される、という結末が殆どだ。

うちのような会社に大手メーカーが依頼してくる理由は、開発コストの削減だ。内製するのが一番だが、世は技術者不足で外注しなければ開発にならない。しかし外注すると、内製するよりもコストが高くなる。うちは業界の半分以下の単価で請け負っているので、大手メーカー内のコンペで金額面では必ずうちが一番になる。

うちと取引をすること自体が、クライアント側にコスト面での大きなメリットがあるので、うちに赤字を要求し、「次の案件を依頼する」というカードを突きつけるのは、自分たちに大きなブーメランが返ってくることを、全く分かっていない。まさに、今回の韓国がやっていることと、同じなのだ。やっている本人は、自分が馬鹿だとは気がつかない。まさに韓国だ。

課長程度の人間は、一連のニュースを見て、我が振りを直した方がよい。



公共の場はもう要らない

国民にスコアを付与して、そのスコアに応じて生活圏が規制されるという世界、ハッキリ言って、賛成だ。現状の、あおり運転など、理不尽な暴力に怯えながら暮らすのは、善良な国民にとって、それこそ大問題だと思う。

傍若無人に振る舞って、見つからなければ、捕まらなければ、お咎めがない。ただ、被害に遭った側が、苦渋を飲まされる。あおり運転が怖いから、免許を取りたくない、車を買いたくない、こんな窮屈な世界で、どうやって幸せになれというのだろうか。イジメられるから学校に生きたくない、騒ぐと近所の人から怒鳴られるから子供が外で遊べない、そんなこと、あっていいのだろうか?

今やもう、善良な人間しか集まらない世界は必要で、道路や電車など、完全に公平な公共の場は、もう不要だと思う。犯罪歴や素行不良はスコアを永久にマイナス評価し、普通に考えたらそんなことしないだろ、あおり運転なんてしないだろ、と思われるレベルの人間を徹底的に排除する。

同じレベルの人間は、同じレベルの人間とよろしくやっていればいい。あおり運転する人間は、あおり運転し合っていればいい。想像したら笑ってしまったが、この差別的な社会の方が、幸福度は圧倒的に上がると信じている。



せめて、月で死にたい

noteで何度か語ってきたが、物心ついた頃から自分の存在が曖昧で、自分は日本人でもなく地球人でもなく宇宙の一部なんだと気がついたとき、自分の存在が確かになった。だから、宇宙で生きて、宇宙で死にたい。

月面住宅の検証がリアルに開始されるのが、心から嬉しい。だけど、自分が生きている間に、五十年以内に、月で当たり前に生活できるように、なるだろうか。コールドスリープしてでも、最後は宇宙で死にたいのだが。

最近、こう考える。この広い宇宙を考えたとき、生体であることが、不利でしかない。宇宙の生物として生まれたのなら、最終的には、宇宙に対応できなければ、進化としておかしいはずだ。宇宙船や宇宙服で宇宙に飛び出すのは、限界があり、どうにも違和感がある。

結局、生体を捨てることが求められて、既に生体を捨てた別惑星の人間が、存在していると思っている。彼らが、生体のまま宇宙に適応できないだろうか、という生物実験を、地球で行ったのではないか。

このままだと、地球上の進化は、機械生命体への進化になる。結局、彼らと同じだ。そして地球人は、別の惑星で、同じ生物実験を繰り返すのだと思う。



進化の為に「必要」を敢えて生み出すのは勇気?

ボランティアで街を清掃している人たち、彼らが全員辞めれば、街が汚くなるのか。違う。ホリエモンが言う通り、AIによる清掃の自動化が爆速で進化する。それが社会に必要となるからだ。

私はアプリ屋だが、仕事では、特に大手メーカーの開発依頼だと、もう誰も使ってねーだろ、と思われる古いバージョンの端末も、サポートして開発しなければならない。例えば、Androidだと、マテリアルデザイン以前の、OS4.Xをまだサポートしろと言われるし、ブラウザだと、IEをサポートしろと言われる。

今、一般的になりつつある最新に近いバージョンだけをサポートしていればいいのに、そうしないから、開発コストが、倍以上になっていることが多々ある。その半分のコスト、割り切って、最新機能をどんどん取り入れる方向に使う方が、圧倒的に有益だと訴えても、クライアントが縦に首を振ることはない。

理由は、まだ古い端末を使っているお客様がいるから、だそうだ。

違うんだよ、ホリエモンの言う通り。サポートを辞めないから、そいつらは使い続けるんだよ。サポートを辞めれば、新しい端末を買うしかなくなるし、それをさも損させているようにクライアントは言うけど、新しい端末で、新しいサービスを手に入れる方が、圧倒的に有益なんだよ。

むしろ、古い端末をサポートして、いつまでも古いサービスしか受けられないように縛っている方が、罪なんだよ。割り切って決断する勇気、じゃないんだよ。今が罪深いことを自覚するだけだ。



最も口にしたくない言葉って「戦争」じゃないの?

丸山穂高議員が、「戦争」発言で糾弾されるが、彼は戦争すべき、と言っているのではなくて、戦争する以外の光明が見える解決策を、誰かちゃんと考え出せているのか、という単なる問題提起をしているんだと私は思っている。なので、彼の発言には大した問題はないと思っているのだが、それよりも、そもそも、「戦争」という単語を発言できる神経が、私には理解できない。

「戦争」という言葉に、これほど世間が過敏になるのは、やはりその悲惨さを想像できるからだろう。私は戦争を体験していないし、祖父からも戦争の話は聞いたこともないが、映画やドキュメント、他国のニュースなどで、戦争の悲惨さは目にしてきた。

あれを目にして、実際、自分たちが戦争に巻き込まれることをリアルに想像したら、その想像を越えるくらいの惨状が、自分に襲いかかってくることは、想像に容易いし、その辛さは、想像できないことがむしろ、何よりも恐ろしい。

だから、「戦争で~」という一文を目にしただけで、その想像が頭に浮かんでしまって、本当に辛くなる。苦しくなる。強制的に想像されてしまう。だから、戦争なんて発言をしたくないし、聞きたくない。想像は強制されてしまう。自衛隊員が、撃たれて死ぬ。家族はどんな思いで苦しむ。戦争は本土へ広がる。自分の怪我も、家族の怪我も、死も、想像を絶する痛みだろう。いつ終わるのか。いつまで苦しむのか。あんなものが日常になることを、想像すらしたくない。

だから、無神経だと、無神経極まりないと言わざるを得ない。想像力が乏しい人間が、戦争を起こすのだろう。負けなかった日本は、負ける日本を想像しなかった。できなかった。だから戦争をして、負けた。

想像力がないことが、最も罪なんだろう。



他人に頼った時点で挫折ですらない

プログラミング学習で挫折した人の殆どが、「分からないことを聞ける相手がいなかった」「分からないことを教えてくれる人がいなかった」というのが理由らしくて、まあ実際、開発者を辞める奴、求人で落とされる奴ってのは、こういう、他力本願なクソ野郎たちだ。

何故そもそも、誰かに教えてもらう、誰かに解決してもらうことが、前提で学習を始めるのだろうか。その神経が理解できない。学校教育、受験教育の弊害だろうか?

他人に分からないことを教わって、何らかの学習コースを卒業したとしても、本番である仕事や業務で、分からないことが発生したとき、どうするつもりなのだろうか。その仕事、持ち帰って、他人に解決してもらうつもりなのだろうか。なんて無責任なのか。

開発は、存在しないものを一から作り出す作業だ。正解が存在し、その答え合わせをする作業ではない。存在しないものを、想像して、作り出し、その時々の正解を作り出す、それが開発、プログラミングだ。

自分で考えて、調べて、気づいて、生み出す。何が正解かなんて、自分以外に分かるはずもない。誰かに答えを教えてもらう、なんていう概念が、そもそも間違っている。

プログラミング学習を挫折する人たちは、こうやって、そもそも、プログラミング学習の本質を分かっていない。答えの存在する課題学習に慣れ過ぎだ。プログラミング学習は「お勉強」ではないということを、知った方がいい。プログラミング学習で必要なのは「お勉強」ではない。

今は技術者不足で、そういう話、学習指南依頼が現場内外でも本当に多かったので、以下で、アプリ開発の一連の流れを日誌形式で連載していく。どうやって考え、どうやって形にして、リリースまでこじつけるのかを。所謂講座的な順を追った「お勉強」が如何に意味がないかを。


食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。