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休職新聞 古典に学ぶ

「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんと生まれけん」

休みも一年となり、会社も社会も変化の速さを感じる。会社も含め、社会復帰できるか自体、まだまだ自信がない。子どもの頃、こんな人生(会社員になったこと、でも長期で休んじゃってること)を送るとは思ってもみなかった。

しかし、こうなってみると余計に人生には『遊び心』が必要なのかもしれない ギスギスしてるよりは遊び心がある人のほうが場は和むし話しやすい。頼りなくても無駄に人を傷つけない。

コスパ、タイパなどいわれる世の中だけど、寄り道から生まれる発見だってある。
復職を考え、リワークに通い続ける中、少しづつ本来の自分(辛いことも多いからこそ、せめてチームくらいは風通しよく行こうよ!みたいな)に戻りつつあると感じる瞬間が増えてきた。

そうも言ってられない部分もあるかもしれない。
ギスギスしてたら、弱音だって吐けない。
遊びをせんとやの歌には、約900年後を生きる自分にはそんな大らかさを持った歌に聞こえる。
編者の後白河法皇の意図とは違うかもしれないけれど、法皇の生きた平安末期も今とは違う意味で生きにくく、大きな社会変革のあった頃だ。

目まぐるしく変わりゆく中、周りの人たちにできうる限り誠実に、遊び心という隙、柔らかさを持ちながら生きていきたい。

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