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空手と再現性

私は20代のおよそ10数年を空手の研究に捧げました。再現性という観点から、未だ不十分であると感じられたためです。
再現性とは、「誰がやっても同じ結果になる」ということであり、また、そうでない限り、全員に紹介するに足るものであると言うことはできないでしょう。私が空手を始めた動機は「体の動くうちにやっておきたい」という事でしたが、これを手放すにあたり、「そのもの」をやらなくてはいけません。
「そのもの」とは一体なんでしょうか?
本来、ある科目とそうでないものとの間に隔たりはなく、究極解、”最終定理”として「全ては自然発生的に生起する」という事が有りますが、私は生まれつき研究が好きだった事もあり、簡単な仕事をしながら、日々、理解を深めて行きました。ほぼ終盤に差し掛かったと思われた頃(2021年の年末)、ブレイクスルーが起こり、誰も提唱するに至っていない(?)空手の“系”に至りました。そして、これは発表しなければならないと思いました。なぜなら、「どうせやるのなら完全な型をやった方が良い。不完全な型をやっていても満足しない。」。空手は健康法であることをいうものですが、結局のところ、自分の慣れ親しんだ、念頭にあったものでした。自分の答えは最初から自分が識っているのです。
 
本稿の目的は、私が空手の研究(とその完成)をとおして知覚したところの人間の生理の真実と、その地点から現代の諸事象を整理しようとするものです。それらは、ニュートン(古典力学)が「私は巨人の肩の上に立っている。」と言ったように、先人の成果の延長上に有り、そして、後進の更なる飛躍のためのものです。
I章では健康的な人間の呼吸を24パターンに分け、II章「現代漢字は真面目にやらない方が良い」(iv)「資本主義は他のものに置き換わるだろう」(v)私からのプレゼントとして名前と認知療法(vi,vii)巻末には真空手/エクササイズより2021年に完成された型を資料として収録しています。
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I
i.四つの質(4x2=8 その1)
ii.内外理論(4x2=8 その2)
iii.3系理論
 
II
iv.現代漢字という大罪
v.資本主義の本質
vi.個人の成長のために(i)名前
vii.個人の成長のために(ii)認知療法



i.四つの質(4x2=8 その1)
以下、(i)~(iii)までで人間の健康的な呼吸パターンを24に分けて論じますが、それらは感覚によって捉えられるものであり、また、区別できないといけないというものではありません。たとえば、私は体感覚優位型(ほかに視覚型、聴覚型など)なので、この分野を選好したところがあります。

4つの質は、最も基本的な区別と考えられるものですが、人間の行為には主に4つの種類の周波数の違いがあるということです。
ある1つのものが中心にあり、その周りに3つが派生形として存在します。典型的には、”内寄り系”((ii)で扱います)において、「寝る」系を中心とし「身を潔める」「薬物を摂取する」「食べる」があります。(興味の有る人はそれらの違いを感じてみて下さい)原初の1態から3つが分化し、4を構成するようになったと考えられます。いわば、4つのチャンネル(経路)を持っているという事で有り、このことによって情報処理における自由度が増すため、人類の(他生物と比較して)情報操作行為の能力における高度さを構成する要因となっていると考えられます。様々な調整が出来るという事です。
本稿で扱う内容は数学における「予想」のようなものですが、この四質について同内容のことを主張していると考えられるものに3つを確認しており、・「三位一体」(“父”“子”“精霊”のそれぞれがどれにあたるかを考えてみてください)・昭和後期の青木宏之氏の報告・人間の生理に合致した暦という事を説いたJoseph A. Argüelles氏の著作("Master Synchronic Code Book" (2007) p.91-97)があります。とくにArgüelles氏のものはそれらのパターンを数値(線分の表現形)化する事に成功しており、多様性とは単純な分化の集積であるということが表現されており大変高度です。
8年にわたる審査を通過し、論文が認められた事で有名な数学の大家、望月新一氏は自身のブログ(と思われる)で「同じ分野の数学者に同じ事を言っても、伝わる人と伝わらない人がいるという、実務レベルの謎の解明には至っていない」(「新一の心の一票」2018年1月4日)ということを言われ、これについては、同一のものをあつかう際においても、呼吸の種類が異なればそれぞれ独自の方法で扱うことになるために相容れないという事があり得るという事です。(典型的なものに野球が挙げられます)(氏の理論は『たし算』と『かけ算』それ自体の評価を含むそうです)このように、呼吸の種類がどのように決まるかという事は『どのように行うか』、すなわち『対象と本人との関係性』によって決まります。何かを行うとき、何らかの質が自動で決定されるという事です。その最小区分に4が観察されたという事です。
 
ii.内外理論(4x2=8 その2)
人間の行為は、その距離感によって、内寄りと外寄りとに分けることが出来ます。前項の4質とは別個の系であり、4x2=8を構成します。われわれの呼吸はおもに8種類という事です。(さらに3系が有るが、(iii)で及います)
苫米地英人氏の著作「人を動かす『超』話し方トレーニング」(2010)に「話し方には主観型と客観型が有る」とありますが、これについて述べたもので有る可能性が有ります。
(その本質は「すでに起こったこと」か「まだ起こっていない(事業計画など)」かという事だそうです)
距離感によって捉えられるところのものは、典型的には内寄りには瞑想、外寄りには空手があげられます。(※ただし瞑想的空手や空手的瞑想はあり、前者はたとえば仏像の印、後者は現実にまどろむなどが挙げられる)
人の個体発生において、若い内は瞑想的期間を通過する事が多いようです。発達に従って空手の経路が形成されると思われます。
人がその初期段階で瞑想的である事によってこれと共鳴する母性、または女性(性)は原理的に瞑想的であるという事のようです:群れの中心において若い個体の面倒を彼に共鳴し行うは自らもその系に則る事が望しい。
「ぼのぼの」などで有名ないがらしみきお氏は「女性は社会と折り合いをつけているように見え、男性は社会を回そうとして回せていないように見える」という事を言いましたが、前者は瞑想的呼吸、後者は不適切な呼吸(ivで扱う)についていったと思われます。
発達に従い、1質が4質へ、1系が2系へと分化して往きますが、更に3系の別があり、認知の変化を含むものです。4x2x3=24を構成します。次項で扱います。
 
iii.3系理論
人間の行為は、全て一呼吸還元することができ、すなわち、あらゆる行為は一呼吸-吸って吐く-を単位としているという事ですが、これらを3つのフェイズに分割する事が出来ます:吸いはじめ-吸い終わり吐きはじめ-吐き終わり:これらは全体で一呼吸を構成し、一組みのものです。
空手の型を呼吸という観点から観ると、一つの呼吸に於いて3動作が含まれる事が有り、これはそれぞれに対応して居ます。
これが基本なのですが、この三段階-吸いはじめ-吸い終わり吐きはじめ-吐き終わり-のプロセスを、人間の認知の成長に於いて倒踏する事が分りました。 「第I紀」「第Ⅱ紀」「第Ⅲ紀」です。
さらにそれぞれの紀にあるものはその紀特有のものの見方をしその表現形はまさに黎明期-過渡期-最終期というものです
なお、厳密にはそれらの立場からそれぞれの系をなぞることは可能であり、3x3=9を構成するものと思われます。当該osに仮想osを走らせるようなものです。(os・・・オペレーションシステム)
いずれにせよ、正常な人間の表現形は上記の観点から第1形から第3形に分類することが出来ます。以上から24を構成します。(または72)
本論は以上です。

II

iv.現代漢字という大罪
人間の行為は呼吸に対応し、呼吸が通っていればそれ自体成立し、不適切に止めることが有れば行為そのものが不完全と成ります。およそ全ての文明病の本質は呼吸が浅い事とかんがえられます。形は問題ではなく、生理的にどうかという事です。そして不適切な呼吸が不適切な質と形と成り、適切な呼吸が適切な質と形と成ります。
これら不適切な呼吸は一見形をとるものの行為者の認知に即しておらず、自らの人生を破壊するものでしかありません グルジェフが「人間は機械である」と言ったように、ヒトはそれ自体超精密な装置であるからして自分以外のものになる必要は一切ない。結果をコントロールしようとするのは間違いであり、ただ起こるままに任せなければならないのです
この文明病の著だしいものがニホンに於ける昭和中期の漢字改変です。改変の仕方が不適切で有り、人類の歴史上文字単位が損なわれた比類ない事例です。漢字の本質は象形文字の集合すなわち凝集性で有り、これを簡略化することは煮込んだスープをさらに煮込んで成分を破壊するようなものであって、当時の者どもは当時の略字を正式に“採用”したばかりか、わけのわからないデザインをいきなり正式“採用”して現在に至り一部の研究者が否を唱えているもののいまだに真正面から捉えられて居ません。姓名判断の大家であるT.A氏も「新字では機能しない」と言っています。形から意味が損なわれたという事。そしてこのような文字を真面目にやっていては生活から意味が失われる可能性が有るのではないでしょうか?
子供のうちからこのような文字を教え込むのは国による虐待です。
 
v.資本主義の本質
(iii)で述べたように、1系から3系までのデザインが存在し、それらはそれらの精神性を反映して居ます。
真正な社会とは3系を含むものであり、それはどのようなものでしょうか。
まず資本主義すなわちcapitalismは1系と思われます 資源性以外の何も問われないというのは単純です。自然はそんなに単純ではありません。
現代が[生理的に]1系とはどういうことでしょうか。ここからただちに資本主義は発展途上であるという事がみて取れますが構造はどうでしょうか。
市民社会の出現前として封建制feudalismが挙げられます。これは安定的な統治というある意味幻想を反映した2系であると評価されます。((iv)で確認したように結果をコントロールする事は誰にも出来ない)(2系の本質は1系と3系の狭間の橋渡し。)
すなわち2→1の流れがあり資本主義は封建主義を踏み台にして成立した居候ろうのようなものであると分かります。他人の家でいつまでも遊んでいる子供の様なものです。
2系たる封建主義に先立つものは国nationでありこれは1系です 子供はどんなに内向的で研究型であっても集団における自らの立ち位置を自覚しているので有り、全ての子供は強烈に社会的である。子供の本質は群れにいたがるという事。
1→2→2に基づく1という事が現代の本質であり、終わりのない幼稚性とも言えるでしょう。
われわれは本質を見て2から3のルート、すなわち実態に基づく各地の安定的な自治を志向する小分国主義をとり得る筈です。minimalismという語は既に成立して居ます。
 
vi.個人の成長のために(i)名前
名前は個人を識別するためのものですが、重要な点として①名前それ自体が適切かおよび②名前が本人に適合的かの2点が有ります。
これらについては大陸の研究を経て研究者が体系を完成させて居ますが、呼吸が通っているかという事と、人間には個性があるからして、個性を発揮できる自らに相補的な名前が望ましいという事です。
ニュートラル性(四質に於ける中央性)も重要です。
悪用のおそれがあるため研究者の紹介はここでは致しません。
 
vii.個人の成長のために(ii)認知療法
人間は情報処理の能力を持っており、記憶を書き換えることも可能です。(iv)でみたように不適切な呼吸パターンは犯罪の本質であり(法的にどうかとかどうでも良いことです)私たちはただ普通に呼吸していなければなりません。
汚染はこれを排除することによって健康性が確保されます。
健康が第一であり、全てです。
あらゆる人間は無知ですが、自らの生を全うしようと意図する事はできます。
認知療法はその際の強力なツールです。
 
付録 王国(キングダム) https://kuwamasaoptimistic.wixsite.com/kingdum/%E7%99%BD%E7%B4%99%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8?fbclid=IwAR2pu3396DnoyaXdTvSLZ3w4kG-fxzmhpdbbnox-wVoHkaF9N-hStcCYv_s 型の通りにやる必要はありません。自由に膨らませて下さい。

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