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フィールドワークの日々

私は大学1年の終わりには、先輩の班について奥三河のフィールドワークに出かけた。
その村のフィールドワークはもう終わるので、自分たちは新しいフィールドを探さねばならなかった。
奥三河で一緒に活動した私とヒトシを中心に、候補地選びをの下見が始まった。
最初の下見は、水窪町にある山頂集落だった。
因みに水窪町は、現在では浜松市になっている。
その集落は標高650mもの山の上にあり、当時はまだ自動車が通れる道を作っている最中であった。
集落を班員の車の運転で回ったのだが、細い道を転回するのを失敗して、崖から落ちかかったが、トラクターに引っ張って貰って脱出できた。
また、電気もまだ通じていない家もあって民宿もなく、私たちは小学校の廃校に泊まらせて貰った。

ここにヒトシはフィールドワークに入るのだが、部員が増えたこともあって、私が班長となってもう一つ調査地を探すことになった。
そこから、調査地探しの旅が始まった。
まず、水窪の別の集落を下見したが、既に調査が行われておりそれ以上できないと判断した。
個人的にかなと飯田線沿いの集落も下見したが、規模的に小さいと思い断念した。
そして、とうとう調査地が決まらないまま、夏休みを迎えてしまった。

そこで、新メンバーのフィールドワークの練習を兼ねて、奥三河の集落を再調査することになった。
そこには、新しい班のメンバー男3人と女3人の6人に、従来の先輩メンバーのかなを含めた3人加わってくれた。
地元の子供達とのふれあいや、唯一いた青年とのつきあいが楽しかった。
補足的な調査だったので、大したことはできていないが、新メンバーは私を除いて初めての体験で、良い勉強になったと思う。

その後、班の仲間うち私とアキラ、マサシの男3人と先輩2人とで、三重県の漁村を先輩の運転でキャンプをしながら下見に回ったりした
どうしても納得いかなくて、南西諸島に行ってみようと私が提案した。
その南西諸島のとある島は、自分たちの研究会のかなり前の先輩が調査したところで、我々の羨望の的だった。
それから、大学のα先生に相談して、勉強会が始まった。
他の大学の情報も得ながら、下見の場所を何カ所か決めて、正月前に南西諸島の集落へ男3人で下見に行った。
そして、ある離島をフィールドにすることが決められた。

その頃私たちは南島班として、男3人、女性2人となっていた。
女性は、一人は同系列の短大から、もう一人は近くの国立大学の医学部の一人が加わっていた。
フィールドワークは二週間ほどかけるので、その間かなとも逢えない。
3月の春休みの調査から帰りの地下鉄の池下駅から坂を上がっていく途中で、ちょうどアパートに向かっているかなに出会った。
今思うと、携帯もなかった頃なのに、よく帰る時間が分かったなと思うが、ふたりが逢いたいという一念がそうさせたのだと思う。
アパートの部屋では久しぶりに逢えた嬉しさに、彼女を強く抱きしめた。

次のフィールドワークは8月の初めに行った。
ところが、台風がやってきて、離島なので場合によっては、しばらく船がこないという。
そこで、急遽切り上げて、班員のうち女性2人は飛行機で、男3人はフェリーで鹿児島経由で帰ることになった。
鹿児島には朝着くのが、交通費と節約するために普通列車に乗って、山口に行き、そこでかなの家に泊めて貰うことにした。
駅に車で迎えに来てくれたかなと父親に初めて会った。
かなは父親似であることがよく分かった。
次の日は、他のふたりには先に帰って貰い、共働きの家庭だったので、二人きりでしばらく過ごせた。

このように、私とかなはフィールドワークの仲間であったし、他の仲間ともオープンな関わりが出来ていた。
かな自身がフィールドワークで人と上手く関わることを身につけており、誰とでもすぐに仲良くなれた。
人類学者の多くが、夫婦でフィールドに出かけることが多いのだが、ふたりはそれを夢見ていた。
しかし、結局ふたりが一緒に行けたフィールドは2度だけで、しかも班員と一緒だった。
何よりもかながいたから、自由にフィールドを駆け巡れた。
私の自由に羽ばたける翼があったのは、全てかなのお陰だった。





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