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私の幸せは あなたと一緒につくる

私は、思わぬ大学院の合格で、学資の算段をしなくてはならなくなり、悩んでいた。

自分の親からの援助が得られない以上、自分で工面せねばならない。

かなは当初から進学を応援してくれて、私を養う気でもいた。

その一方で、一人娘だったかなは自分だけが、唯一親の面倒が見られる人間だということが分かっていた。

ふたりで話し合った中で、私が婿養子になるということも案として出た。

私は4人兄弟の長男だったが、父が3男で苦労した経験から、兄弟4人を平等に扱おうとした。

そして、家を継ぐ者に、当時はまだ価値があった土地財産を与えようとしていた。

その頃、次男の弟の方が国立大の理系に進み、しかも、父の会社の本社に採用されることが決まっていた。

だから、家を継いで親の面倒を将来見るのは、弟だろうと思っていたし、弟も自覚していた。

何せ、長男で可愛がられたはずなのに、父には反発ばかりしてバンド活動に狂い、大学受験にも失敗していたから、父からも当てにされてなかった。


私は、仕送りをしてもらえるのなら、婿養子になっても良いとも考えていた。

かなはそうしてもらえば嬉しいようだったが、私が婿養子になるタイプでは
もないということを一番よく分かっていた。

その一方で、かな自身が私を養えるだけの仕事も得ておらず、その見通しも立っていなかった。

かなは親に相談すると、ふたりが結婚するのは、私が修士が終わった段階で、それまでは離れて暮らすようにと言われていた。

そのかわり、かなの両親は私に仕送りをしてくれるということも、言ってくれていた。

かなの親からすれば、娘に東京で苦労をさせるよりは、仕送りを条件に娘をそばに置いておきたかったようだ。

かなの親から仕送りを貰うことは、ふたりが直ぐにでもそばにいたいという気持ちに全く反することだった。

それまでは、月に一度は逢わせてやるという約束も守られずに、一年間離れていたこともあって、そういう条件の仕送りは断った。

父には状況を話したが、損な性格だと言われた。

父は私に仕送りができなかったので、婿養子にでもなって、仕送りを貰った方が良いと思っていたようだった。


とにかく、かなの両親と私の両親とが、相談することになった。

かなの家族3人と、山口からわざわざ私の西播磨の実家まで新幹線で話し合いをするために来てくれた。

婿養子の件は、かなの両親が経済的な理由で、正式なかたちでできないということで、まとまらなかった。

とにかく、一年間はかなが上京するのを待つ約束がなされた。

しかし、一年経っても状況が変わる見通しも無く、この一年で遠距離恋愛の困難をふたりは感じていた。

そして、かなからの手紙には、その切なる思いが綴られていた。

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