騒音おばさん被害者説について

 だいぶ昔の話になるが「騒音おばさん」と言う人がニュースで話題になった。どんな人物かは今更説明する必要もないだろう。

 今回言及したいのは、この騒音おばさんが実は被害者であると言う「騒音おばさん被害者説」が存在するらしい。内容としては、被害者として報道されていた夫婦が実は宗教関係者で、騒音おばさんをしつこく勧誘していたり、地域ぐるみでいじめていたと言う話である。

 頭が痛いことに、この根拠のない俗説を信じている人がいるらしい。

 仮に100歩譲って騒音おばさんが被害を受けたのが本当だったとしたとしよう。しかし、それの対抗手段として、大声で罵倒したり、騒々しく布団を叩いたり、ラジカセを大音量でかけることが許容されるわけないだろう、と言うことだ。報復手段としても度を越しているのはもちろんだが、こんなやり方では関係のない人間まで被害を被ることになる。仮にいじめが本当にあったとしても到底まともな抵抗手段とは言い難い。(そもそもいじめがあったと言う根拠がないのが問題ではあるが……)

 なぜこんな簡単なロジックをネット民は考えつかないのか、と考えた時に、やはり問題の根底にあるのはネット民の考え方の根底に「被害を受けたら報復として何をしてもいい」と言う考え方があるからではないだろうか。

 思えば最近、暴露系、私人逮捕系、など、とにかく「悪役」を叩くコンテンツが増えてきた。中には本当に擁護できないような悪人もいるだろうが、手段が目的化するあまり、無理筋な理屈でさほど悪くない人間まで引っ張り出して炎上させる始末だ。

 中には単なる憂さ晴らしと割り切った上でそのようなコンテンツを消費している人間もいるようだが、それ以上に憂うべきは、これらの行為を本気で正義だと信じている正義中毒者かもしれない。

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