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若武者朝青龍

思い出の土俵は今場所平13夏が放送されていた。序盤は新小結朝青龍の快進撃が目立つ場所。横綱大関とは初顔の対戦が多く(武蔵丸出島雅山が2度目)初日早々武蔵丸を裏返し、結局2横綱5大関で壁になったのは貴乃花と雅山だけだった。ほとんどの相撲で快勝した。しかし番付下位に星を落とし8勝止まり。この頃の朝青龍はキレとスピードで上位でひと泡吹かす鷲羽山や琴錦のような存在。実際軽量でこれが精いっぱいだった。


当時壁となったのは琴光喜と雅山だった。雅山は自身が不振ながら意外にも平13春から13秋に陥落まで2勝2敗、琴光喜も13春から14春(この後顎骨折で休場)まで4勝2敗。琴光喜は当時朝青龍に体格面で優位でありさらに上手さと勘で圧倒していた。雅山は後に語っているがモンゴル力士は横の攻めに弱いと分析していた。実際初期の白鵬に大事な所で壁となり、朝青龍にも何度か勝利している。大関時代は相撲が定まらず惨憺たる土俵だったが(それでも正代や御嶽海よりはマシ)意外と理詰めだったのも伺える。


おそらく貴乃花も壁となっただろうが丁度朝青龍の出世と合わせて長期休場となったのは不幸だった。貴乃花がいるならば朝青龍のペースも狂っただろう。相撲史のIFである。武蔵丸も一定の威厳は示したが翻弄されることが多かった。相撲は負けで勝負は勝ちという取り組みが多い。他の大関陣は平成14年までで魁皇が4勝4敗、武双山が3勝6敗、千代大海が3勝5敗、栃東が4勝4敗と勝ち負け交互が多く貫録を示すに至らなかった。貴乃花の長期離脱は後世にも微妙に作用しているのではないかと愚考する。

余談だが貴乃花朝青龍は本割の2回以外にもう一度対戦があった。平成13年4月の靖国神社奉納相撲で決勝だったはず。横綱相手にも物怖じせず張っていく相撲で貴乃花が鼻血を出す荒れた相撲だったようだ。それでも勝負は貴乃花が勝ったあたり流石であった。

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