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【国際プロレス⑥】IWAタッグの挑戦者チームはメキシカン…まさかの衝撃ラストはノーTVだからできるものか??

 国際プロレス最後のシリーズとなったのは、昭和56年7月から8月にかけて行われたビッグサマーシリーズ。その一つ前のシリーズが6月に開催された「ダイナマイトシリーズ」だった。4月から5月にかけて開催された「ビッグチャレンジシリーズ」がポール・エラーリング、スティーブオルソノスキーといったまだ見ぬ強豪の参加で華やかだったのに対し、一気に冷え込みを見せたのが、このダイナマイトシリーズだった。
 まず、参加外国人選手がエース格のジプシー・ジョー、カール・ファジー、エル・クルセロ、ティエラ・ビエント・イ・フェゴの4選手のみ。うち二人は軽量のメキシカンということもあり、全体的にボリュームが欠けた布陣となっているのも否めない。
 この時のテレビ放送事情だが、3月をもって定期放送は終了。4月以降は月1に収録されるとのことで、ビッグチャレンジシリーズは4・18&5・16の両後楽園ホール大会を中継。このダイナマイトシリーズは6・25清水市鈴与記念体育館からの中継のみとなった。
 4月以降のノーTVとなった大会や試合もできるだけ取り上げて行こうと思うが、その第一弾として、ノーTVのタイトルマッチとなった6・11下関大会における阿修羅原&マイティ井上対エル・クルセロ&ティエラ・ビエント・イ・フェゴのIWA世界タッグ選手権を見て行こう。

挑戦者チームのメキシカン組。

 メキシカンと言えばメキシコEMLL路線との提携に沿って、マッハ隼人や寺西勇の相手としてカードが組まれていた印象。メキシカンタッグマッチ
ルールが採用され、大会を彩っていた。しかし、IWAタッグの対戦相手になってしまうところにマッチメイクの苦しさを感じずにはいられない。

それなりにいい雰囲気を持った二人。
地元民から花束の贈呈。
ふだんはマッハや寺西の相手を務めることが多かった。

 王者・原&井上組だが、井上は開幕戦の後楽園大会で隼人と組んでクロセロ&フェゴ組と対戦。前哨戦とも言えたのだが、何分、テレビ中継もないため、今一つシリーズの流れがつかめない。
 
 この試合の続き、当時の情景について、以下に続けたい。最後はまさかすぎる衝撃のラスト! ノーTVだからできた光景なのか??マイティ井上が
行なった行為とは?

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