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日本三大怨霊

今回は、日本における三大怨霊をご紹介します。
皆さんは三大怨霊は、ご存知ですか?
三大怨霊とは、菅原道真・平将門・崇徳天皇の3名を一般的には指しています。
では、早速一人ひとりご紹介致します!
レッツゴースト!!

①菅原道真

平安時代の貴族でした。
無実の刑により、太宰府に左遷されてしまいます
死後数年が経過した頃から、左遷に関わった人物が次々と不幸が続きました。
菅原道真の死後20年が経った頃にある事件が起きました。
それが、清涼殿落雷事件⚡️
平安京・内裏の清涼殿という建物に雷が落ち、多数の犠牲者を出した事件です。
その事件でも、左遷に関わった人物が亡くなっています。
この事件後から菅原道真は雷様になったのだと噂が立ちました。
「桑原」という菅原道真が所領としていた場所には雷が1度も落ちなかった事から雷除けに「くわばらくわばら」と唱えるのだという説が出来た。

平将門

平安中期の関東の豪族で桓武天皇の子孫である平氏の一族である。
領地の相続争いが起こり、追討令が出され平将門は討ち取られてしまいました。
この事を「平将門の乱」といわれています(大分内容を端折りました)
討ち取られた平将門の首は京へと送られ、都の河原に晒されることとなりました。
しかし、無念の死を遂げた平将門の首には、奇妙な出来事が立て続けに発生。
何ヶ月も目を閉じなかった、夜中に歯ぎしりをしたといった噂が絶えなかったのです。人々は平将門の強い怨念としてこれを恐れました。
そしてついには、首が体を求めて関東へと飛んでいったという伝説まで残っています。
飛んでいった先に建てられたのが、現在の東京都千代田区・大手町にある将門塚(しょうもんづか)と言われています。

将門首塚
崇徳天皇

鳥羽天皇と藤原璋子の間に第一皇子として誕生した崇徳天皇は、3歳という幼さで日本の第75代天皇として即位しました。
後に皇位継承争いで白河天皇と争いが起きます。
それが「保元の乱」と呼ばれるようになります。
崇徳天皇は戦いに敗れ、讃岐に幽閉されました。
仏教に深く傾倒し、写本を仕上げ京都のお寺に納めてほしいと差し出すが、送り返されてしまう。
その屈辱以降「妖怪に生まれ変わり無念を晴らす」として京都へは帰れずそのまま亡くなりました。
その後は、白河天皇が亡くなるまで祟りが収まる事は無かったといいます。

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