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俳人 菖蒲あや

 「春嶺」主宰だった菖蒲あやさんには、お会いした事は無いのですが、俳句に関わってから知りました。
 彼女の俳句に初めて触れた時に、衝撃が走りました。其処に彼女の生々しい生活があったのです。
 まっさらな俳句、飾らない俳句、誠実な俳句。彼女の俳句は、私の胸に飛び込んで、
「貴女もそうでしょう?」
 と、問いかけて来るのでした。
 私は、貧しい暮しのなかで、女である哀しみや、苦しみ、不自由さ、それらの渦巻く生活に翻弄され、何ひとつ自分の思うに任せない事に苛立ち、押し潰ぶされそうになっていました。
 結婚とは、そう言うものだと、昔の女性は諦めていたような所があります。
 そんな哀しい現実から逃れる為に、想像するようになりました。自分だけの自由な世界です。
 自由を欲し、自由を渇望し、自由に羽ばたける「表現」=「俳句」を見つけたのでした。
 彼女の目を通して、心を通して、女である「私」と「人生」を見つめて、強く生きて行こうと思うのです。

以下は、彼女の代表句です。

路地に生まれ路地に育ちし祭髪

  菖蒲 あや  享年81歳

 彼女は、もう、この世にはおりません。2005年3月7日、彼女は、81年の生涯を全うしたのです。
 彼女の俳句は、令和の今も瑞々しく、私に語りかけて来ます。
 偶然ですが、今年の令和六年三月七日は、菖蒲あやさんの生誕100年に当たります。彼女の俳句人生に、改めて感服しています。
 以下は、抜粋句です。
  
    〈 冬の句 〉

寒雷や地べたに座り炭ひけば


春を待つ何も挿さざる壺円く


わが露路でつまづく寒に入りにけり


雪だるまよつてたかつて太らしむ


路地染めて何をもたらす寒夕焼け


スキー帽かぶり糠味噌かき廻す


初夢の中でも炭をかつぐ父


焼酎のただただ憎し父酔へば

  
    〈 生活句 〉

身一つの旅街角にさくらんぼ


どの路地のどこ曲がっても花八ツ手


仏法僧啼きゐることに寝を惜しむ


ひとり身の灯を消し白き夜の団扇


海の色に朝顔咲かせ路地ぐらし


西瓜喰ふ中年の膝丸出しに


姿見に全身うつる湯ざめかな


浅蜊に水いつぱい張って熟睡す


壬生狂言に笛が加はり眠くなる


花街の昼湯が開いて生姜市


二階より見えて夜明けの夾竹桃


   〈 私の感銘句 〉

乳房ある故のさびしさ桃すすり


更けし夜の螻蛄おけらに鳴かれて金欲しや


今生に父母なく子なく初天神


ひとり身の日傘廻せば遠くに森


酉の市行かず仕舞の水仕事


母恋し壁にかこまれ風邪に寝て


たんぽぽのまぶしく勤めいやな日よ


種なしの葡萄を喰みて何か不安


秋刀魚焼く煙の逃くるところなき


柿をとりつくして天を淋しくす


母と子の生活の幅の溝凌ふ


老いゆくは吾のみならず飛花落花


サルビアを咲かせ老後の無計画


恋猫に水ぶつかけて路地に老ゆ


鶏鳴に起され四月はじまりぬ


   ─ 菖蒲 あや ─
西暦2024年 生誕100年 追悼

花菖蒲そこに水あり光りあり  

     林 花埜

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